明石町

明石警察官駐在所 思い出の街角

明石警察官駐在所

昭和45年 明石町駅近くの通りに面して建っていた駐在所。 『明石警察駐在所』の看板がかかる。  掲示板には、空き巣にに入ろうとしている泥棒のような人物と鍵のマーク。  『鍵をかけましょう』という呼びかけだろうか。    人の多かった大夕張では、当時鍵をかけていても、空き巣に入られることがあった。  …
鹿島自動車整備工場・自動車教習所前 思い出の街角

鹿島自動車整備工場・自動車教習所前

  千年町から明石町に向かうと、明石橋のすぐ手前のあたり、左手に大きなの看板と建物がたっていた。 周囲には整備を待つ車だろうか、トラックや乗用車などが数多く駐車していた。 看板には『鹿島自動車整備工場』と書かれている。   ここからやや先に、左に曲がっていく道路があった。 そこは自動車教習所だったと…
明石町 番外地 思い出の街角

明石町 番外地

「大夕張つれづれ」や「続大夕張つれづれ」によく登場する、高橋正朝さんが過ごした明石町番外地付近、平成の頃。   大夕張から明石町駅を過ぎ、道路に面した家々の並びが途切れると、岩野石油が見えてくる。   このガソリンスタンドと、砕石が敷き詰められたゆるやかなカーブの道が心に残る。      ここまでく…
白銀橋が見えた風景 1997 2丁目3番地

白銀橋が見えた風景 1997

     明石町に近づくと、道路脇の木立が途切れて、湖水の上に浮かびあがる白銀橋。      右手に続く湖の先にこの橋が見えると明石町の町は もうすぐだ。       「大夕張に帰る」    そんな思いが、よりいっそう強くなった。        近づくにつれて感じていた、わくわく感というか、ドキドキ…
白銀橋と古のシューパロの流れ あらかると

白銀橋と古のシューパロの流れ

   前々回、『白銀橋上から古のシューパロの流れ』の写真と反対側にあたる。  川の流れでいえばシューパロ川の下流方向から白銀橋を見ている。    2005年撮影 今は湖底にその姿を留める  この写真も2005年頃、夕張シューパロダム工事関連の一つとして大夕張ダムの湖水が抜かれた時に撮影した画像。  …
開拓橋建設と共栄橋の位置 あらかると

開拓橋建設と共栄橋の位置

  ふるさと誌「しろがね」から。 以前掲載の「共栄橋」を渡る人物と同じ、服装や雰囲気から同じ日に撮影された写真のように見える。   Tokio Tanikawaさんのお父様が写っているというコメントがFB版であった。写る人物は谷川さんらしい。    写真には、「白銀橋の建設作業」(昭和34年頃)とい…
水仙と夕張岳 その2 写真

水仙と夕張岳 その2

2022年5月夕張東高校跡地のグラウンドだった「眺望公園」から。   残雪残る山 青い空 黄色い水仙と    映る鉄柵は、こちらとあちらの世界を分けているようで、不粋ではあるが・・・。    …
東高バイク通学 |Masami Kawauchi 思い出の記

東高バイク通学 |Masami Kawauchi

  昭和49年 明石町 夕張東高校 バイク欲しくて定時制行きました。 高校の坂を登り切って夕張岳をバックに撮影。 全日制の女子学生見えますね。 私達はバイク通学でした。 白黒写真に着色した画像     (2020年5月17日 記) (筆者紹介) 昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳…
明石町14丁目 楽しかった日々

明石町14丁目

昭和45年頃。 明石町は、シューパロ川に近い1丁目から順番に、明石町駅近くの15丁目まで炭鉱住宅がきれいに建ち並んでいた。   ここは、14丁目の住宅そば。明石町駅に近い住宅の一角。右手後ろに共同水道の小屋。   休日なのだろう、屋根には日の丸が掲げられている。何を食べているのだろうか、袋入りのアイ…
明石町 白地図 昭和38年 白地図

明石町 白地図 昭和38年

  昭和38年(1963年)、大夕張ダム完成後の明石町の白地図。   黒く塗りつぶされたところは、この地図が掲載された『鹿島のあゆみ』が発行された昭和53年時にまだ存在していた建物を示す。施設を示す手描きの文字も昭和53年時のものだろう。     昭和38年と昭和53年を合わせた地図。   これを見…
明石町駅地下通路 ホーム跡 1999 訪問記

明石町駅地下通路 ホーム跡 1999

     1999年(平成11年)6月、旧明石町駅舎が取壊しになった。その10日ほど前。    大夕張の玄関口だったという駅も、中学校を卒業して大夕張のまちを出た自分にとって、明石町駅は大夕張のはずれの駅という印象をどうしても拭えなかった。    私は、ここで乗り降りしたことはなかったが、鹿島(夕張…
旧明石町駅 1997 訪問記

旧明石町駅 1997

1997年(平成9年)5月の旧明石町駅。   昭和48年(1973年)に廃止になってから24年、屋根が傾き、窓には木の板が打ち付けられながら、なんとかそこに建っていた。   この時期、故郷の大夕張を訪れた人は、きっとそうであるように、自分も「そこにある」ものたちを夢中で写真に収めたのだった。   正…
高校への坂道 思い出の街角

高校への坂道

夕張東高校閉校記念誌『岳窓』(昭和58年閉校)より昭和57年(1982年)12月撮影とある。     写真のタイトルには、『バス通りから校舎を眺む』とある。 この写真では写っているかどうかはっきりしないが、目線の先の高台には白い高校校舎が見えていたことだろう。   鉄道跡はサイクリングロードとなり、…
明石町の歴史 あらかると

明石町の歴史

     明石町の辺りは以前は、戦前は農場と呼ばれ、その後、第一農場とよばれていた(第二農場は、桜ヶ丘対岸→大夕張ダムで水没)と呼ばれていた。    このあたりには、戦争前後の話として、畑地として土地をかり、笹刈りから、大根の種まき、収穫まで家族総出で荒地開墾をしながら、食料を得ていたという祖父の話…