月: 2021年10月

栄町の通り 思い出の街角

栄町の通り

 大夕張の写真を見ると「ここはどこだろう」と、まず最初に、自分の記憶と写真の場所を結びつけようと頭の中で考える。  当然、限られた体験の中で、知ってはいるけどいったことがない場所や、知らない場所が多い。  この写真は、見たとき、「あ、あそこだ」とすぐに思えた場所、のはずだった。    富士見町6丁目…
父の事故 |内川准一 随想

父の事故 |内川准一

 昭和35年の夏のこと、採炭夫の父は2度目の事故にあった。  大夕張の夏祭りの夜のことだった。   代々木町のアパートの間に架けられた巨大スクリーンで、屋外映画を見ていた私と妹は、会場内放送で呼び出された。   何故呼ばれたのかは、炭鉱の子供にはわかる。    詰所の人が、 「お父さんが(発破)事故…
北海道弁••••••ピーマン|高橋正朝 #61 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••ピーマン|高橋正朝 #61

   ピーマンは、私の好物な野菜だ。  たしか、『 クレヨンしんちゃん 』のマンガだったと思ったが、ピーマンを食べない『 しんちゃん 』に、食べさせようとする母親の『 みさえ 』とのバトルがあった。       子どもが、ニンジンが嫌いだの、ホウレン草が嫌いだのという場面を、マンガやテレビのホームド…
NHK放送局中継局看板 常盤町 思い出の街角

NHK放送局中継局看板 常盤町

 常盤町にNHKのTV放送塔ができたということで、「テレビの映りがよくなる」「チャンネルが変わる」みたいなことが話題になっていたような気がする。  下にアンテナの前に立っていた写真。その下に、併せて写真に書かれていた文字をおこしたが、何ヶ所か読み取れない文字があり、?で表した。  まあ、常盤町の坂道…
『熊撃ち』の写真 後日譚 2丁目3番地

『熊撃ち』の写真 後日譚

https://ooyubari.com/2021/06/21/kumauti/?hilite=%E7%86%8A%E6%92%83%E3%81%A1  以前、『熊撃ち』と題する鹿島小学校の郷土室にあった古い一枚の写真を掲載した。 (その写真は、上のリンクから見ることができる。 また、この記事の一番…
母の大夕張への思い|二木 晃 随想

母の大夕張への思い|二木 晃

 私の母は、当時、炭砿病院の隣にあった「家政塾」の和裁と料理の先生をしていました。  平成十二年に、名古屋のわが家で亡くなりましたが、時折、大夕張の生活を懐かしみ、短歌に記しておったようです。  先日、遺品を整理していたところ、大夕張への思いをつづった短歌数編が出てきましたので、拙いものですが、供養…
栄町浴場前 思い出の街角

栄町浴場前

 栄町2丁目と3丁目の間の通り。  『リハツパーマ』の位置から、『右向け右』して数メートル移動した視点。   道路の先に児童会館と荒川商店の建物が見えている。  この頃の写真にしばしば映り込んでいる大浦貞助氏の看板・・・・。  氏は、大夕張炭労の書記長を務め、昭和46年(1971年)の北海道議会議員…
1999年の同期会 | 中島早苗 訪問記

1999年の同期会 | 中島早苗

 私は現在、栃木県真岡市に住んでいます。  鹿島中学校第26期卒業生です。  飯田さんの二期年下で栄町に住んでいました。(旧姓鈴木です)   1999年、7月18~19日に、夕張の『ふれあい』で一晩中かけての同期会に参加してきました。   更谷正博先生、藤田宗義先生、斉藤宏先生、山村金太郎先生、高田…
リハツパーマ 思い出の街角

リハツパーマ

この写真は、閉山後のものと思われる。 昭和49年頃だろう。 建物と一体化した高さのある壁面に、ひときわ大きな文字で描かれた『リハツ パーマ』の文字。 炭砿住宅が建ち並ぶ中、非常に目立っていた理髪店。 昭和32年のこのあたりの様子は『栄町2丁目17番』で見ることができるが、栄町浴場のすぐ東側にあった。…
MY HOME TOWN | J 随想

MY HOME TOWN | J

 最近、時折聴く曲に、福山雅治さんの「18(エイティーン)」があります。  「MY HOME TOWN」の曲を、いつか歌いたいと思っていながら、若い時期のこれまでは歌えなかった曲とのことです。   聴くたびに、若いときの思い出と、ほろ苦さと、ふるさと大夕張が、思い出されます。    宣伝ではありませ…
おんぶ 楽しかった日々

おんぶ

 おんぶ紐で背負われている私は、昭和31年の3月生まれだから、その年の秋ころか。母は、26才の年。    先日、高橋正朝さんの『続大夕張つれづれ#60』の『融けかかったアイスキャンデー』を読んで、子どもをおんぶって遊びにくるオバさんの姿を想像していた。  最近は近くのスーパーに買い物に妻のお供で出か…
大夕張を訪ねて|森雄司 随想

大夕張を訪ねて|森雄司

 三重県生まれで、三重県育ちの僕が、大夕張を訪ねたのは、9月中旬で偶然の出来事でした。  僕と妻は、「幸せの黄色いハンカチ」のファンで、そのロケ地を訪ねた後、富良野に向かい国道452号線を走っていました。  除雪車のような機関車が置いてある所を少し走ると、人気の無い町があり、カーナビはそこが鹿島であ…
三菱大夕張炭砿映像と社歌 映像

三菱大夕張炭砿映像と社歌

三菱大夕張炭砿当時の映像。 1998年頃、よく『ダム湖に沈む街大夕張』的な映像で当時の8ミリフィルムの映像が流れていた。 これもそのうちの一つかと思うが、いつか、それらの映像を一つにまとめて見たいものだと思う。 YOUTUBEチャンネルのarchiveさんは、元大夕張の住民と思われるが詳しくはわから…
八百五十の歌詞など | 早坂治敏 随想

八百五十の歌詞など | 早坂治敏

 前回の投稿から6ヶ月ぶりに投稿します。  この間、転勤やらで、ご無沙汰しました。   現在は富山に在住です。    転勤してから、立山連峰の山々に登っております。   浄土山、雄山、大汝山、真砂岳、別山、剣岳等々です。   夕張岳には昭和37年に登っています。    同じく八百五十にも昭和37年の…
鹿島小学校 写生  学び舎の思い出

鹿島小学校 写生 

 昭和38年頃の鹿島小学校の校外での学習風景。  右下の家並みは、富士見町。  啓心寮の建物から倶楽部の庭がある。その前の住宅から、4丁目~5丁目が写り、高い煙突が立つ砿業所の建物、工場群までが見えている。  遠くの山には、まだ白い雪が残り、5月くらいのころだろうか。丘の子どもたちのには、まだ冷たい…
妙法寺(日蓮宗) 思い出の街角

妙法寺(日蓮宗)

沿 革  【所在地】   夕張市鹿島一番地千年町  【創立年月日】   昭和14年7月14日  【寺号公称】   昭和27年4月12日  【本 尊】   日蓮上人尊上の大曼荼羅  【歴代住職】   鍋谷寛明(開基)・鍋谷寛恭・泉水慎道  【檀徒総代】   井出豊平・永原久弥・大井鉄平・帯向与三・永原…
サイレンの音を聞くと・・・・|野崎昭雄 思い出ばなし

サイレンの音を聞くと・・・・|野崎昭雄

「思い出貼」-「音の風景」の「サイレン」を聞くと、重苦しい雰囲気を思い出します。  鹿島小学校の授業中に、単発のサイレンを聞くと、定刻の知らせと安心しましたが、突如、連続して鳴りだすと、沈痛な雰囲気となりました。  定刻以外で連続して鳴りだすと、炭坑(ヤマ)が崩れたか、ガス爆発が発生したという合図だ…