思い出ばなし 羆に脅かされ羆に助けられた話|ふぉんていん はじめまして、匿名にて失礼します。小生、緑町で生を受け(産婆さんは池田さんと仰る方です)、東高卒業まで大夕張に在住しておりました。 「大夕張掲示板」に邂逅し、望郷の念で筆を執らせてもらいました。 昭和四十年代前半だったと思いますが、シューパロ湖畔で飼われていた羆が脱走したことがありました。ハンタ… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 鉄道切り替え工事 昭和30年代、二股ダム(大夕張ダム)建設にあたり、鉄道の山側への切り替え工事が行われていました。下に見えるのは、鉄橋のあとだろうか。 山史に移設工事の記述があります。 https://ooyubari.com/2020/04/18/yamasi-8/… 続きを読む
本棚 わたしたちのゆうばり(昭和38年・昭和44年) 昭和38年版(復刻)昭和44年版わたしたちのゆうばり 【書 名】 郷土読本 わたしたちのゆうばり 【発 行】 夕張市教育研究所 【本の紹介】 『ちょうどその時,古い形をしたきゃくしゃが入ってきました。(中略)「大夕張てつ道だ。鹿島へ行く汽車だよ。」』で始まる大夕張地区の紹介。 小学校の社会科… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前通り 大夕張駅前から弥生町、春日町方面。左手前から郵便局、ガソリンスタンド、吉井薬局…、池田食堂などの商店街が、協和会館まで続いていました。人通りも多く賑やかな様子が伝わる貴重なカラー写真です。 右手には、呉服屋、大夕張生協などがありました。 何軒かの飲み屋さん。残念ながら、少年期の自分には無縁の世… 続きを読む
訪問記 1998年12月 大夕張冬景色|長谷川潤一 ●は撮影地点 山の冬景色(官行)栄町から冬のズリ山大夕張駅前歩道橋大夕張神社雪の鹿島小校庭岳富町千年町常盤町白金明石町方面98年 大夕張冬景色 (撮影:1998年12月30日) 本当に誰もいない大夕張の冬になりました。いったい、あのポストに手紙を出すのは誰?・・・・。 風にのって降ってくる雪の音が聴… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和56年 遠幌駅 昭和56年11月 遠幌駅 【奥山道紀】 2000年03月28日(火)21時29分36秒 遠幌駅の建物は他の駅と異なり北炭からの寄贈でした。 いまでも駅跡の近くに残る休園中の「遠幌保育園」の建物は 旧北炭遠幌炭鉱の事務所であり、周囲の住之江町や岳見町も 北炭の炭住街でした。 遠… 続きを読む
交通関係 三菱大夕張鉄道 社内乗車券 有効期限:昭和48年4月1日~昭和48年9月30日まで 12枚綴り:(1)~(12) 従業員に配布されていた乗車券。 同じく、栄町で配布されたもの https://ooyubari.com/2020/08/08/jyosyaken/… 続きを読む
訪問記 大夕張の樹木 1999年(平成11年)10月24日、シューパロ塾主催の『樹木説明会に参加しました。「道立林業試験場」の北川建雄さんのお話を聞きながら大夕張をまわりました。その時のお話からです。 開通したばかりの道東道を夕張ICまで。北広島を過ぎ、追分を過ぎる。 上下一車線とはいえ、車の流れもスムーズで札幌を… 続きを読む
訪問記 2004年 8月の大夕張|桂 旧南大夕張駅シューパロ湖と三弦橋白銀橋白銀橋より白銀橋 空旭沢橋梁鹿島小学校 跡地鹿島小グラウンドイタヤカエデ前岳街の跡 街の跡②2004年(平成16年) 8月の大夕張… 続きを読む
思い出の街角 礦業所所長宅前 山神祭 昭和44年 6月 富士見町3丁目。鉱業所所長宅前。当時は、望月所長だったでしょうか。 正面の建物は礦業所の倶楽部。右手に木々がこんもりと繁るところは、倶楽部の庭にあたります。蓮の花が咲く池や、手入れの行き届いた芝生があり、板塀が張り巡らされていました。下の隙間から良くのぞき込んでいた覚えがありま… 続きを読む
映像 昭和48年 SLさよなら列車 昭和48年12月、三菱大夕張炭鉱は、三菱高島炭礦と合併し、三菱石炭鉱業株式会社としてスタート。南大夕張-大夕張炭山間の区間は役割を終え、廃止されることになりました。16日、大夕張炭山~南大夕張駅間9.6km部分廃止され、28日,清水沢-南大夕張間で、「SLさよなら列車」が運行されました。 4分弱… 続きを読む
陳列棚 南部小学校閉校記念テレカ 1990年(平成2年) 南部小学校閉校記念のテレフォンカード 巡り会った母校 【福原勝枝(旧姓)】(2007/01/31(Wed) 23:10) さがして、さがして、やっと会えました! 私の故郷南部小学校、37年ぶりです。胸がいっぱいになりました。 今は跡形も無いと聞いて寂しいばかりです。幌… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和14年 大夕張尋常高等小学校 集合写真 昭和14年(1939年) 10月 大夕張尋常高等小学校(鹿島小学校) 写真の日付にある昭和14年10月、日中戦争から太平洋戦争へ突き進む世の中、19日には、最初の朝鮮人労働者177名が入山し、大夕張尋常高等小学校の人数も増え、校舎が増築(教室14・東側便所 使丁室その他546.75坪 学級数29,… 続きを読む
炭鉱とともに 北菱炭鉱ポケットより北夕炭鉱ポケットを望む 北菱炭鉱ポケットより北夕炭鉱ポケットを望む 【奥山道紀】 2003/04/23(Wed) 23:11 遠幌・南大夕張間の光景です。 この炭鉱のベルトコンベアの下をくぐると大夕張が間近に感じました。 北夕は昭和45年、北菱は昭和47年の閉山です。幌南中学が近くにあります。 地底での汗の結晶 【村田… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅から 清水沢方面 昭和40年頃。 この写真は、左手に遠幌駅の駅舎があり、ホームの向かい側から清水沢方面に向かって撮影されたもの。 線路の先には清水沢清湖町のアパート群が立ち並んでいます。 昭和48年『塩狩峠』(三浦綾子原作・松竹映画)の撮影が三菱大夕張鉄道を舞台に行なわれました。その際,映画の冒頭遠幌駅ホームが… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅から 南大夕張駅方面 昭和40年頃。 南大夕張駅方面を写した写真。 昭和15年木材積み出しの停留所としてスタートした遠幌駅ですが、北炭遠幌炭鉱の開鉱など、戦後は石炭の送炭も開始されました。 それに伴って,農地が主だった遠幌も炭砿の従業員の炭砿住宅など多くの家々が軒を並べにぎやかになっていきました。写真は木材積込み… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代 遠幌駅前 車窓の風景 【飯田雅人】 三菱大夕張鉄道の遠幌駅前の写真ですが,この風景は昭和40年頃、札幌-大夕張間を走ったバスの車窓から何度も見た印象の印象が強く残っています。 清水沢から左に道が折れて,このあたりまでくると山がぐっと集落の両側に迫り大夕張の圏内に帰ってきたという思いをもちました。写って… 続きを読む
思い出の街角 神社から泉町・鹿島東小学校方面 昭和30年頃 神社より一段したのあたりからとった写真だろうか。手前の緑ヶ丘のあたりがよく見えている。 列車が大夕張駅を出発したところで、進行中。まだ岳富町の商店街も出現していないようです。(建設中のようにも見えます)鹿島小学校も木造校舎のようです。 下は同じ方向を見た写真。 https://ooyu… 続きを読む
思い出の街角 昭和52年 栄町商店街(理容フレンド前から) 昭和52年6月 理容フレンドの角から、栄町商店街の方を見る。奥に三菱購買会。 昭和52年6月の写真。閉山後4年ほど経った時期。 お祭りの飾りつけなどもありまだ多くの住民の人が住んでいた。 この頃、鹿島は3000人ほどの人口であった。 反対側から『理容フレンド』を見た写真。 https://ooyub… 続きを読む
思い出ばなし 幼稚園の思い出|工藤 央 色々思い出に関してかかれていますが、私もひとつ思い出したことを書きます。 昭和44年頃だったと思います。 当時風邪をひきやすい体質だった私は(今は頑丈すぎるくらいです)、数日間幼稚園を休んでいました。しかし熱も下がり体調も良くなったので、久しぶりに幼稚園に行くことになったのです。 しばらくぶ… 続きを読む