学び舎の思い出 昭和26年6月 鹿島小学校教職員 昭和26年6月、鹿島小学校の中庭にて 多くの先生方が『突っかけ』を履いて撮影に臨んでいるのが、面白い。 また、何人かの先生は、腕に腕章をつけていて、これは、たぶん自分が昭和40年頃在学中にも、そんな先生がいて、当時『日直』または、『日番』と呼ばれる先生が、交代で学級委員をやっていた児童らとともに… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 大夕張神社境内から浄水場 昭和48年、昆虫採集だろうか、虫かごをもった子どもたちの姿がみえる。写真を拡大してみると、自分もこの場所に立っているような錯覚をする。 … 続きを読む
思い出の街角 昭和30年代 浄水場 大夕張の町を一望できる,どの学校の校庭にも満たない広さのこの丘の上にどれだけの大夕張の人達が登ったことだろう。そして,この丘の上でどんな思いをもって夕張岳を眺め,眼下の大夕張の街を見つめていたことだろう・・・。時代や人が違ってもこの丘に立った私たちの胸の中の大夕張への思いは変わらない。 … 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島小学校 第28回卒業生 昭和31年3月1日。鹿島小学校、第28回卒業生 懐かしい写真 【EZONORA】(2006/12/28(Thu) 11:05) 自分の顔が写っているのを見ると、今の顔と比較して、何とも気恥ずかしくなる写真です。担任は林剛先生ですね。横沢君・本保君・多附君・大野君・鈴木君・松本君・中山さん・花田さ… 続きを読む
思い出の街角 昭和39年 礦業所方面 昭和39年4月 礦業所方面 昭和39年の大夕張 【本間 正雄】 (99.5.30) 写真を見ていただけば判ると思いますが、道路が整備されてません未舗装です。 大夕張は40年代に入り道路が整備されそれにつれて各商店が新築され新しい商店街ができ大夕張が生まれ変わったような気がします。 特に駅前道… 続きを読む
思い出の街角 昭和32年 大夕張駅 見送り風景2 昭和32年4月大夕張駅 見送り風景 集団就職列車 【泊川俊徳】(2007/07/09(Mon) 09:49) 昭和42年 春 自分が中学2年が終り これから3年に成る春休み。 集団就職列車最後の運行。 金の卵と言われ 高度成長の中 中卒者の就職者が高校卒に変わりつつ有り… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 大夕張駅 昭和48年閉山の年の大夕張駅とホーム、鹿島小学校グラウンドから。 汽車通の朝 【斎藤 敏幸】 (平成9年9月29日) 私が、東高へ通学するには、「汽車」か「自転車」を利用していました。 私を含めほとんどの東高の生徒は、この駅にお世話になったと思います。 「通学列車」の発車時刻は、7時20分頃だっ… 続きを読む
思い出の街角 新雪の朝(千年町駅) 昭和38年頃、千年町駅構内を行くラッセル。午前の太陽が新雪の上に長く影を延ばす。朝静かに積もった雪は,それまでの黒い煤に汚れた雪を覆い街を別世界にするのです。… 続きを読む
思い出の街角 昭和18年 宝沢を行く列車 昭和18年、7号の沢と言われた宝沢にかかる鉄橋を行く列車。最後部の車両は出征兵士の見送り。昭和19年築堤化された。 道路側から見た鉄橋。この辺りは戦後バラックの貸本屋・のみ屋・飲食店などが数10軒道路の両側に立ち並びにぎわい、道路改修の為強制的に岳富町と駅前商店街の向かい側に移る。 &… 続きを読む
思い出貼 労働組合の大会(協和会館) 昭和40年頃 炭労の大会。 協和会館 【飯田雅人】 私の小中学生の頃の記憶の協和會館は怪獣映画と植木等のサラリーマン映画,森繁の喜劇映画という映画の思い出そのものですが,様々な行事や催しがここで行われていました。 組合の各種大会,芸能人のショー,中学校の合唱団のコンサート等々の催事。 … 続きを読む
思い出貼 八百五十の思い出 昭和30年、八百五十のゲレンデ。 八百五十の思い出 【斎藤敏幸】 (1998年02月27日(金)17時58分42秒) 八百五十へは、冬スキーを履きながら父によく連れられて行きました。 富士見町のスキー場から、大夕張神社まで登り切り、浄水場の横を通り抜け、沢伝いに少し下り、後は平坦な道… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十スキー遠足 AIによる着色を施しています 昭和37~38年頃のスキー遠足 【花田勝則】 セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。 小学校3~4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。 八百五十へいく… 続きを読む
思い出の街角 八百五十からの遠望 2003年3月。大夕張神社の裏から尾根伝いにここまでくると,幅の広い斜面が開けた。このあたりはかつてヒュッテがあった。左に芦別岳,右に夕張岳,さらに右手遠くには日高の山並みが見えた。… 続きを読む