思い出の街角 大夕張のまち その4 信金跡 1997 『大夕張』バス停周辺。 夕張信用金庫大夕張支店だった建物。 旧支店だった建物には、『庶路建設』の看板が掲げられ、裏に続く住宅には住民が住んでいた。 1997年5月18日撮影… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その3 1997 旧大夕張駅舎前から南側。 ここに写っていないが右手に大夕張駅の駅舎(当時は大夕張診療所として使用)、そのすぐ南隣のかつて警察分署のあった跡地に建つ鹿島生活館の看板が見える。 人も住宅も少なくなったとはいえ、街の面影は残していた。 1997年5月18日 撮影 北側の商店街の方に… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張でライラックの木を見たか 5月満開のライラック 5月のとある日、気温21℃。 陽気に誘われて外を歩くと、気がつくとライラックが満開になっている。 白や淡いピンク、紫色をした小さな愛らしい花が、房になって花を咲かせ、近所の家の庭先や公園などで目を楽しませてくれる。 ライラックの木の下を通ると甘い花の香りが漂… 続きを読む
陳列棚 鹿島東小学校校章 実物を見た印象では、大きさは校舎に取り付けられていたことを思わせるものだった。 自分は鹿島小に通ったので、鹿島東小の校地に足を踏み入れることはあまりなかったが、写真を見ると校舎表玄関の上に校章が掲げられていた。 その校章のようだ。 平成9年(1997年)の鹿島小学校郷土室の展示より。 … 続きを読む
写真 夜明けの太陽 左手に前岳と夕張岳が見えて、右手はダム方向。 前回、神奈川のKさんの、『夜明けの霧に包まれた夕張岳』から視点を引いて、三弦橋のあった方向まで俯瞰してみた写真が次の一枚。 広がる雪原はダム湖の水面で、その広さは新ダムの巨大さを想起させる。 二枚の写真を一枚にしてある。 昇る朝日の迫力が… 続きを読む
写真 夜明けの霧に包まれた夕張岳 2023年3月8日朝午前6時半の夕張岳。 神奈川のKさんが10年ぶりに故郷を訪れたときに撮影した写真。 朝靄に包まれた幻想的な雰囲気の中に山が浮かぶ。 次は撮影されたKさんのその時の苦労話です。 夜明けを狙って私にとっては10年ぶりに訪れた故郷大夕張で、何とか渾身の夕張岳… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁•••あやつける | 高橋正朝 #144 〘 かっこうをつける 〙という意味で、〘 あやつける 〙とか〘 あやをつける 〙いう北海道弁があった。 少々蓮葉な印象が生じる言葉である。 女性も使っていたかもしれないが、私は聞いたことはなく、マ、どちらかというと、男性が使っていた言葉だ。 以下は、ネットでチェックした、『 セレ… 続きを読む
思い出の街角 千年町 バス停1997 夕鉄「千歳町」美鉄「千年町」のバス停が立つ。 大夕張-千年町の間には、山内線「岳富町」「宝町」のバス停があった。 夕張、札幌に向かう時、山内線で停車するはずのその二つのバス停に止まらずバスは走った。 都会で走る『特急』『急行』という言葉の意味を、大夕張で学んだ瞬間だった。 1… 続きを読む
訪問記 鹿島小学校跡地をみる 2023 |成田利夫 鹿島小学校のあった敷地。 東の門の方向でしょうか。 2023年5月5日撮影 下の写真は、おそらく同じ方向を写したものでしょう。 それから25年経過後の現在です。 https://ooyubari.com/2023/04/27/jinjyasitakarakasimasyo… 続きを読む
訪問記 鹿島小学校入り口 2023|成田利夫 国道から鹿島小学校跡地への入り口を写したもの。 奥にグラウンドと富士見町の境にあった木々、右手にはアメダスの施設の一部が見えます。 2023年5月5日撮影 時は経ち木々が伸び前岳夕張岳の姿も一部に・・・。 1997年5月の同じ頃。 https://ooyubari.com/2023/0… 続きを読む
訪問記 大夕張神社跡 2023 |成田利夫 朽ちた椅子の後ろが神社のあった辺りでしょうか。 2023年5月5日 撮影 春の大夕張神社 昭和40年代 https://ooyubari.com/2023/04/20/sakuragogatuyamajinjyaa/… 続きを読む
訪問記 大夕張神社探検 |成田利夫 2023年5月のゴールデンウィーク 昨夜から小学生の遠足の前のように今日の探検を想像して早くから目が覚めた。 今日は林道のような道を登るかもしれないのでバイクで行こうと、ウェアを着こんで車庫に出て、シルクロードのセルを回すと最初の1回だけ『ぷすん』で止まり、また何度セルを回しても… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁•••あめくさい・あめてる・あめる | 高橋正朝 #143 北海道といえども、春が過ぎれば暑くなる。 北海道には梅雨はないとされていたが、今はどうなのだろうか ••••••。 私が大夕張にいた当時、たしかに梅雨といえるような天候はなかったが、それでも、6月から7月にかけては、雨が降ることが多かった。 全国的には、食中毒の注意が… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ湖畔 道路開通の頃 まだ未整備なシューパロ湖畔の様子は、昭和37年の道路開通の前後の様子だろうか。 湖畔に設置されたボート乗り場には、モーターボートで湖面を遊覧する当時の若者たちの姿がある。 昭和30年代に夕張市から発行された絵葉書には、湖畔亭そばの小公園完成後の姿や、「シューパロ湖畔・職場対抗ボート大会」… 続きを読む
住民登録 2009年(平成21年) 懐かしいのう・・ 鴻池玉夫 北海道, 鹿島開拓 70歳以上 男性 - 2009/12/18 _ 23:07:33 毎日楽しみに、拝見してます。 鹿島中学二年で大宮先生、通称デンスケです、私も担任の先生として、一年間学びました。 やっぱり生まれ、育った そして学んだ大夕張は、懐かしく、忘れられません。… 続きを読む
思い出の街角 1997.5.10 大夕張のまち その2 『1997.5.10 大夕張のまち』から、大夕張郵便局と向こうの商店街を拡大した部分 https://ooyubari.com/2022/02/14/19970510machi… 続きを読む
写真 鹿島小学校グラウンド全景 1997 1997年(平成9年)5月18日の鹿島小学校グラウンドと校舎、そして夕張岳。 昭和3年(1928年)10月開校、そして平成10年(1998年)3月に閉校となった。 卒業生9790名、地域の盛衰の歴史とともに時を重ねた。 下は2022年の現地の様子と、10数年ぶりに訪問… 続きを読む
写真 グラウンドからの夕張岳 鹿島小学校からグラウンド越しの夕張岳。 もう20年以上前の記憶になるが、内川准一さんが撮影して送ってくれたA4の大きさ写真だ。 住民も立ち退き、建物も取り壊された後の誰もいなくなった大夕張。 グラウンド跡に咲き誇るタンポポの花の黄色い海。 5月下旬から6月の頃の周囲の緑も濃くなる時期… 続きを読む
思い出の街角 土手から旧駅舎と夕張岳 1997 1997年5月の大夕張訪問時に、前回、小学校のグラウンドからの夕張岳の景色は撮っていなかったと書いた。 しかしそのあと別のアルバムの中から、同じ日に撮影したこの写真がでてきた。 場所は、バックネットと鹿島小学校校舎のちょうど中間。 イタヤカエデの木、そして大夕張駅の駅舎や消防署が夕張岳を… 続きを読む