住民登録 2010年(平成22年) 初めまして 私自身は大夕張の事、良くわからないのですが 、私の父が春日町の出身です。 20年前と12年前に父と訪れた事があり、鹿島小学校も見て来ました。 お化けが出ると言うトンネルも歩いてきました…。 父の寂しそうな顔が、今でも心に残っています。 このHPを見つけ、つい書き込みしました。 町名案内図… 続きを読む
楽しかった日々 常盤橋と野球帽と 沢をまたぐ道路ができるまで、千年町と明石町方面結んだ常盤橋。 昭和47年常盤町の街並みを背にカメラに向かって何か話しているようなのは、菅原少年。吊橋の欄干に電飾がともる。お祭り、お盆の日だろうか。 常盤橋の電飾ですが、多分手掛けていたのはうちの父です。 炭鉱で電工場、いわゆる変電所ですか… 続きを読む
思い出ばなし 夏休みのお昼ご飯|高橋 歌子 私が子供の頃の夏休みのお昼ご飯といえば「冷麦」 あのピンクとかぐりーんとか入っているやつですね。あれでした。 なにが美味いんだか、色つきのを妹と取り合ったりしてました。 それで、毎日毎日「冷麦」 「たまには違うものが食べたいよ~」 母に訴えると 「今日は違うよ! 今日は、そ・う・め・ん」 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ タニシと鬼平こと長谷川平蔵 | 高橋正朝 #156 前回の続・大夕張つれづれ # 155〘 水溜りに棲んでいたタニシ? 〙の FB 版に、成田利夫さんと Masami Kawauchi さんが、タニシを煮て食べたことを書き込んでいました。 しかし、我が家ではタニシを食べたことはなかった。 タニシは旨いものらしいということは、何回か… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町詰所の池? この写真について投稿者の菅原正広さんは次の様にいっていた。 これは何処ですか?分かる方居たら教えて下さい。そもそも大夕張なのかもわかりません。 弟と私の服や靴からみて昭和45〜6年だとは思うんですが。 昭和45年か46年頃 この写真を見て、自分は常盤町の詰所の横の池を思い出した。 も… 続きを読む
楽しかった日々 運動会の日|菅原正広 家族やご近所さん達と鹿島橋を渡っています。 バスケットやお重を提げているので、多分運動会に向かうところでしょうね。 皆笑顔であるところがミソですね。 大夕張の住民にとって運動会って一大イベントだったのがよく分かりますね。 昭和43年(1968年)頃… 続きを読む
記念の日 入学式の朝 鹿島橋 |菅原正広 昭和47年の春、鹿島橋を渡り入学式に向かう私ですが何故か浮かない顔で俯き加減です。 周りの女の子達はみんな堂々とした様子ですね。 大夕張の女の子は皆逞しかったのでしょうか? それとも自分がひ弱だったのかな。 昭和47年4月 … 続きを読む
楽しかった日々 常盤町 鯉のぼり|菅原正広 常盤町の家の前です。 鯉のぼりを見上げるわけでもなく、兄弟揃って視線は何処に? 昭和42,3年だと思います。 鯉のぼりでなく黄色いハンカチだったら、健さんでも出てきそうです。 … 続きを読む
思い出の街角 常盤町8丁目8番地住宅の前で 春先。 雪が溶けて、土が顔を出し、草花が芽吹く前のいっとき、雪の下で寝ていた茶色い下草が顔を出す。 冬と春の間にも、こんな短い季節があった。 あたたかい春の日差しに誘われて、写真をとることになったのだろうか。 常盤町8丁目8番地、菅原正広さんのご家族が住んでいた家の前である。 1968年頃… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町8丁目8番地 常盤町の暁橋のところから、常盤町を横断する形で、詰所集会所に向かって傾斜のある道を行くのが、鹿島中学校に向かう通学路だった。 常盤町8丁目8番地は、暁橋と詰所の中間あたり、ちょうど、シューパロ川に向かって傾斜していく崖の端にあったといえるだろうか。 男の子の後ろに、おそらくその通学路… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 水溜まりに棲んでいたタニシ?| 高橋正朝 #155 ザリガニ獲りをした場所は、チョロチョロした淀んだ水が流れる沢だった。 水が流れると書いたが、清水とは言えない流れである。 清水が流れる場所に棲息したザリガニがいたかもしれないが、少なくても、明石町に住んでいた私や遊び仲間が獲っていたザリガニは、淀んだ水が流れる小川だった。 水が流れる… 続きを読む
思い出ばなし 郷土研究部と地学部|久々湊真一 夕張東高の郷土研究部は我々の頃は、文科系の花形クラブでした。 野村崇先生(先生については項を改めて書く事にします)の熱心なご指導により、学校外への発表も含む本格的な活動を行っていました。 私は郷土研究部に入っていませんでしたが、興味深い活動なので注目をしていました。 高一の夏と思う。… 続きを読む
思い出ばなし 夏休みの思い出 | 長谷部孝治郎 この季節になると、子供の頃、真っ黒に日焼けして遊びに夢中になっていた事を思い出します。 明石町の自宅の崖下の川で泳いだり、カジカやドジョウ、ウグイを釣って焚き火をして食べたり、今思えば汚い川で泳いで病気にならなかったものだと思いました。 白金の沢にもよく泳ぎに行ったなぁ。 リヤ… 続きを読む
思い出の街角 大夕張神社からの街並み《カラー版》 昭和6年頃とされる白黒写真に着色した。 あらためて昭和48年の全景写真から、同じような構図で並べてみると次の様になる。 山が近い。 町だけでなく、背景の山の木々も人の手が入り姿を変えている。 大夕張駅の駅舎は小さく、その前の通りも広い・・・というか道の両側に建物がない・・・。 三菱大… 続きを読む
思い出の街角 三菱大夕張炭砿病院 昭和45年頃の炭砿病院。 その頃。 右手の突き出た屋根のある部分が、正面玄関。左手は北側の玄関。職員関係者用の玄関だった。 正面玄関と北側の玄関の間に見える一階の窓のところが、事務室・受付だった。 正面玄関を入った先の吹き抜けの立派な階段を上がると診療室がならび、二階にはその窓が見… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ川の石採り 昭和43年(1968年)鹿島中学校一年に入学した。 その年の夏のこと、父親に連れられて近所のトシボーと、弟と4人で大夕張炭山駅から奥の『官行』に向かい、シューパロ川の上流に行った。 その経路は、平成10年発電所からポンプ場への中で使った私の手元にあった二枚の写真と、弟が持っていたこ… 続きを読む
2丁目3番地 シューパロ川の化石 今日(2023年7月24日)、北海道新聞12面(道央版)に、かつて大夕張の鹿島小学校グラウンドで公演を行なったという『木下大サーカス』が札幌で公演中という記事とともに、『夕張の化石に触れて』というタイトルで室蘭市で開催中の展示について写真付で紹介されている。 記事を要約すると、『DENZ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 開拓で見た水田 | 高橋正朝 #154 開拓で水田を見たことがあった。 私が鹿島東小学校の4年生の、6月ぐらいの日曜だった。 遊び仲間3〜4人が、それぞれの家で朝めしを食べてすぐに白金の沢を目指した。 そこで2時間ぐらい過ごし、ハラ時計からすると、正午をまわっていたので、家に帰ろうということになった。 白金の… 続きを読む
2丁目3番地 昭和48年11月鹿島中学校生徒住所録 ここに送ってもらった一冊の『鹿島中学校生徒住所録』と書かれた名簿がある。(正確に言うとそれを撮影した写真だが) 藁半紙をホッチキスで閉じただけ簡素な作りの名簿は、黄ばんで文字も薄くなっている。 発行された日付は、昭和48年11月。 三菱大夕張炭鉱閉山が決定した1973年… 続きを読む
2丁目3番地 シナノキ 7月上旬のある晴れた日の夕方、散歩をしていると、小さな白い花を付けている木の下を通りかかった。 すると、日中のあたたかい空気の名残りに混じって覚えのある甘い香りがした。 それはどことなく懐かしく、子どもの頃の夕暮れ時の家路につく道端の樹と同じ匂いだと思った。 さっそくスマホに… 続きを読む