思い出の記 春日町住宅の親父|Kawauchi Masami 昭和40年頃の冬 白黒写真に着色した画像 お茶を飲む父 春日町の長屋、3つ部屋が有ったうちの、真ん中の部屋、藤木ストーブであったまりながら、お茶を飲んでいます。 藤木ストーブに鉄瓶が見えますね。 藤木ストーブの後ろには、釜が、藤木ストーブの後ろの蓋を外して、入れてあります。 ウチでは、これで… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 明石町番外地 その2 |高橋正朝 #34 【 明石町住宅地図 】 【 対岸から見た明石町 】 【 東高の丘から 】 ★★★★★★★★★★★★ 私が投稿した文章との照合のため、飯田さんが編集した イラスト/写真 を、コピペしました。 ★★★★★★★★★★★★ 【 東高… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 明石町番外地 その1|高橋正朝 #33 【明石町住宅地図 】 【 東高の丘から 】 ★★★★★★★★★★★★ 上記の4枚の イラスト/写真 は、飯田さんが編集したものを、私がコピペしました。 オリジナル項目を見たい人は、HPの、写真/イラスト が添付されたヘッドラインの10項目に続くコラム、… 続きを読む
随想 私の故郷遺産 | 松崎百合 何もかもが、ダムの下。 地図から消えようとしている私の故郷大夕張。 でも、私には、大事な、大切な、心の中に大夕張遺産があります。 炭鉱が、閉鎖になる少し前に、私は内地へ転校しました。 大夕張駅。 蛍の光の曲に送られ・・・。 母は近所のおばさんたちと… 続きを読む
思い出の記 登山・思い出の写真(昭和42年頃)|Kawauchi Masami 中学生の(昭和42年)頃、夕張岳に登山した時の写真です。 春日町の主催の登山でした。中学生以上の参加でした。 これは、夕張岳に登山に行く途中で、当時トラックの荷台に乗って、春日町詰所前を出発して、明石町で初めての休憩でした。 白銀橋を背に(白黒写真に着色) 夕張岳ヒュッテヒュッテヒュッテの周辺雪解け… 続きを読む
思い出の記 夕張岳頂上|Kawauchi Masami 昭和41年 夕張岳 山頂 白黒写真に着色した画像 夕張岳の頂上にて この写真は、緑町の八木理容室で働いていた、平間さんです。 首からかけているのは、ラジオですね。肩紐には、イヤホンケースがついています。 昭和41年(1969年)、今から50年以上前になってしまいました。 (筆者紹介) 昭和29… 続きを読む
随想 大夕張のパン屋さん |田鎖加代子 私は最近パン作りにはまっています。 先日もパンを焼きながら、宝町にあったパン屋さんを、思い出していました。 確か東小の一年の時、社会科の勉強で、パンを作る様子を見学に行った事があります。 そのパン屋さんの名は忘れていましたが、このHPで『とら屋さん』だと分かりました。 きっと学校給食のパンも… 続きを読む
随想 想い出抱きしめて♪| 鈴 (Rei) 私の曲を聞いて大夕張を懐かしく、そして思い出の場所として、永遠に心に残っていただければとても嬉しく思っています。 これからも頑張って良い歌を作って行きたいと思っていますので応援よろしくお願いします。 大夕張を想って作った曲がyoutubeで聞けるようになりました。 画像は全てが大夕張とは限り… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 明石町駅付近の沢 | 高橋正朝 #32 【 大根収穫 】 【 沢の名称 】 【 東高の丘から 】 ★★★★★★★★★★★★ 上記の3枚の 写真/イラスト は、飯田さんが編集したものを、私がコピペしました。 オリジナル項目を見たい人は、HPの、写真/イラスト が添付されたヘッドラインの10項目に… 続きを読む
思い出ばなし 冬の思い出 | 内川准一 今日は今年一番の寒い日でした。盆地の大夕張は、今頃、一段としばれて、青くかすんでいるのでしょう。 こんな日は、ストーブ(確か白熱ストーブと言ったような)をいくらたいても暖かくならず、熱は煙突と天井の隙間からみんな外に逃げていくのでした。 全くボロな家に住んでいたものです。 毎朝、丹前の縁に息… 続きを読む
思い出ばなし 私の大夕張時代 | 長谷川ヒロコ ここに寄稿してくれたのは、私の叔母です。 昭和8年生で、今年88歳になりました。字も達者で大判の原紙に細かい字で書いて送ってくれました。 子供時代から20代までを大夕張で過ごし、昭和28年から鹿島東小学校の教員として勤務していました。 私が幼かった頃(昭和34年ころ)、富士見町線路脇の住宅で… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 文部省推薦映画 | 高橋正朝 #31 前回、ディズニーのドキュメンタリー映画、『 白い荒野 』で、『 レミング 』の『 自殺 』のヤラセのことを書いた。 その際、やはり、ディズニーのドキュメンタリー映画、『 砂漠は生きている 』のことにも触れた。 両作品とも、日本での配給は、大映であることが、ウィキペディアに記載されている。… 続きを読む
食憶 食憶(食憶減退・風邪の味)|長谷川潤一 皆さま方、インフルなど召してはいませんでしょうか。 この時期になると思い出す「風邪」の味?私はいろいろあります。 蜂蜜、水飴、麦芽糖、サクマのドロップ、不二家ポップキャンディー、喉へのいたわりにレロレロと。 砂糖つき梅漬け、のりたま、江戸むらさき、お粥を少しでも食べるためにと。 おろし金の… 続きを読む
食憶 食憶(その12 川原の鍋)|長谷川潤一 息子が楽しみにしていた樽前登山が都合で中止。 かわりに何かしようかということになり、先週、宿泊研修でカマド係りをバッチリやりこなしたという息子の腕前を確かめるため、思い出したのが「炊事遠足」。 炭火の焼き肉でもなく、海の幸ありのバーベQでもなく、もちろんおしゃれなアウトドアでもなくて、米、味噌… 続きを読む
思い出ばなし 子どもの記憶 |菅井宏史 長谷川さんが大夕張時代の「食憶」をお持ちのように(「食憶」シリーズいつも楽しく拝見してます)人それぞれ大夕張の、あるいは大夕張時代の一連の記憶というものがあるのかもしれません。 昭和30年代後半から、40年代前半が、私の大夕張の記憶の全てなのですが、あの時代の思い出といえば(これは大夕張の記憶… 続きを読む
思い出の記 子供用自転車が普及し始めた頃 | Kawauchi Masami 子供の頃の 遊びですが10〜15年毎に 調べると 随分 違うと思います。 私は4つ上の兄がいますが、「三輪車」持っていませんでした。 昭和37年ごろ、「子供用自転車」が無かったと思います。 その頃は、お父さん方の「黒いゴッツイ自転車」で、家の母親は自転車に、乗れませんでしたし、他のお母さん達… 続きを読む
続・大夕張つれづれ ディズニーのドキュメンタリー映画『 白い荒野 』 | 高橋正朝 #30 『続 • 大夕張つれづれ #28』 で、ディズニーのテレビ番組のドキュメンタリー映画のことを書いた。 ディズニーのドキュメンタリー映画として有名なものでは、2つ記憶がある。 ただし、2つとも、映画そのものを見たのか、それとも、映画も見て、且つ、その一部分を取り込んだテレビ番組をも見たものだ… 続きを読む
食憶 食憶(その11 お湯)|長谷川潤一 冬の味の大元だと思うんですが、湯沸かしのお湯のことなんです。 ほとんどの家では当然石炭ストーブでしたよね、鋳物のフジキ式とか鉄板のやつとかいろいろ。 ひょうたん型やトラックオーバル型、後部にいくと煙突が出るだけの尻すぼみ型、石炭をまとめて投入する山高型、前からジュウノでくべるのとか上部… 続きを読む
思い出ばなし 時代を支えた馬 | 泊川俊徳 戦前から昭和40年過ぎまで、随分、馬が活躍してくれました。 戦時中は、炭鉱坑内の『石炭運搬』、街の中では、『運送屋』、日本通運・鹿島通運の荷物の運送、又、当時 トイレのバキユームカーの代わりに、馬車に大きい木製の箱に、ウンチを入れて、通称『便所場球場』へ運び、川へ流しました。 夏は『馬車』。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ キャプション『 これは真実である 』と麻薬|高橋正朝 #29 前回、続・大夕張つれづれ # 28 で、北極での原子爆弾の実験で、怪獣が出現したアメリカ映画の冒頭で、『これは真実である』というキャプションがあり、これなどは、ワッハッハで笑い飛ばせる、しかし、ワッハッハで笑い飛ばせないケースもある、と書いた。 約20年前、タイ政府が激怒した、アメリカ… 続きを読む