随想 1978年・大夕張・再会 |斎藤敏幸 私は、閉山の前年に当たる1972年3月に夕張東高を卒業しました。 閉山後両親は、函館に居を構えました。 そのためか、大夕張に帰る機会もなく数年が過ぎてしまいました。 大夕張と再会できたのは、1978年の7月でした。 当時私は、釧路に住んでいましたが、職場の研修で札幌に出た時、帰ることができ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 村山貢 先生の色彩の授業 |高橋正朝 #21 前回、「 電光オズマ 」の稿で、コラージュのことに触れ、村山貢 先生のお名前を出しました。 それで、村山 先生の授業のことを書き始めたら、表題とは無関係な内容の文章が長くなってきたので、その部分は打ち切り、次回、即ち、ここで書くことにしました。 村山貢 先生を初めて見たのは、鹿島… 続きを読む
思い出の記 八百五十スキー宿泊 |Kawauchi Masami 大夕張から、八百五十山頂。赤い線は、神社裏からの尾根伝いのルート。冬に八百五十のゲレンデに行くには、鹿島小学校裏から、宝の沢に沿ってのルートがあった。八百五十のゲレンデは、山頂直下の急斜面の下の緩やかな傾斜地だった。その傾斜地の途中にヒュッテがあった。 (目 次) 準 備 出 発 山小屋… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年頃 千年町駅ホームにて 千年町駅ホーム、手書きの文字の駅名板が懐かしい。 昭和37年の道路開通まで陸の孤島だった大夕張。駅名板には郷愁を覚える方も多いのでは。 白黒写真をカラー化した写真 昭和40年頃、千年町駅ホームにて ↓同じ頃、大夕張駅ホーム https://ooyubari.com/2021/01/07/ooyuba… 続きを読む
思い出の街角 昭和28年 富士見ヶ丘スキー場 昭和28年頃、「スキー場」と云えば、ここのことだった。正式には、富士見ヶ丘スキー場というのだそうだ。左手に大きなジャンプ台があった。この写真にもそれが写っている。中腹の小屋が見えているあたり。 https://ooyubari.com/2020/02/13/gakurokunosatofujimi… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年頃 大夕張駅ホーム 昭和40年頃、大夕張駅ホーム。 のんびりとしたある晴れた日の大夕張駅ホーム。後ろの木立の向こうに、鹿島通運、郵便局などの建物が見える。駅業務の合間の一コマだろうか。 白黒写真に彩色したカラー写真… 続きを読む
思い出の記 昭和44年 修学旅行の思い出 | Kawauchi Masami 昭和44年(1969年)6月、鹿島中学校修学旅行。 車内に入って来た、担任の西田先生です。 私たちは、層雲峡、川湯温泉、阿寒、原生花園などへ行きました。 友達が、川湯温泉だったと思いますが、温泉のお湯を飲んでしまい、次の日、声が出なくなってしまった事が有りました。 原生花園へ行った時、オホー… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和44年 鹿島中学校修学旅行(道東方面) -三菱バス- 昭和44年(1969年) 鹿島中学校の修学旅行のひとこま。旅の途中、休憩時間でしょうか、土手の上で、弁当らしきものを広げている男子中学生の姿もみられます。写真の左手に、休憩所でもあるのでしょうか?それにしても今に比べると未整備な感じがする場所です。 鹿島中学3年生だった私は、当時、修学旅行を控え… 続きを読む
随想 トルコ | 古山園美 10年前、初めてトルコに行きました。 かの有名なカッパドキアにある町に行った時、『大夕張の匂い』を感じました。 それは、街じゅうでたく、石炭のにおいだったのです。 そして、うす紫色の石炭の煙の中に沈んでいるような、夕暮れの町は、まるで大夕張でした。 そして、去年の夏、『20世紀最後の皆… 続きを読む
思い出の街角 崖のジャンプ台-春日町 直心の坂- 昭和35年頃 代々木町から春日町にかけての坂道を利用したジャンプ台 崖のジャンプ台。 今さんのアルバムから掲載させていただいている写真の中の一枚。『崖のジャンプ台』は、春日町の詰所裏のジャンプ台の写真ではないでしょうか。 これまで話に聞いていたジャンプ台が写った写真と思われます。 昭和30年代こ… 続きを読む
思い出ばなし 『松・竹・梅』&『ゆり』|ziny お正月に「松竹梅」という言葉を耳にすると、小学校時代を思い出します。 鹿島小学校の『組』の名前です。 ・・昭和30年代は、 「松・竹・梅・櫻・菊・桃・藤」 という名前だったと記憶しています。 「すみれ」もありました。 団塊世代では「桐」もあったと思います。 50~55人前後の生徒数。6学年… 続きを読む
運んだ、石炭を人を シューパロ湖畔のラッセル 昭和47年(1972年) 冬。大夕張鉄道・キ1が、青空の下、シューパロ湖畔を進行中。 左手のシューパロ湖も凍結し、新雪に覆われています。美しい風景の中を羽根を広げ、悠然と雪を書き上げながら走ります。 ラッセル車現役の頃 【長谷川 潤一】 1998年11月30日 南部に置いてぼろぼろになってきたラッ… 続きを読む
街の行事 しめ縄・しめ飾り 昭和40年代 お正月には、各家庭の、玄関先にしめ縄、しめ飾りが飾られた。 『遥かなる思い出の故郷』からの白黒写真に色付した写真 『遥かなる思い出の故郷』より しめ縄・しめ飾り 【Masami Kawauchi】(2020年4月15日) お正月、玄関の細い縄に、半紙を、切って折って、親父が、付け… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 新雪 大夕張駅発 昭和46年冬 (1971年)1月。新雪のあと、晴れた日の午後。空高く煙を吹き上げ、客車と石炭車をひいた列車が出発します。 大夕張駅の屋根の向こうには、雪を被って真っ白な、ずり山が見えています。 泉町(宝沢)の方から、駅に向けてとった写真で、泉町からの小道も除雪してありますね。 白黒に色付した写… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 松本あきら(零士)の『電光オズマ』|高橋正朝 #20 松本あきら が若いころ描いたマンガの主人公の少年少女は、眼に特徴があった。 少女マンガの主人公は可愛く描かれ、眼が大きく描かれて、内容もポエムっぽかった。 少年マンガは、SF ものや、戦争ものがわりと多かった。 鹿島中学校2年生のときに、明石町に住んでいた誰かから、少年マンガ雑誌『 … 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和47年 しめ飾り列車 昭和47年 冬 左手の住宅は、プール裏手の富士見町だろうか?撮影場所は不明。身を乗り出している機関士さんは、撮影者の長谷川少年を見つめているのだろか。 長谷川さんの写真に色付をしたカラー写真 しめ飾り列車 【長谷川 潤一】(1998年11月30日) 「〆飾り」はナンバープレートの下のハンドル部分に、… 続きを読む
思い出ばなし この日を迎えると・・ | jun 思い出されるのは大夕張に生きていた当時の頃。 しばれたね~ 大晦日は家族団欒。 ミカン箱、裸まいり、除夜の鐘。 厳かな雰囲気とウキウキした気分が融け合っていました・・ 年が変って元旦の朝。 湯たんぽから洗面器に水を移して顔を洗い、最初は両親に挨拶。 みんなで神棚にご挨拶。 お年玉を… 続きを読む
随想 アオタン |内川准一 「千葉県君津市は自分の同期生がいまして、高校卒業以来、約30年同じ職場で勤務しているんですが、この街はカナリ大夕張出身者が多いんじゃないかな?」 ヒロさんの、この文章を読んで、あることを思い出した。 千葉県君津市と東京都の一部では、以前から北海道方言「アオタン」が通用する。と言うこと。 … 続きを読む