備忘録

「ふるさと大夕張」についてのあれこれ書いた、masaのブログ
「1丁目1番地」・・・1996年~2020年2月までの「ふるさと大夕張」
「2丁目3番地」・・・2020年2月からの「ふるさと大夕張」
「あらかると」・・・大夕張のむかし・歴史のひとこま・エピソード

大夕張炭礦停車場付近(其の一) あらかると

大夕張炭礦停車場付近(其の一)

 当時の夕張を紹介した、大正7年(1918年)発行の『夕張』(小林近江堂発行)という書籍から。  場所は、現在の『三菱大夕張鉄道保存車両』付近。     大夕張炭礦は、三菱礦山合資会社の経営に係り、現在700の鉱夫を使用して年10余万トンの石炭を出す。 炭質すこぶる良好にして瓦斯、骸炭(コークス)等…
大夕張の商店街 その1 あらかると

大夕張の商店街 その1

【南部の商業地】  南部が『大夕張』で、大夕張が『北部大夕張』とよばれた明治から大正にかけての時代。  南部の大夕張炭炭坑に労働者が集まると同時に商売をする人たちも集まってきた。  その頃の話から始まる。      明治39年(1906年)、大夕張炭坑が開坑すると同時に、多数の労働者が入り込んだ。 …
鹿島東小の誕生 1951年  あらかると

鹿島東小の誕生 1951年 

 終戦直後の国策である石炭増産により、鹿島の人口は急増し、鹿島小学校の児童数は増加の一途をたどった。  大夕張の町も、昭和14年以降、錦・宝・春日の各町が新設され、更に第一農場(明石町駅付近)、第二農場(桜ヶ丘付近)を含めた明石町、常盤町が昭和23年~25年にかけて開町するに及んで、学級数は40をこ…
春は線路からやってくる 2丁目3番地

春は線路からやってくる

私の住む札幌もようやく雪がとけ、春の訪れを感じさせます。 そんな時期になると、いつも思い出す、忘れることのできない詩があります。   大夕張を出てから出会った、言葉に初めて故郷を感じた、詩でもありました。 小学校の国語の教科書にのっていた詩です。   「春」  杉みきこ (加代の四季より)  春は、…
三菱大夕張礦業所 歴代所長 あらかると

三菱大夕張礦業所 歴代所長

昭和2年から昭和44年三菱大夕張炭礦株式会社分離独立まで 勝俣 英(昭和2年6月10日~昭和7年6月15日) 西原民平(昭和7年6月16日~昭和10年5月9日) 蒔田三雄(昭和10年5月10日~昭和12年2月28日) 後藤太郎(昭和12年3月1日~昭和15年2月11日) 立花範治(昭和15年2月12…
別世界 2丁目3番地

別世界

 昨年、父の50回忌と母の3回忌の法要をすませた。そして今年、自分が大夕張を出て50年。    「区切りの年として、大夕張に行こう」と思ったものの生来の不精者故、のびのびになっていた。     今年になって3月9日10日、天気予報は、気温が上がり好天が続くと聞き、「父と母を連れて大夕張に行ってこよう…
三菱・夕鉄 バス停留所 2丁目3番地

三菱・夕鉄 バス停留所

昭和の大夕張、バス停留所を作って(描いて)みた・・・。 地図のネタになるか、空想の街のジオラマを彩る一素材になるのか。 用途は定かではない笑。   それはともかく実際の写真やビデオに写りこんでいるものを参考にした。 昭和30年代から昭和40年頃の自分がいた街がベースになる。 当時の三菱バス停の標識は…
戦後の大夕張炭鉱鉱員住宅 あらかると

戦後の大夕張炭鉱鉱員住宅

 戦後、石炭産業で働く人が増えることに応じて、春日町(昭和23年)、常盤町(昭和25年)に、新しい街ができた。春日町の住宅は、一棟2戸の内水道内便所で、部屋も六畳間が三つと妻帯者を中心に入居したという。    町外れの荒れ地に新しく炭鉱住宅が建設された。  その建設を担った大林組の社史に、記述がある…
シューパロ湖畔の若者たち カラー版 2丁目3番地

シューパロ湖畔の若者たち カラー版

「ふるさと大夕張2丁目3番地」で、初めて写真のカラー化に取り組んだ。 初めは、2020年2月、ここ「2丁目3番地」を開設した時に「カラーにするとなんだか雰囲気がちょっと違う」みたいなノリで、AIで写真を自動着色してくれるサイトを見つけ、そこでどんどん変換していった。違いがおもしろくて元の白黒写真と着…
若者たち  2丁目3番地

若者たち 

つぎは、2003年に書いた投稿から、書き出した文章です。 これまでもHP中の思い出に投稿されている小林俊治さんから 『昭和41~42年のテレビ番組』 と題して次のようなメールをいただきました。   『このころ、北海道の各炭鉱の事故をニュースで聞くたびに悪い情勢へ・・・・・高度経済成長の時代で、ふっと…
2022年2月16日でのアクセス数 2丁目3番地

2022年2月16日でのアクセス数

 どうでもいいという話といえば、これはどうでもいい話なのですが、サイトを運営する者としての自分の記憶と記録のために書き留めておきたいと思います。    『ふるさと大夕張2丁目3番地』のアクセス数が、昨日の昼頃『1.311.036』となりました。     『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』のカウンター…
父とカメラ 2丁目3番地

父とカメラ

白黒写真に着色した画像   高い雪壁の前でファインダーをのぞく父  昭和30年頃      父は、当時カメラに凝っていたという。  自分は、当時のそんな姿は見ていないが、たしかにアルバムには、家族や同僚を対象にした写真が多く残っている。    昭和20年代、あまりカメラを持っている人も少なかったと、…
三菱大夕張高等家政学校 あらかると

三菱大夕張高等家政学校

三菱大夕張高等家政学校は、昭和21年7月1日創立。   三菱大夕張礦業所では、従業員子女の教育を重視して、大夕張学園女子家政塾として昼夜の授業をおこなった。   160名収容、本科2年、専修科1年、毎年70名から80名の卒業者をだした。 栄町3丁目18番に幼稚園と同居していた。 家政一般学を教授し、…
ICAコンサルタント あらかると

ICAコンサルタント

   1977年に、大夕張カトリック教会跡地に世界的な組織であるICA(地域人間開発計画のメンバー)が入山。  地元の開発対策委員会の協力によって、一週間にわたる開発会議がもたれた。    外国人約100人をまじえ、コンサルタントたちが、世界での23に及ぶ実績の上に立って様々なプログラムが討議された…