月: 2020年6月

大夕張つれづれ■ 柿 ■|高橋正朝 #40 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■ 柿 ■|高橋正朝 #40

 私が大夕張に住んでいたころは、冬の生鮮果物は、リンゴ、柿、ミカンぐらいだった。  クリに関しては、大夕張で売られているのは私は見たことがなかった。クリは当時の寒い北海道でも生育した場所もあったようであるが、当時としては高価だったろう。  柿は青森が北限だったろうと思う。リンゴは、紅玉と国光しか覚え…
大夕張生協ネガホルダー 陳列棚

大夕張生協ネガホルダー

表 裏 ( 縦 9.2センチ× 横 20.9センチ )  上で二つ折り、中に薄い油紙がとじられており、そこに現像したネガフィルムを入れるようになっています。昭和30年頃ものと思われます。手書き風の『大夕張生活協同組合』の文字が時代を表わしていて、なんとも懐かしい!…
大夕張つれづれ■バナナ■|高橋正朝 #39 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■バナナ■|高橋正朝 #39

 私が生まれて初めてバナナを食べたのは、鹿島東小学校の1年生の遠足の日であった。当時は、遠足に持っていくお菓子や果物などの制限はなく、どんなものでも持っていけた。  金額的な制限ができたのは、記憶がおぼろげだが3年ぐらい後だったと思う。私が小学校低学年のときは、全国的に炭鉱の景気が良かったころだ。 …
三菱大夕張炭砿坑口地図 地図

三菱大夕張炭砿坑口地図

地図は「カシミール」で作成  坑道の名称や位置は「夕張市史s56版」「社史」を参照に作成※現地踏査したわけではありません。 坑 道名 称種類長さ大きさ斜度用途開鑿開始開鑿完了備考 鹿島ノ沢    探炭大正12年  通洞水平3050m×2敷幅4.0m 石炭搬出材料・人員輸送昭和2年…
大夕張つれづれ■鹿島東小の奇術と渡辺淳一のこと■|高橋正朝 #38 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■鹿島東小の奇術と渡辺淳一のこと■|高橋正朝 #38

 私が鹿島東小学校2年生の今頃、学校での楽しい思い出がある。  ちょっと肌寒かった日であったが、その日だけだったのか、それとも、もうその時期だったのか、よく覚えていないが、雪虫は出ていなかったので、11月にはなっていなかったと思う。   全校生徒が体育館に集められ、壇に向かってクラスごと縦列に並べら…
大夕張駅前 鹿島通運と日本通運 思い出の街角

大夕張駅前 鹿島通運と日本通運

昭和45年頃  この前の道を行き来し、何度この風景を目にしたことでしょう。鹿島小学校の帰り東側の門を出て、踏み切りを渡り、鉄腕アトムの始まる時間を気にしながら家に急いで帰った日。※ 中学に入ってすぐのある日,雨が降り常盤町行きの三菱バスに乗り,信じられないラッシュに驚いた朝 安田信託銀行前から札幌発…
大夕張つれづれ■目には目を■|高橋正朝 #37 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■目には目を■|高橋正朝 #37

 イスラム世界を舞台にした漫画を初めて読んだのは、鹿島東小学校2年生のときだった。  同じ明石町番外地に住んでいた同学年の、記内清司さんの家に行ったとき、 秋田書店の冒険王があり、その雑誌に福島鉄次の「 沙漠の魔王 」という絵物語が載っていた。  その絵物語は全ページ色つきである。  主人公は、魔王…
昭和22年 桜ヶ丘 航空写真 開拓・白金

昭和22年 桜ヶ丘 航空写真

昭和22年(1947年) 南部、二股に大夕張ダムが出来る前。戦後まもなくシューパロ川に沿った台地に開拓団が入った。桜ヶ丘とよばれた。台地に走る森林鉄道や道路のような筋が上空からも確認できる。 昭和22年 国土地理院空中写真…
協和会館(昭和20年代 子鹿物語) 思い出の街角

協和会館(昭和20年代 子鹿物語)

1946年制作の米作品。昭和30年代、TVでも、アメリカTVドラマが放送されていて数多くみましたが、名犬ラッシーなどとともに見たような気がします。 『子鹿物語』は、日本公開1949年6月ということなので、協和会館での上映は昭和25年頃でしょうか。『OYUBARI協和會館』の看板と『総天然色映画』の文…
大夕張つれづれ■戒律■|高橋正朝 #36 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■戒律■|高橋正朝 #36

 イスラム世界のことは、日本に馴染みがないせいか、我々が子供のころは授業で触れることは少なかった。  それでも中学生のころ知ったイスラム教のことで、もう一つ強烈な印象としては、四人まで正式に妻を娶ることができる、というのがあった。  私が中近東に住んで実際に見たケースでは、3人というのが1例だけあっ…
山車 山神祭 街の行事

山車 山神祭

昭和44年6月15日 太鼓と笛と三味線の演奏のようです。祭りの音が町内に響き渡ります。奥に炭砿病院の建物が見える。栄町から北方向に向けて撮った写真。『みどり』と書かれた提灯がかかる。緑町の山車だろうか。トラックには、○運 鹿島通運のマーク。…
大夕張つれづれ■イスラム世界■|高橋正朝 #35 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■イスラム世界■|高橋正朝 #35

 鹿島東小学校、鹿島中学校、それから夕張工業高校、札幌工業高校、東京都立小石川工業高校定時制の社会科・歴史の授業では、イスラム世界の記述として有名なものでは「 ヨーロッパによる十字軍の攻撃 」、「 右手にコーラン、左手に剣 」というのがあった。  「 右手にコーラン、左手に剣 」というのは、現在の歴…
大夕張つれづれ■サハラの習慣■|高橋正朝 #34 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■サハラの習慣■|高橋正朝 #34

 イスラム世界といっても、 マレーシア、 インドネシア、 ブルネイなどは、 密林があり、 緑が多い。  サハラ沙漠は、 オアシスだけに緑があり、 他は沙漠と土漠である。  沙漠とオアシスという言葉を知ったのは8歳ぐらいのときか・・・・・・ ♪ 月の砂漠を~はぁ~るばぁると~ ♪ というのは8歳の時よ…
炭砿病院 思い出の街角

炭砿病院

 昭和20年代でしょうか。病院も新築してから間もない様子。整備されていた病院前の花壇もまだ整備途上にある様子です。  病院というと、普通は事故や怪我、病気など印象の良くない場所であろうと思います。  自分にとっては、薬剤師であった父の職場でもあり、父の入院先でもあり、最後を迎えた場所。小さかった自分…
大夕張つれづれ■中学の授業■|高橋正朝 #33 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■中学の授業■|高橋正朝 #33

 私は、今バンコクの8階建てのアパートの8階に住んでいます。  12時から12時半まで、用事がないときはいつもベランダから外を眺め、 駐車場の車や、 電柱や街灯の影を眺めています。  12時半になると昼食に出かけます。  4月27日12:16、バンコクの垂直線上の真上に太陽がきます。  そのときは、…
山神祭(炭砿病院前) 思い出貼

山神祭(炭砿病院前)

昭和40年頃  白いジープの救急車  【飯田 雅人】  6月14,15,16日の3日間に行われた山神祭。炭砿病院前を行く御輿が、炭砿病院の前を過ぎようとしています。  背景の建物は、救急車が格納されたいた車庫です。  子どもの頃、父の職場の病院には、よく遊びに行きました。職員の方みなさんよく相手をし…
大夕張つれづれ■スリの手口■|高橋正朝 #32 大夕張つれづれ

大夕張つれづれ■スリの手口■|高橋正朝 #32

 一昨日の日曜日に、BTS( 高架鉄道 )のプロンポンという場所に行きました。この駅の近くに日系のスーパーがあり、それが呼び水となって、この近辺に日本語書店や古本屋、居酒屋、ラーメン屋などが並んでいます。  スーパーに行くために、駅から続いている歩道橋の手すり側を歩いているとき、後ろから誰かが私と手…