夢の街

かつて石炭で繁栄した街の昔と今の記憶をもとめ、追いかけた記録。

雪の結晶と雪印のロゴマーク |高橋正朝 #23 続・大夕張つれづれ

雪の結晶と雪印のロゴマーク |高橋正朝 #23

 大夕張で生まれ育った人だけでなく、北海道生まれの人にとっては、雪印乳業のロゴマークには懐かしさを感じると思う。 北海道生まれの大企業だから、ということよりも、雪の結晶に懐かしさを感じるのだ。      北海道生まれの企業ではあるが、本社は東京四谷にあり、東京在住者は知っていることだが、夜間、中央線…
奥鹿島の『三時間耐久レース』|Kawauchi Masami 思い出の記

奥鹿島の『三時間耐久レース』|Kawauchi Masami

 昭和56~59年(1981~85年)頃、明石町から開拓の奥、農家を辞めた地主さんに土地を、ただで借り、自分達でコースを作って、50ccバイクで『三時間耐久レース』をしました。 場所は奥鹿島分校からあと、橋を渡って500mぐらいの所です。  地主さんの名前は忘れましたが、「元は南部の下夕に開拓で入っ…
吹雪のなかでの登校下校 |高橋正朝 #22  続・大夕張つれづれ

吹雪のなかでの登校下校 |高橋正朝 #22 

 私が、鹿島東小学校の低学年だったころの大夕張の冬は、ずいぶんと寒かった。     私の年代の人は、皆、経験していたことで、『 ふるさと大夕張 』に書き込んだことの繰り返しになるが、頬骨に染み込むような寒さのときは、薄眼にし、眼を普通に開けようとすると、瞬間的にくっついていたまつ毛がパチッ、という感…
坑内にかかる盤圧 | Kawauchi Masami 思い出の記

坑内にかかる盤圧 | Kawauchi Masami

大夕張の坑道  今日は 坑内でないと 分からない 出来事 書いてみますね。  写真に写っているのは、採炭現場で天盤を押さえるカッペと言う道具です。   丸いピンと平べったいピンの、2本のピンで止めて行きます。払い(採炭現場)が進むと、後ろのカッペを外して、前に付け替えます。丸いピンだけなら、『お辞儀…
1978年・大夕張・再会 |斎藤敏幸 随想

1978年・大夕張・再会 |斎藤敏幸

 私は、閉山の前年に当たる1972年3月に夕張東高を卒業しました。  閉山後両親は、函館に居を構えました。  そのためか、大夕張に帰る機会もなく数年が過ぎてしまいました。  大夕張と再会できたのは、1978年の7月でした。  当時私は、釧路に住んでいましたが、職場の研修で札幌に出た時、帰ることができ…
村山貢 先生の色彩の授業 |高橋正朝 #21 続・大夕張つれづれ

村山貢 先生の色彩の授業 |高橋正朝 #21

     前回、「 電光オズマ 」の稿で、コラージュのことに触れ、村山貢 先生のお名前を出しました。 それで、村山 先生の授業のことを書き始めたら、表題とは無関係な内容の文章が長くなってきたので、その部分は打ち切り、次回、即ち、ここで書くことにしました。      村山貢 先生を初めて見たのは、鹿島…
八百五十スキー宿泊 |Kawauchi Masami 思い出の記

八百五十スキー宿泊 |Kawauchi Masami

大夕張から、八百五十山頂。赤い線は、神社裏からの尾根伝いのルート。冬に八百五十のゲレンデに行くには、鹿島小学校裏から、宝の沢に沿ってのルートがあった。八百五十のゲレンデは、山頂直下の急斜面の下の緩やかな傾斜地だった。その傾斜地の途中にヒュッテがあった。 (目 次)   準 備   出 発   山小屋…
昭和44年 修学旅行の思い出 | Kawauchi Masami 思い出の記

昭和44年 修学旅行の思い出 | Kawauchi Masami

昭和44年(1969年)6月、鹿島中学校修学旅行。 車内に入って来た、担任の西田先生です。  私たちは、層雲峡、川湯温泉、阿寒、原生花園などへ行きました。  友達が、川湯温泉だったと思いますが、温泉のお湯を飲んでしまい、次の日、声が出なくなってしまった事が有りました。   原生花園へ行った時、オホー…
トルコ | 古山園美 随想

トルコ | 古山園美

   10年前、初めてトルコに行きました。  かの有名なカッパドキアにある町に行った時、『大夕張の匂い』を感じました。  それは、街じゅうでたく、石炭のにおいだったのです。  そして、うす紫色の石炭の煙の中に沈んでいるような、夕暮れの町は、まるで大夕張でした。  そして、去年の夏、『20世紀最後の皆…
『松・竹・梅』&『ゆり』|ziny 思い出ばなし

『松・竹・梅』&『ゆり』|ziny

 お正月に「松竹梅」という言葉を耳にすると、小学校時代を思い出します。  鹿島小学校の『組』の名前です。  ・・昭和30年代は、 「松・竹・梅・櫻・菊・桃・藤」 という名前だったと記憶しています。 「すみれ」もありました。  団塊世代では「桐」もあったと思います。  50~55人前後の生徒数。6学年…
松本あきら(零士)の『電光オズマ』|高橋正朝 #20 続・大夕張つれづれ

松本あきら(零士)の『電光オズマ』|高橋正朝 #20

 松本あきら が若いころ描いたマンガの主人公の少年少女は、眼に特徴があった。  少女マンガの主人公は可愛く描かれ、眼が大きく描かれて、内容もポエムっぽかった。  少年マンガは、SF ものや、戦争ものがわりと多かった。      鹿島中学校2年生のときに、明石町に住んでいた誰かから、少年マンガ雑誌『 …
この日を迎えると・・ | jun 思い出ばなし

この日を迎えると・・ | jun

 思い出されるのは大夕張に生きていた当時の頃。  しばれたね~  大晦日は家族団欒。  ミカン箱、裸まいり、除夜の鐘。  厳かな雰囲気とウキウキした気分が融け合っていました・・  年が変って元旦の朝。  湯たんぽから洗面器に水を移して顔を洗い、最初は両親に挨拶。  みんなで神棚にご挨拶。  お年玉を…
アオタン |内川准一 随想

アオタン |内川准一

   「千葉県君津市は自分の同期生がいまして、高校卒業以来、約30年同じ職場で勤務しているんですが、この街はカナリ大夕張出身者が多いんじゃないかな?」  ヒロさんの、この文章を読んで、あることを思い出した。  千葉県君津市と東京都の一部では、以前から北海道方言「アオタン」が通用する。と言うこと。  …
いすゞボンネットバス 大夕張色の情景

いすゞボンネットバス

 2000年頃のチョロQブームの折り、我が家にやってきた『いすゞバス』  昭和31年9月に大夕張の山内を走った2台の『いすゞバス』。  このバスは、三菱バスと同じ塗装色だったという都営バスとして発売されたものを購入した。(あ、三菱バスが都営バスと同じだったということですね)  こちらの配色の方が、『…