1962年

冬のワカサギ釣り| Toshinori 思い出ばなし

冬のワカサギ釣り| Toshinori

     自分は釣りは、やらないのですが、大夕張にダム湖が完成し、シューパロ湖ができた昭和37年頃、ワカサギの稚魚を放流したという。    北海道では冬に行なわれるオホーツク地方の網走湖のワカサギ漁が有名ですが、シューパロ湖では、ダムに氷が張ると氷上に風よけを作り、氷に穴を開けてワカサギを釣る風景が…
常盤町を背に|遠藤義博 楽しかった日々

常盤町を背に|遠藤義博

  私は昭和27年(1952年)産まれです。   子供の頃、常盤町に住んでました。   昭和55年に千歳市に住んでいて、鹿島中学校まで家族でドライブに。校舎も取り壊されグラウンドで、フキ採りをしたのが大夕張の最後の思い出です。その時は、大夕張が水没するとは思っていなくて、今考えると残念です。   今…
鹿島小学校 山神社への参道から 思い出の街角

鹿島小学校 山神社への参道から

昭和37年10月9日 別の同じ日の写真には、当時富野小学校に勤務していた祖父の字で、『見学旅行』との文字がある。   大夕張神社への参道の途中から鹿島小学校を背景に同行者を撮影したもの。         この写真の背景を切り取った部分が次の写真。 https://ooyubari.com/2023/…
鹿島小学校グラウンドの夕鉄バス 思い出の街角

鹿島小学校グラウンドの夕鉄バス

祖父のアルバムから。 大夕張山神社に向かう参道の入り口のあたりから、テニスコート越しに鹿島小学校グランドに夕鉄バスが乗り入れている。 写真の裏には、『昭和37年10月9日』のメモがある。   この日は火曜日のことであり、平日の学校のグランドにバスが停車していることを考えると、当時教職にあった祖父が鹿…
番外編:さっぽろ雪祭り 2丁目3番地

番外編:さっぽろ雪祭り

   大夕張から札幌に、『雪祭り』見物に出かけた人も多いだろう。    アルバムに一枚の『雪祭り』の写真があった。    当時親戚もいない札幌の町には滅多にでかけることもなく、それでも「さっぽろ雪祭り」は、写真があったために自分の記憶に残り続けた。    何歳の時にでかけたという記憶もなかったが、『…
駅名板|奥山道紀 あらかると

駅名板|奥山道紀

  千年町の木造の駅名板の写真拝見しました。   去年、南部で保存会・シューパロ塾共催で勉強会を開催した時、南大夕張駅の助役であったSさんが昭和30年頃の駅の写真を持って来ていました。    その駅名板も木造・手書きでなにか暖かみのあるものでした。    いつ頃から鉄製のものに変ったのでしょうか。 …
クマが出没 おおさわぎ あらかると

クマが出没 おおさわぎ

秋になると、羆は餌を探しに里に下りてくる。 山の寝穴に引き釣り込まれたら最期生きてはもどれないとと大人達に言われていた。 大夕張の子どもたちは、けっして山の懐深くには入らないようにと、周囲の大人達から言い聞かされた。   この時期、9月から10月にかけて、餌を求めて熊が山から降りてきてことはあったよ…
お祭り集合写真(富士見町) 街の行事

お祭り集合写真(富士見町)

昭和37、8年頃。富士見町詰所前。 線路をはさんで向こうに健保会館の屋根が見える。 父がお世話役の一人としてうつっている。 男兄弟ふたりがいた我が家だったが、ここにはいない。 特に引っ込み思案で恥ずかしがりの私は、ここにいたとしても、雨のそぼ降るこの日の天気、早く帰りたくて泣きべそをかきながら立って…
泉町子供会 楽しかった日々

泉町子供会

昭和37年 泉町の行事。 子供会 卒業記念子供大会。   後ろにある掲示物から・・・・ 『卒業・就職?・進学・◯◯(読めない) 子供大会』   ここに写る子供会の面々、小学校低学年から、中学校の制服姿の子まで、このあたりまでが会のメンバーだったのだろうか。   久々湊さんが、式次第についてふれている…
6号付近切り取り跡 思い出の街角

6号付近切り取り跡

昭和37年頃 六号(竜田の沢)付近の切り取り跡。 常盤町からみると二つの切り取り跡が見えるが、千年町側(向かって右側)のように見える。 白黒写真に着色した画像   土砂の取り除き作業   【お父ちゃん】(2007/07/03(Tue) 10:18)  三菱鉄道の保線区の仕事で、毎年、春秋の二回線路脇…
湖畔のにぎわい 思い出の街角

湖畔のにぎわい

  同じ頃のシューパロ湖駅の写真とくらべると、こちらは、公園部分の工事がはじまったばかりという感じ。 知人から送られたこの写真の台紙には、昭和37年(1962年)7月1日の日付がある。暦では、この日は日曜日である。   ちなみにシューパロ湖駅は、前月6月1日に開業したばかり、そして、この年の秋10月…
湖畔の道路 思い出の街角

湖畔の道路

昭和37年(1962年)10月。それまで陸の孤島だった大夕張に陸路がつながり、街が大きな喜びに包まれた。 南大夕張ー鹿島間の間が開通して間もない頃の湖畔道路。 大夕張を出たり、入ったりするときは必ず誰でも通った場所でもある。   遠目に、これも開業間もない湖畔亭と、鉄道のシューパロ湖駅が写る。 シュ…
シューパロ湖 ボート遊び 楽しかった日々

シューパロ湖 ボート遊び

 昭和37年 シューパロ湖、ダム建設により湖が誕生してすぐの頃。  向こうの湖岸を、鉄道と開通したばかりの清水沢ー大夕張間の道路が走る。    このダム湖ができてすぐの頃、誰ともなく言われていたはなしを覚えている。    この湖は、川をせき止めてつくられた。湖底には森林の木々が沈んでいる。よって、湖…
町を背に 神社にて (昭和37年) 思い出の街角

町を背に 神社にて (昭和37年)

白黒写真に着色した画像 昭和37年10月、大夕張を訪ねて 昭和37年10月9日 大夕張全体を見渡せる場所。大夕張を出た人々が、大夕張を訪れたときには必ずここを訪れる。 祖父の思い出 【飯田雅人】 この写真にうつっているのは、私の祖父の長谷川安造です。祖父は鹿島小学校の教員(昭和13年~昭和31年)で…
ひなたぼっこ 思い出貼

ひなたぼっこ

 昭和37年頃、富士見町5丁目の下あたり。6歳と2歳の兄弟。近所の空き地でゴザを敷いてひなたぼっこ。  このあたりは、小学校入学前くらいまで過ごしていた場所である。ゴザの上に雑誌が置いてあるのが見える。当時、小学館の『よいこ』や『めばえ』という雑誌をみた記憶があるので、たぶん『よいこ』ではないかと、…
窓が埋まって よいしょ 楽しかった日々

窓が埋まって よいしょ

 昭和37年ころ  大夕張の15年間、生れてから2回引越しした。  ここは、炭鉱病院の線路を挟んだ向かい側の、富士見町5丁目のあたりだと思う。ここで生れた。  雪が多く降った。昭和13年、7歳で沼の沢から大夕張に引越してきた母などは、「大夕張ダムができてから雪が多くなった。」と、よくいっていた。  …
シューパロ湖駅と記念行事 思い出の街角

シューパロ湖駅と記念行事

白黒写真に着色した画像 昭和37年(1962年)開業 ~ 昭和44年(1969年)廃止  昭和37年、大夕張ダムの完成とともにできたシュ―パロ湖は、湖と夕張岳を望む風光明媚な観光の場所として期待されていました。シュ―パロ湖駅は高台にあり、湖水に面したホームからは、シュ―パロ湖と夕張岳、そして、三弦橋…
外遊び ドッジボール(代々木町) 楽しかった日々

外遊び ドッジボール(代々木町)

昭和38年頃。外便所前でのドッジボール。向こうに代々木アパートが見えています。代々木町から南方向を見ている。 外便所前でドッジボール  【宮内文人】(2020年8月30日)  外便所の前でドッジボールをしている様子です。  家の前はまだアスファルト舗装がなかったころで、釘さし、ビー玉、ケンパなど、と…