思い出の街角

昭和52年の大夕張 思い出の街角

昭和52年の大夕張

 神社の丘からの風景  昭和52年8月、閉山後4年後の大夕張。  すでに旧駅前の付近を除いて空き地ばかり。  この写真は、昭和52年8月「みほ」さんが、家族で大夕張を訪ねた時のもの。(この時、撮影された写真は、このページ以外にも掲載) この時、どういう思いで撮影し、町を歩いただろう。    実は同じ…
代々木町の高台から見る磯次郎の沢 思い出の街角

代々木町の高台から見る磯次郎の沢

 撮影者は屋根の上に立って撮影したのだろうか、けっこう高い位置で撮影している。  正面に磯次郎の沢。沢の裏手の山は、山菜を取りにはいったり、遊び場にしていた子どもたちも多かった。    季節は秋だろうか。昔、畑に藁で野菜や木を保護したり、物干しにダイコンの葉をかけていた様子を覚えているが、住宅の畑に…
鹿島中学校付近 常盤町 思い出の街角

鹿島中学校付近 常盤町

 昭和45年頃 常盤町の坂の高いところから鹿島中学校方面をみた光景。季節は春だろうか、溶け残った雪のようなものが見える。  手前には山から流れる沢水を通す暗渠が見える。この沢は、地図や写真を見てみると、常盤町の坂と鹿島中学校の間で、幾筋も枝分かれをしながら流れをつくりシューパロ川に注ぎ込んでいた。 …
開校四十周年記念パレード#5/7 思い出の街角

開校四十周年記念パレード#5/7

 昭和43年9月23日、鹿島小学校40周年を記念した鹿島小学校鼓笛隊のパレードを写す7枚のうち、1枚。  先頭の学校旗から最後列まで、大夕張駅前通りを行くパレード全体が写っている。  実際には、この写真の前を『祝開校40周年』の幟をかかげた児童が歩いている。    昭和43年当時、駅前通りの舗装化工…
炭住とダイコン干し (緑町)  思い出の街角

炭住とダイコン干し (緑町) 

 昭和37年頃の晩秋。  テレビアンテナと傘のついた煙突。煙突から立ち昇る白い煙。冬の訪れも近い。  秋の陽射しを受けてダイコンの簾が窓いっぱいにおおう。  出窓の上にのっているカボチャがまた秋らしい。  庭先に、コスモスにも見える植物が、花を咲かせている。  場所は、緑町浴場の裏にあった、緑町2丁…
閉山直後の大夕張駅 思い出の街角

閉山直後の大夕張駅

昭和48年閉山直後に撮影された大夕張駅。 鹿島小学校側から大夕張駅ホームと改札口。 白黒写真は、鹿島小学校の郷土室に保管されていたものだったが、痛みがひどい。 修正して着色した。   白黒写真に着色した画像 鹿島小学校グラウンド側から撮影した大夕張駅 なお、同じ頃、カラー写真でとられた同じ構図の大夕…
栄町の通り 思い出の街角

栄町の通り

 大夕張の写真を見ると「ここはどこだろう」と、まず最初に、自分の記憶と写真の場所を結びつけようと頭の中で考える。  当然、限られた体験の中で、知ってはいるけどいったことがない場所や、知らない場所が多い。  この写真は、見たとき、「あ、あそこだ」とすぐに思えた場所、のはずだった。    富士見町6丁目…
NHK放送局中継局看板 常盤町 思い出の街角

NHK放送局中継局看板 常盤町

 常盤町にNHKのTV放送塔ができたということで、「テレビの映りがよくなる」「チャンネルが変わる」みたいなことが話題になっていたような気がする。  下にアンテナの前に立っていた写真。その下に、併せて写真に書かれていた文字をおこしたが、何ヶ所か読み取れない文字があり、?で表した。  まあ、常盤町の坂道…
栄町浴場前 思い出の街角

栄町浴場前

 栄町2丁目と3丁目の間の通り。  『リハツパーマ』の位置から、『右向け右』して数メートル移動した視点。   道路の先に児童会館と荒川商店の建物が見えている。  この頃の写真にしばしば映り込んでいる大浦貞助氏の看板・・・・。  氏は、大夕張炭労の書記長を務め、昭和46年(1971年)の北海道議会議員…
リハツパーマ 思い出の街角

リハツパーマ

この写真は、閉山後のものと思われる。 昭和49年頃だろう。 建物と一体化した高さのある壁面に、ひときわ大きな文字で描かれた『リハツ パーマ』の文字。 炭砿住宅が建ち並ぶ中、非常に目立っていた理髪店。 昭和32年のこのあたりの様子は『栄町2丁目17番』で見ることができるが、栄町浴場のすぐ東側にあった。…
妙法寺(日蓮宗) 思い出の街角

妙法寺(日蓮宗)

沿 革  【所在地】   夕張市鹿島一番地千年町  【創立年月日】   昭和14年7月14日  【寺号公称】   昭和27年4月12日  【本 尊】   日蓮上人尊上の大曼荼羅  【歴代住職】   鍋谷寛明(開基)・鍋谷寛恭・泉水慎道  【檀徒総代】   井出豊平・永原久弥・大井鉄平・帯向与三・永原…
大聖寺(曹洞宗) 思い出の街角

大聖寺(曹洞宗)

昭和43年、千年町。曹洞宗大聖寺。 境内には、無縁供養・水子地蔵があった。昭和16年(1941年)8月に、当時親類縁者のない人たちの供養と、水子供養のために、第二代萩野寛宗師が建立した。当時の檀家は約850軒を数え、鹿島の街の様子がうかがえる。 白黒写真に着色した画像   【沿 革】  所在地   …
願正寺(真宗本願寺派) 思い出の街角

願正寺(真宗本願寺派)

昭和7年6月に 浄土真宗(本願寺派)の寺院として建立。1998年夕張市内(紅葉山)に移転。 白黒写真に着色した画像   昭和40年代の願正寺(千年町)   【沿革】  所在地    夕張市鹿島一番地千年町  創立年月日   昭和2年(炭鉱開坑と同じ頃入植・山野を開きながら布教)  寺号公称   昭和…
本覚寺遷化 石碑 思い出の街角

本覚寺遷化 石碑

昭和38年 錦町 本覚寺境内。 写真の奥には、錦町の高台にあった天理教の教会が見えている。 錦町の中で本覚寺は坂の上に位置していたが、それよりも「こんなに高いところにあったんだ」というのが、正直な感想だ。   石碑には『 開基 本覚寺釋慈雲之碑 』と書かれている。 本覚寺の創立者浜出慈雲師の石碑の完…
本覚寺(真宗大谷派) 思い出の街角

本覚寺(真宗大谷派)

真宗大谷派寺院。樺太から引き上げた浜出正一が樺太からの寺院を移転し、昭和24年4月、錦町の山手の方に設置。 白黒写真に着色した画像   【沿 革】 所在地  夕張市鹿島錦町五番地 創立年月日  昭和24年4月 寺号公称  昭和36年3月 本 尊  阿弥陀如来 歴代住職名  浜出慈雲・中井慈照(旧三菱…
校門前のどろんこ道 思い出の街角

校門前のどろんこ道

 昭和46年(1971年)の鹿島中学校、卒業アルバムから。  鹿島中学校の校門前の道を歩く、通学時の冬の風景。  冬は暖かい日には雪がとけ、夏は雨が降ると、路面には大きな水たまりができて、道は『ぐちゃぐちゃに』なった。  そんな時、いくら気をつけて歩いても、ズボンの裾に、つっぱねがあがる。    常…
泉町10周年 思い出の街角

泉町10周年

昭和42年 泉町の開町10周年の行事が行なわれた。   白黒写真に着色した画像   町内会の役員(南さん、久々湊さん、杉村さん)を先頭に。 南さん  【久々湊眞一】  泉町開町10周年の記念行事。後ろには鹿島小学校の裏手,緑ヶ丘の住宅がわずかに見えています。  南太吉さんは、向って右側の先頭を歩いて…
開校四十周年記念パレード#2/7 思い出の街角

開校四十周年記念パレード#2/7

昭和43年、9月27日、鹿島小学校40周年を記念した鹿島小学校鼓笛隊のパレード。 鼓笛隊の最後尾のアコーディオン、鉄琴、メロディオンの隊列が行く。その後を鹿島小学校の先生方が付き添って。 栄町アパート前 白黒写真に着色した画像   栄町アパート(ブロック)の前の通りを行く鼓笛隊 列の後ろには鹿島小学…
桜ヶ丘 3号つり橋から鉄橋 思い出の街角

桜ヶ丘 3号つり橋から鉄橋

昭和30年頃  桜ヶ丘開拓地と外部をつなぐ、つり橋。  このつり橋は、明石町と開拓をつなぐ白銀橋(開拓橋)より南側にかかっていたらしい。    前方に見える鉄橋は、五十鈴沢橋梁のようだ。  このつり橋は、当時、ゆれが大きく、雨の日などはよく足元が滑り、通行には危なっかしく、たいへんだったという。その…