思い出ばなし ウサギのぴょん吉|石原賢治 鹿島小学校2年、3年の頃の話で近所のTさん宅で、ウサギを飼っていました。 そこのお兄さんによく遊んでもらってまして、ウサギが子を産んだと聞き、見に行きました。 ウサギは非常に感受性が強いのか、人に子を見られると食い殺すとかで、網には布で目隠しされて外から見えないようになってました。 … 続きを読む
大夕張の全景 八百五十 山の向こうへの思い 昭和40年頃、八百五十山頂からの大夕張。 あいにく対面の夕張岳は雲の中だが、礦業所以北の官行の工場地帯から、千年町・常盤町あたりまでの住宅地が雪の中に黒く見えている。 白黒写真に着色した画像 八百五十山頂からの大夕張 やまのむこうは? 【丸山直記】1999年02月23日 私は昭和23年6月… 続きを読む
思い出の街角 大夕張営林署 昭和40年代 錦町。 鹿島中学3年の頃、転校してきた子と仲良くなった。親が営林署勤めだった。 彼の官舎は、錦町の購買会の角から天理教会に向かう坂の中程にあった。 線路から山に向かって並ぶ住宅が段々に高くなっていく。 家の前でキャッチボールをしたことがあった。 どちかが山側で、一方が下になる。 下… 続きを読む
あらかると 明石町の歴史 明石町の辺りは以前は、戦前は農場と呼ばれ、その後、第一農場とよばれていた(第二農場は、桜ヶ丘対岸→大夕張ダムで水没)と呼ばれていた。 このあたりには、戦争前後の話として、畑地として土地をかり、笹刈りから、大根の種まき、収穫まで家族総出で荒地開墾をしながら、食料を得ていたという祖父の話… 続きを読む
思い出の街角 明石町駅 昭和40年頃、明石町駅駅舎 高橋さんが、『続大夕張つれづれ#105 明石町駅の待合室』でこの写真を見て次のように書いた。 写真の左右にある立木はポプラである。 右側のポプラのある場所には花壇があり、ヒマワリやスミレなどが植えられていた。 私は動植物には興味がないせいか、他の花についてはあまり記憶にな… 続きを読む
思い出の街角 夕張市立図書館鹿島分館 宝町にあった鹿島図書館。 写真の右下には、当時通勤や仕事で使われていた二輪のオートバイが停まっている。 この建物は、昭和35年に新築以降の建物で、自分が利用したのもこの建物。 本通りから宝町の図書館に向かって入って行くと住宅と図書館の間は、かつての住宅の跡地なのか、写真のように空き地… 続きを読む
楽しかった日々 闘犬の記憶 闘犬は、大夕張でも場所を変えて巡業のような形で何ヶ所かで行なわれていたのか、あるいは、毎年、その年によって違う場所で行なわれたのかわからない。 ある時期(昭和30年代中頃)流行り、その後すたれたそうである。 この闘犬が行なわれていた写真の場所、話によると、春日町であれば、弥生町から春日町に… 続きを読む
思い出の街角 富士見町6丁目の記憶 昭和40年(1965年)頃 富士見町 私が富士見町6丁目に住んでいたのは小学校入学前あたりから,小学校3年生の頃まで。 鹿島小学校から帰る時は、校門を出て大夕張鉄道沿いの道を歩き、そこから山の方の坂道を上った。 反対に、鹿島小学校に行くには、そこから4丁目のあたりまで坂道になっていた。鉱… 続きを読む
思い出の街角 桜荘の庭 千年町の鹿島東小学校のグラウンドを見下ろす場所に、桜荘、青葉荘が建っていた。 ここは、桜荘の庭。 小さな池に向かって一心に遊んでいる一人の少女。 その向こう、遠くに見えるおばさんのいる道路を下っていくと、東小学校だった。 中学校行のバスも走った、舗装の途切れたあたりの道路。 道… 続きを読む
炭鉱とともに 選炭場 昭和40年代と思われる。三菱大夕張炭礦選炭場。 石炭の積込みには、ベルトコンベアについている秤で、炭の量が分かり、1台に積む石炭の量は、常に同じしくみになっていたという。 大夕張炭山 選炭場『大夕張炭労 解散記念誌(s47)所収』… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和35年 遠幌駅 昭和35年 遠くに、ホームと「えんほろ」の駅名標が見えている。 下記『山史』によると、 北炭(北海道炭礦汽船)が遠幌炭鉱を開発、昭和23年に送炭を開始した。 同年6月18日に、北炭が駅舎社宅を完成し、北炭から提供を受けた。 営林署、北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱の岐線があった。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
思い出の街角 栄町1丁目の通り 昭和32年11月に栄町アパートが完成し、入居が始まった。 外便所だった炭住も内便所になったという。 見えている栄町アパートは、こちらから、1丁目14番。13番、12番。 12番の隣は、・・・昭和40年代は、空き地だった。 ここでは、古い住宅が見える。 昭和36年の大夕張上空からみた『台地… 続きを読む
思い出の街角 栄町2丁目~3丁目の通り 昭和43年頃、冬の栄町。 栄町2丁目と3丁目の間の通り。 後ろに炭砿病院。その向こうに礦業所のズリ山が写っている。 軒先に長い氷柱が下がるような寒さが続く日々の中で、ときおり訪れる穏やかな一日。 頬も凍らすような冷たい空気があたりを覆っているようだ。 白黒写真に着色した画像… 続きを読む
思い出の街角 富士見町6丁目から 昭和40年頃、富士見町6丁目の山から鹿島小学校方面をみる。 清水の遊び場 富士見町6丁目は住宅のどんづまり、礦業所のすぐそばという印象がある。住んでいた家の裏手には山が迫り、小学校低学年から中学年にかけて、春夏秋冬ここが遊び場だった時がある。 この写真の真ん中、住宅と山の境目に小さな坂が見える。 … 続きを読む
思い出の街角 メタノール工場とポンプ場 メタノール工場には、同級生の菊池くん(トシボーと呼んでいた)のお父さんが勤めていた。 近所に住んでいたこともあり、家族ぐるみで仲よくさせてもらっていた。よく父や母と、ご夫婦の故郷である四国の話をしていた。トシボーとは、中学校を卒業以来会っていないが、年賀状のやり取りは今も続いている。 遠足や遊… 続きを読む
思い出の街角 湖畔の道路とジープ 昭和40年頃?舗装化される前の鹿島道路。明石町から南部の間、昭和37年に開通したとはいえ、舗装道路になったのはずっと後のことだ。 明石町の郊外?自動車と併走するSLの走行写真で、よくみるような場所だ。 大夕張方面に向かって走る三菱・ジープ。 ジープ型の車両は、大夕張でよく見かけたタイプだ。 この… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 冬のバスと車掌さん 1965年(昭和40年)頃 冬の三菱バス大夕張営業所前で撮影された写真だろうか。 中扉の旧塗装は、千年町のいとこの家に行くときにいつもこれに乗っていた。 馴染み深い車体だ。 扉の足下についていた『クレハ』のロゴもなぜか覚えている。 車掌さんのパーマヘアもなつかしい。 この頃、こういうヘアスタイル… 続きを読む
楽しかった日々 窓の除雪 昭和40年頃、富士見町6丁目。 一番山の高いところにあった住宅。 遠くに炭鉱病院と、栄、代々木の住宅がみえる。 家族総出で窓の外の雪を取り除き、広げる作業に励む。… 続きを読む
思い出の街角 冬の栄町ブロック 昭和40年頃、雪に埋もれる栄町アパート。下の、ピリカおじさんの回想によると、栄町1丁目~2丁目の4棟だろうか(健保会館前庭の向かいあたり)。向かいのブロックの窓から身を乗り出して撮った写真と思われる。前岳の裾の方がなんとかうつっている・・・。 深い雪におおわれた、とびきり日差しが強くて、雪光の反… 続きを読む
楽しかった日々 昭和40年 バス旅行 その1 昭和40年8月14日 日付はちょうどお盆の頃、団体旅行だろうか。途中、休憩中の一コマ。 小学生から中学生の顔も見える。 白黒写真に着色した画像 バスガイドさんをはさんで?運転手さんと打ち合わせ中?… 続きを読む