思い出の街角 栄町児童公園 昭和40年頃 正式には、『栄町児童公園』というのだそう。 健保会館、健保会館の庭、といった方がとおりはいいのかもしれない。 写真を見ながら、あの時、家庭から聞こえた夕餉の仕度の音を聞きながら、佇んでいた自分の姿を想像できるだろうか。 白黒写真に着色した画像 写真右、通りから、左の健保会館武徳殿… 続きを読む
学び舎の思い出 三菱礦業所大夕張幼稚園から聖心第二幼稚園 礦業所経営の幼稚園から、大夕張カトリック教会経営の幼稚園、閉山後は保育園という変遷をたどる。 【沿革】 昭和9年4月1日設立。 園長山崎徳也氏。学級12,職員9名。園児は男子265名。女子300名、合計565名。 当時の大夕張礦業所長の西原民平氏が、昭和8年開設して、自ら園長に就任。 設立時は… 続きを読む
思い出の街角 大夕張の積雪(春日町) 昭和40年頃、春日町 冬 白黒写真に着色した画像 雪に埋れる水道小屋の前で 足下が吹雪く 兄ですが 後ろの水道小屋の屋根の雪がすごい。 足下から風で巻き上げる雪もすごいですね、道路の脇にも背の高さくらい、あるいはそれ以上の雪が積もっていたかもしれません。夜に風が強く吹いた日の翌朝は、吹き溜まりができ… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ川から、 まくら長屋 昭和40年頃 代々木町 白黒写真に色付した画像 マクラ長屋【長谷川潤一】 シューパロ川の向こうに見えている家並みは,代々木町の「まくら長屋」と呼ばれていた炭住です。 その先は春日町です。 代々木町の長屋は道に沿って、縦に建てられていましたが、ここは横に建てられていて、 縦の長屋の枕のような位… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年 代々木町 バス通り 昭和40年頃、代々木町のバス通り。正面に詰所。住宅と共に外便所が並んでいる。この昭和40年代前半、この通りも舗装された。 写真のすぐ右手には、写っていないが、二棟の代々木アパートが建つ。 白黒写真に着色をした画像 代々木町詰所の屋根には、日の丸の旗のようなものが掲げられている。祝日だろうか。 長… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ湖畔(道立自然公園) 昭和37年に道立公園に指定され、当時は、観光による集客が期待されていた。大夕張鉄道のシューパロ湖駅が設けられ、食堂、公園などの施設が湖畔に作られた。開業当初は、観光への期待もあり、多くの人出で賑わった。 昭和30年代。夕張市の観光絵葉書より。小公園中央に立っている石碑は、清水沢-大夕張間が全面開通… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 大夕張炭山駅 白黒写真に着色した画像 昭和40年頃の大夕張炭山駅 三菱大夕張鉄道の始発駅 【飯田雅人】 (平成10年5月28日) 私が当時住んでいた富士見町から近い駅が大夕張炭山駅でした。 三菱大夕張鉄道の始発駅で,清水沢駅が終着駅でした。 私の記憶の中では炭山駅の屋根は淡いうぐいす色ですが,現在では赤い屋根に黒… 続きを読む
楽しかった日々 三田明ショー(協和会館) 昭和40年頃 協和会館で行われた『三田明ショー』 白黒写真に着色した画像 協和会館の三田明 大夕張に来た有名人【飯田雅人】 有名人と一口にいっても難しいですが,いろんな分野からあげていくと,昭和12年 書道家小寺仙峰,昭和22年 書道家金丸悟舟,昭和31年 宗教家賀川豊彦,昭和32年 大相撲横綱… 続きを読む
思い出の記 八百五十スキー宿泊 |Kawauchi Masami 大夕張から、八百五十山頂。赤い線は、神社裏からの尾根伝いのルート。冬に八百五十のゲレンデに行くには、鹿島小学校裏から、宝の沢に沿ってのルートがあった。八百五十のゲレンデは、山頂直下の急斜面の下の緩やかな傾斜地だった。その傾斜地の途中にヒュッテがあった。 (目 次) 準 備 出 発 山小屋… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年頃 千年町駅ホームにて 千年町駅ホーム、手書きの文字の駅名板が懐かしい。 昭和37年の道路開通まで陸の孤島だった大夕張。駅名板には郷愁を覚える方も多いのでは。 白黒写真をカラー化した写真 昭和40年頃、千年町駅ホームにて ↓同じ頃、大夕張駅ホーム https://ooyubari.com/2021/01/07/ooyuba… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年頃 大夕張駅ホーム 昭和40年頃、大夕張駅ホーム。 のんびりとしたある晴れた日の大夕張駅ホーム。後ろの木立の向こうに、鹿島通運、郵便局などの建物が見える。駅業務の合間の一コマだろうか。 白黒写真に彩色したカラー写真… 続きを読む
楽しかった日々 サトミ公園 冬 昭和40年頃。 冬のサトミ公園池。小学生・中学生が、竹スケートや、スピードスケートを履いて滑る。 当時、竹スケートは、よくやりましたが、スピードスケートは、大夕張では珍しかった気がします。 同じ日の様子の写真、もう一枚 https://ooyubari.com/2020/11/29/202011… 続きを読む
楽しかった日々 サトミ公園 スケート大会 昭和40年頃 サトミ公園池 スケート大会のひとこま。小中学生の男子が集まっている。素手で小学生のスケートを調整する松尾さん。 『岳麓の里』「大夕張10景(8)常盤橋のリズム」で、一年を通じて地域住民の憩いの場となったサトミ公園の様子が取り上げられています。 https://ooyubari.com/… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 三菱バスの運転手さんと車掌さん 昭和40年頃 後部座席に座る運転手さんと車掌さん。運転手さんは鞄でしょうか、大事そうにかかえています。車掌さんは、『三菱』と文字の入った腕章をしています。 後部座席に座る運転手さんと車掌さん うっとり 【飯田雅人】(2020年11月21日) 子どもの頃の夢として、男子のなりたい職業として上位… 続きを読む
楽しかった日々 夕張東高校教員住宅 昭和40年頃 明石町 夕張東高校教員住宅。男の子の周りにうつる周囲のもの。モビール、窓の柱にかかる状差しや札、グローブや袋など、床の畳と、上に敷かれたビニールカーペット。当時の暮らしを伝えます。 白黒写真に着色した画像 東高教員住宅の窓側 居間の写真 【工藤 央】 夕張東高教員住宅の土間を上が… 続きを読む
楽しかった日々 夕張東高校教員住宅の小さな兄弟 昭和39年頃 明石町 教員住宅内部がうつった写真。大きな鍋(湯沸かし)のかかったストーブや冷蔵庫、台所まわりなど、当時の生活ぶりがうかがわれます。 白黒写真に着色した画像 東高教員住宅 玄関側 居間の写真 【工藤 央】 夕張東高教員住宅の土間を上がった居間の部分です。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅から 清水沢方面 昭和40年頃。 この写真は、左手に遠幌駅の駅舎があり、ホームの向かい側から清水沢方面に向かって撮影されたもの。 線路の先には清水沢清湖町のアパート群が立ち並んでいます。 昭和48年『塩狩峠』(三浦綾子原作・松竹映画)の撮影が三菱大夕張鉄道を舞台に行なわれました。その際,映画の冒頭遠幌駅ホームが… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 遠幌駅から 南大夕張駅方面 昭和40年頃。 南大夕張駅方面を写した写真。 昭和15年木材積み出しの停留所としてスタートした遠幌駅ですが、北炭遠幌炭鉱の開鉱など、戦後は石炭の送炭も開始されました。 それに伴って,農地が主だった遠幌も炭砿の従業員の炭砿住宅など多くの家々が軒を並べにぎやかになっていきました。写真は木材積込み… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代 遠幌駅前 車窓の風景 【飯田雅人】 三菱大夕張鉄道の遠幌駅前の写真ですが,この風景は昭和40年頃、札幌-大夕張間を走ったバスの車窓から何度も見た印象の印象が強く残っています。 清水沢から左に道が折れて,このあたりまでくると山がぐっと集落の両側に迫り大夕張の圏内に帰ってきたという思いをもちました。写って… 続きを読む
学び舎の思い出 裏から見た東高 裏側からの夕張東高 【藤田育雄】 この写真は結構貴重なアングルです。 卒業生が見たら泣いて喜ぶでしょう。裏側の教室、体育館きっと感動すると思います。 裏山からの光景 【飯田雅人】 東西を山に囲まれていた大夕張に住んでいた方々には,きっと共通のものでしょう。家の裏,学校の裏から、尾根伝いに、ある… 続きを読む