2丁目3番地 昭和38年 札響 鹿島中学校 訪問 先日散歩の途中、近所にある札幌市の生涯学習センターの図書コーナーに、ふらりと立ち寄った。 その時、偶然書架の『札幌交響楽団五〇年史』という本が目にとまった。 そういえば、以前丸山直記さんの投稿で札幌交響楽団の話があったことを思い出して、手にとってみた。 タイトル通り、札幌交… 続きを読む
あらかると クマが出没 おおさわぎ 秋になると、羆は餌を探しに里に下りてくる。 山の寝穴に引き釣り込まれたら最期生きてはもどれないとと大人達に言われていた。 大夕張の子どもたちは、けっして山の懐深くには入らないようにと、周囲の大人達から言い聞かされた。 この時期、9月から10月にかけて、餌を求めて熊が山から降りてきてことはあったよ… 続きを読む
2丁目3番地 鹿島眺望公園 『大夕張の看板』 2022年9月22日。 鹿島眺望公園にこれまであった夕張岳の看板に加えて、もう一つの看板が設置された。 『ダムに沈んだ大夕張』 もう一つの看板と同じく、ユウパリコザクラの会が作成、設置したものだ。 作成にあたり『ふるさと大夕張2丁目3番地』からも微力ながら協力させていただくことができた。 そ… 続きを読む
2丁目3番地 滝ノ沢岳/前岳/夕張岳 子どもの頃から見慣れた夕張岳の姿。 子どもの頃、あの尖った一番高く見えるのが夕張岳だと思っていたのに、平らでテーブルのような奥に見えるのが夕張岳だったという、かわいい誤解。 夕張岳を後ろに従え前に立つ前岳。 その凜として威厳ある立姿は好ましかった。 「覚えている夕張岳の絵を描きなさい」 … 続きを読む
あらかると 明石町の歴史 明石町の辺りは以前は、戦前は農場と呼ばれ、その後、第一農場とよばれていた(第二農場は、桜ヶ丘対岸→大夕張ダムで水没)と呼ばれていた。 このあたりには、戦争前後の話として、畑地として土地をかり、笹刈りから、大根の種まき、収穫まで家族総出で荒地開墾をしながら、食料を得ていたという祖父の話… 続きを読む
2丁目3番地 鹿島小学校記念写真帖(記念アルバム) 昭和28年(1953年)に配付された鹿島小学校の25周年記念アムバム。 鹿島小学校、開校25周年を記念して作成された『昭和28年学校概要』には、行事予算として記念写真帖(記念アルバム)の項目が、とられている。 当時、5000円というとけっこう大きな金額である。 どれくらいの数が配… 続きを読む
あらかると 大夕張 歴史・文化遺産物位置図 平成9年(1997年)における大夕張にあった碑などの他橋梁など産業遺産を含めて位置を示した図。 鹿島眺望公園に今は10の碑が残る。 もともとの場所に一番近い場所にあるものは、「夕張東高等学校記念塔」ということになる。東高跡地なのだから当たり前だが・・・。 鹿島この位置図に載ったもののうち… 続きを読む
あらかると 白銀橋落橋事故 昭和43年11月 最初にこのページをどこのカテゴリーに入れたらよいのか、迷った。 当時、運転手だった方がお一人亡くなられているから、「思い出の街角」にというのもちょっとどうかなと・・・・。 そこで、『備忘録-あらかると』というエピソード的なところへ収めることにします。 下の資料は、「白銀橋が永久橋に」とい… 続きを読む
2丁目3番地 猫と犬のなまえ 以前、『猫とブルドック』で林さんが、「岳富町の時計屋さんのショーウィンド」にいた真っ白い猫のことを書いた。 この真っ白い猫は、左右の目の色が違う猫だった。時計店の名前は書かれていなかった。 この時計屋さんは、「散歩道」の岳富町の住宅地図を見ると、昭和43年当時、安田靴店と木村呉服店の間… 続きを読む
あらかると 電気が通った日~奥鹿島の電化~ 昭和25年に鹿島開拓団12戸が入植し,開拓の第一歩が記された奥鹿島。 その後,鹿島開拓団は昭和30年に開墾の70パーセントを終了し,農地が国から売却された。 一方,大夕張ダム建設により水没する桜ヶ丘開拓団も、昭和30年に3戸、昭和31年に5戸、奥鹿島に入植した。 そして,昭和33年に、大… 続きを読む
2丁目3番地 フランスギクと花占い(大夕張の花) 道端のフランスギク 草丈20cmから1mくらいで、道端でよく見る可憐な白い花。 寒い冬の北海道でも越冬し、野生化し繁殖力のある外来種。 いまでは、他地域から導入された種が在来種に大きな脅威を及ぼしている植物として、北海道ブルーリストにものってしまった。 子どもの頃は、たしかマーガレットと… 続きを読む
2丁目3番地 アメダス(AMeDAS)鹿島観測所 気象庁が日本全国津々浦々に設置している地域気象観測システム「Automated Meteorological Data Acquisition System」の略。 簡単に記しておくと、 ・降水量、風向・気温、日照時間の観測を自動で行なっている。 ・1974年… 続きを読む
2丁目3番地 すずらん灯 昭和30年代の千年町商店街の写真を見ていると、目につくのはすずらん型の街路灯である。 球形のライトが鈴蘭の花のように連なっている洒落たデザインである。 同じく昭和31年のメーデーの大夕張駅前の写真にもすずらん型の街路灯が写っている。 対して昭和40年代、大夕張駅前周辺の写真をみると円盤状… 続きを読む
あらかると 各町で人口が多かったのは? 大夕張の人口が南部地区と合わせて23751人という記録が残っているのが、昭和35年のこと。 その時が大夕張の人口のピーク。 南部地区をのぞいても、18659人だった。 もっとも鹿島地区だけでみると、昭和30年の18778人という数字もある。 国勢調査のデータやら、住民基本台帳の数字やらで、… 続きを読む