大夕張の全景 昭和30年 常盤町全景 昭和30年頃の常盤町の全景です。左手には堀田牧場,奥から時計回りと反対に鹿島橋,暁橋,常盤橋の姿が見えています。これらの橋は,昭和30年代半ばにすべて新しい橋に付け替えられました。『~記念史』には水没する炭住というタイトルがついています。昭和35年の大夕張ダム完成により常盤町周縁部分の多くが水没しま… 続きを読む
思い出の街角 泉町から鹿島小学校への小道 昭和46年夏。泉町から。 【久々湊眞一】 昭和46年8月。この小道を通った事がある人は、大勢いると思う。大夕張行きの貨物列車が走っているが、きっと荷物(石炭)が、空の状態だと思います。 … 続きを読む
思い出の街角 磯次郎の沢 昭和35年頃、春日町の対岸、磯次郎の沢。 【泊川俊徳】(2006/05/15(Mon) 13:35) 代々木町に住んで居た頃、夏になると 随分 遊びに行きました。 小学校では 危ないので この沢では遊ばないようにと言う事のようでしたが それでも 夏は結構遊びに入りましたね。 小学校 4年生か5年生頃… 続きを読む
思い出の街角 昭和29年 秋 大根収穫 昭和29年 明石町 農場 秋のダイコンをたくさん背負って畑から降りてくるひとたち 。 池のそばでは子供たちがなにやら••• 大夕張礦業所の農場として開墾が奨励され、昭和24年に明石町ができてからも、昭和27年に明石橋ができるまで、千年町から明石町への道路はなく、急ぎの時には住民は鉄橋を渡って往来して… 続きを読む
思い出貼 昭和39年 栄町商店街を行くバス 商店街を行く、三菱(鉱)バス。この先、炭砿病院の横に三菱バス車庫がありました。山内線の始発、終点は礦業所前でしたが、その後、車庫前、始発・終点になりました。 昭和39年栄町商店街三菱(鉱)バス… 続きを読む
思い出貼 昭和28年7月18日 稚児祭 千年町高田商店前にて よく見ると写真の表札の左下に「三二番」という札がかかっています。この写真を巡って大夕張掲示板で、次のようなやり取りが行われました。長くなりますが、引用します。 もう一枚 お稚児さん(S28年7月) 投稿者:飯田雅人 投稿日:2003/11/15(Sat) 00:22 もう一枚 お稚… 続きを読む
パノラマ 昭和32年大夕張(パノラマ) 昭和32年の大夕張。大夕張神社からとった4枚の写真を合わせてパノラマにしました。 つなぎめのところの処理がうまくできていないので、目障りですが、別の記事で、一枚一枚の写真を紹介します。 ※もとの画像にリンクをはっているので、拡大してみることができます。 4枚の写真を合わせたものをカラー化したもの 4… 続きを読む
パノラマ 昭和7年の大夕張全景 昭和7年の街並み。富士見町、線路を挟んで栄町の炭砿住宅が写っています。富士見町の住宅もまだまばらです。右手奥には昭和3年の開校間もない大夕張尋常高等小学校、手前には倶楽部と独身寮らしい建物も見えています。線路には大夕張駅を出発した運炭列車が通洞(大夕張炭山)駅に向かいます。 『三菱鉱業社史』から &… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前の移り変わり 大夕張駅から駅前通り風景の写真を3枚。昭和20年代から昭和40年代への20年間の市街地の発展は目をみはるほどです。炭鉱隆盛の時代。昭和48年の閉山から25年を経た老朽化した建物は時代の流れを示しています。昭和20年代の写真は夏の日の午後でしょうか。通りを歩く人々の声が聞こえてきそうで心に残ります。後… 続きを読む
パノラマ 大夕張駅上空から 昭和35年頃の大夕張。昭和33年に建設された鹿島小学校の校舎は映っていますが,大夕張駅前の道路はまだ未舗装のようにみえます。岳富町の商店街もまだ線路側に軒を連ねています。この他,鹿島小の土手側には昭和32年に千代の山一行が巡業したという土俵や(のち聖心幼稚園建設で取り壊し)グランドの一角に大きな木の… 続きを読む
思い出貼 二股停車場 明治45年(大正元年)まだ、南部が大夕張で、北部大夕張は未開発。終着駅は二股(南部)だった頃の大夕張。大夕張炭坑株式会社の二股停車場(旧南大夕張駅)。 後ろの大夕張炭坑選炭場の屋根に当時の社紋が見えます。 明治45年(大正元年) 二股停車場(旧南大夕張駅) 大夕張炭坑株式会社の社紋 &… 続きを読む