炭鉱とともに 炭労東京へ 昭和41年、日本炭鉱労働組合(炭労)が行っていた石炭政策転換闘争。 東京で行われた抗議集会に全国から多くの炭砿労働者が集まった。大夕張炭鉱労働組合として参加した、東京での記念写真。 白黒写真に着色した画像 炭労抗議集会へ参加の際 集合写真 (東京 日比谷公園) 父の写真 【成田利夫】 確か昭和4… 続きを読む
写真 鹿島橋とふきのとう 2002年春 木立の間から、鹿島橋が見えた。 足下には、ふきのとうが顔を出す。夏に生い茂るイタドリはまだ伸びていない。 常盤町の鹿島中学校からの帰り道、この辺りは序の口だ。 橋を渡ると、鹿島東小学校、そして千年町の本通り。 まだまだ家は遠かった。 鹿島橋を常盤町側からみる… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街 -荒川商店・あいば食堂- 長谷川さんの『食憶』に残る駅前商店街を含む「あいば」さんの思い出から。 閉塞的社会環境の食文化論 【長谷川 潤一】(1999年7月26日) 「バクダン」の匂いで、私めの食欲というか大夕張での食憶がムクムクと・・・。 ・あいばさんの5円アイス。 少し辛目のカレーやカツ類などが美味しかった。 ・池田屋… 続きを読む
写真 大夕張の桜 -神社山遠景- 1997年(平成9年)5月 鹿島小学校グラウンドから いつのころから、誰が呼んだのか、『神社山』。 平坦な丘に続く階段のさきに、大夕張神社があった。 グラウンドから見える場所には、幼稚園や教会の建物があり、テニスコートは、大人だけでなく毎年の中体連でも使われていた。春の運動会には、大勢の父母… 続きを読む
思い出の街角 北海道労働金庫 大夕張支店 戦後、発足した北海道労働金庫大夕張支店。 大夕張炭砿労働組合事務所のとなりにあった。協和会館がそばにあり、駅前通りに面していた。 このあたりも大夕張のもうひとつの『顔』だった。 大夕張支店は、昭和49年10月5日、清水沢宮前町に夕張支店に新築移転した夕張支店に統合された。 夕張市史の記述によると、昭… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅頭 見送り 昭和32年4月26日 大夕張駅にて。 白黒写真に着色した画像 大夕張駅ホーム、見送る人たち 大夕張駅 見送り風景 【飯田雅人】(2020年11月27日) この写真は、祖父が鹿島小学校から転任して同じ夕張市内の富野小学校に向かう時のものです。 この日は、4月下旬だというのに天候はよくなかったよう… 続きを読む
思い出の記 大夕張礦業所機械工場の思い出 |Kawauchi Masami 1997年 夏 イサオ製作所 大夕張のイサオ製作所、元は三菱鉱業所の機械工場でした。 昭和45年、私が16歳の時、初めて働いた工場でした。 この工場は、製作機械が有って、旋盤や、色んな機械が有りました。 機械自体には、動力(モーター)など、付いておらず、 工場の端に、大きいモーターがあ… 続きを読む
楽しかった日々 学生帽をかぶった小学生 昭和41年 白黒写真に着色した画像 鹿島小学校修学旅行 当時は登別温泉で宿泊、洞爺湖を巡る旅行だった 鹿島小学校6年生の修学旅行のひとこま。小学生も学生帽をかぶっていました。鹿島小学校の帽章がついています。 黒い学生帽に白いカバーをつけて日よけにしている家庭もありました。今では学生帽をかぶった小… 続きを読む
写真 大夕張礦業所跡の桜 1997年5月 大夕張礦業所跡に建物は残されていた。当時は、イサオ製作所の施設として利用されていた。 1997年(平成9年)は、6月に鹿島小学校閉校式が行われた。その年の5月。 大夕張礦業所跡に咲く桜 富士見町から 以前もどこかで、書いたが、この池は、閉山前は池ではなかった。 崖を降りるとここは… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街 サンワ・十八番 鹿島小学校郷土室の写真の中の一枚。 鹿島小学校郷土室の中には、多くの写真が保存され、展示されていた。 その中に、大夕張の街並みを写した一連の写真のシリーズがあった。 そこには、「炭鉱が閉山になると聞いて、昭和48年の夏、鹿島小学校の先生たちが、街がなくなってしまうかもしれなという気持ちで、写… 続きを読む
交通関係 三菱(鉱)バス 山内線 路線図(路線・停留所名) この路線図は、今から20年ほど前に、『まっぷっぷ』という地図作成ソフトを使って作ったものだ。川や道路の曲線部がカクカクと表示され、今ならもっと滑らかな曲線を描けるのだろうが、当時は、簡単に、川の上に橋を架けたり、線路や道路も綺麗につないで地図を作成することができるので、たいへん便利だった。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 明石町の生協 | 高橋正朝 #36 例によって、飯田さんが編集した写真をコピペ。 昭和43年明石町住宅地図 前回、明石町の生協について書いたところ、掲載する前に、飯田さんからメールが入りました。 昭和43年明石町住宅地図 に載っている 詰所 のすぐ斜め左下に、黒地に白抜き文字で、大夕張生協明石支店?T237? … 続きを読む
思い出の街角 大夕張生協 昭和48年閉山の夏。 閉山直後に撮影された写真は、『ふるさと大夕張』に掲載されていたが、これらの写真は、鹿島小学校郷土室にあった写真。 郷土室にあったそれらの写真の説明では、『閉山により街の姿が大きく変わることを予想し、記録を留めておくために鹿島小学校の先生が撮影してまわった』と書かれていた。… 続きを読む
楽しかった日々 大夕張神社 花見 のんびりとしたなんとも言えぬなつかしさが伝わってきます。 大夕張の春は5月になってから。 その頃になってようやく春らしく温かい日ざしを感じることができるようになります。桜や梅の花,スイセン,チューリップといった花がいっせいに咲き始めます。 そんな晴れた休日の一こまの風景。町内でしょうか、職場… 続きを読む
思い出の街角 岳富町の坂 (緑町から岳富町方面) 昭和48年頃、岳富町方面。 ここは、かつて宝沢と呼ばれる沢地だった。 父母の年代は、岳富町と呼ぶより、『たからざわ(宝沢)』と呼ぶ方がしっくりしていただろう。 昭和40年代、少年たちが自転車にのって、町を走り出した頃、駅前から千年町方面にいくには、この坂道を風をきってとばしていた。車は滅多に通… 続きを読む
楽しかった日々 明石町 鯉のぼり 昭和40年頃 白黒写真に着色した画像 お父さんに肩車。青空がまぶしい。 鯉のぼり 【工藤 央】 これは教員住宅、工藤の家の前(校門脇)に飾った鯉幟です東高生の中には昭和40年から45年はこれを見て通った方もおられると思います。… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街から大夕張駅 昭和45年から閉山の頃にかけての撮影のようだ。 昭和45年頃、大夕張生活協同組合と鹿島旅館との間の道路中央に立って大夕張駅を正面に見ている写真。 写真を大きくして、看板を読んでいくと、左手が生協から、長塚呉服店、幸寿司、食堂『十八番』。 右側が、『ときわ』、バーエルボン、喫茶ポニー、時計眼鏡… 続きを読む
白地図 昭和38年地図 泉町 昭和38年泉町の地図に、色鉛筆で着色済み。 とりあえず、カテゴリーは白地図に入れておきます。 もし作品をつくったり、着色したものが増えてきたらまた別なカテゴリーを作ろうと思う。 昭和38年 資料(鹿島のあゆみ掲載地図を修正 着色)… 続きを読む