思い出ばなし 東小の思い出マップ|高橋歌子 これは、昭和48年の鹿島東小学校の卒業アルバムからです。 夏休みに閉山で転校してしまった私は、卒業していないのですが、送ってもらいました。 閉山の時点で昔より学級数が少なくなっていたので、空き教室が卓球室になり、行く人も少なかったので皆気持ち悪がっていました。 トイレも大きくてシーンと… 続きを読む
思い出の記 昭和45年 バイクで写真撮影|Kawauchi Masami オートバイと私 1970年、昭和45年です。 オートバイに乗ってた私は、閉山の噂がで始めた頃だと思うのですが 撮っていた方がいいかなと言う感じで、その日のうちに春日町の吊り橋 神社からの風景 大夕張ダムを 撮って歩きました。 昭和45年、明石町の、鹿島自動車教習所跡地にて。当時イージライダー… 続きを読む
思い出の街角 閉山の記憶 昭和48年(1973年)の三菱大夕張炭鉱閉山後、春日町をはじめ、弥生町、緑町等の従業員の炭鉱住宅は取り壊された。 住宅が取り壊されていく様子は、遙かなる思い出の故郷の10分47秒のあたりから数十秒間、映像の中でも映っているが、閉山後一気に取り壊し作業は進められていったことだろう。 平成9年に鹿島小学… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その3 昭和30年代、最盛期には、山の上の方まであった住宅も、空き地が目立つ。 その空き地のあたりも子どもの頃のいい遊び場になっていた。 昭和48年(1978年)の富士見町方面。 今は、このあたりを国道が通っているようだ。… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その1 「思い出帖-パノラマ」に掲載している『昭和48年 大夕張 街並みの』の写真は、閉山直前のにぎやかな街の最後の姿ですが、一連の写真を一枚ずつ掲載していきます。 夕張岳の麓。大夕張の街。1973年(昭和48年) 『昭和48年 大夕張 街並み』のパノラマ写真はこちらから。 https://ooyuba… 続きを読む
思い出の街角 大夕張の初詣 | 海も好き 閉山直後の大夕張の初詣。 白黒写真に着色した画像 昭和48年12月31日大晦日or昭和49年1月1日元旦の写真ですね。三菱大夕張鉄道お別れ運転のネガで、後ろのコマなので間違いないと思います。三菱大夕張炭鉱の閉山後、最初の初詣に行った時に撮ったのでしょう。 この場所は健保会館だと思うのですが、いつ頃か… 続きを読む
炭鉱とともに 昭和48年 スナック『しのぶ』と味の店『はるみ』 この年、1973年(昭和48年)4月19日に会社から閉山提案。 世帯数3246のうち、商店、2百数十世帯が、炭鉱とともに生活してきた。 町全体の存亡の危機の中、商店も5月28日に行なわれた炭労のゼネストに参加したという。 閉山阻止の運動もむなしく、8月大夕張炭鉱は閉山となった。 写真は、岳富町商… 続きを読む
思い出の街角 閉山直後の大夕張駅 昭和48年閉山直後に撮影された大夕張駅。 鹿島小学校側から大夕張駅ホームと改札口。 白黒写真は、鹿島小学校の郷土室に保管されていたものだったが、痛みがひどい。 修正して着色した。 白黒写真に着色した画像 鹿島小学校グラウンド側から撮影した大夕張駅 なお、同じ頃、カラー写真でとられた同じ構図の大夕… 続きを読む
思い出の街角 リハツパーマ この写真は、閉山後のものと思われる。 昭和49年頃だろう。 建物と一体化した高さのある壁面に、ひときわ大きな文字で描かれた『リハツ パーマ』の文字。 炭砿住宅が建ち並ぶ中、非常に目立っていた理髪店。 昭和32年のこのあたりの様子は『栄町2丁目17番』で見ることができるが、栄町浴場のすぐ東側にあった。… 続きを読む
学び舎の思い出 奥鹿島分校 昭和48年3月 昭和48年3月 在校生と先生方。卒業を前に撮影したらしい。 二人の先生の顔が見える。 ワァー! 驚きました。上の段右から2人目が私です。懐かしい思いです。 先生が二人いますが、眼鏡をかけた方が中川先生。 それから新人の小林先生。(大学卒業したばかり) また中川先生は、凄い先生で、全国小学校教員の… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅構内 昭和48年の大夕張駅構内。 左に駅舎、続いて鹿島通運。 右に倉庫・精米所が見える。 向かって左の側線が、フレンド裏の石炭置き場に伸びていた。 踏切のそばにあった富士見町詰所のあたりから、作業の様子をよく眺めていたなあ・・・。 白黒写真に着色した画像 ブログ『煙の記憶』より 下は、大夕張鉄道の… 続きを読む
思い出の街角 栄町から富士見町 購買会栄町支所からプールまでの間には、空き地があった。 栄町の購買会横には踏切もあり、この空き地では、小学校低学年の頃(1960年代前半)よく遊んだ。 一人遊びの記憶。一人で遊ぶとろくでもないことを思いつく。見ての通り線路への柵もなく、土手をちょっと上がると線路だ。 踏切もあったが、人が通る… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和48年鹿島中学校教職員 昭和48年、この年の夏に三菱大夕張炭鉱は閉山しました。生徒数、教職員の数もこれを境に激減しました。 白黒写真に着色した画像 昭和48年鹿島中学校教職員写真 (最上段) 藤田宗義・②・宮崎寿美子・井上正・渡辺乃里子・久々湊淳・小林道博 (3列目) 高田義孝・新明修一郎・佐藤進・小見あや子・斉藤宏… 続きを読む
思い出の街角 栄町アパートと購買会栄町支所 昭和48年頃 右手前に購買会、左側に栄町アパート(ブロック)が並ぶ。 購買の入り口には、「コカコーラ」と「ボンカレー」の看板が掛かる。 ちょうど、『雨上がりの購買会支所』の反対側から撮った写真。 購買会の栄町支所と、本店が、両方見えている。 閉山直後の撮影だという。 粗い画質のせいか、それとも・・・… 続きを読む
本棚 『夕張炭鉱労働組合 創立30周年記念 労働運動史』の中の大夕張閉山 ゆれた大夕張閉山阻止の闘い 炭労は70回の臨時大会で、「長期操業計画明示要求」の闘争方針を決め、(昭和)48年の年明けから具体的な戦術をもって闘いが進められた。 各支部ごとで積み上げられた闘いは、4月段階に入って本格化、各社の長計が明示されるにいたった。 しかし、大夕張炭鉱だけは、暫時猶予をね… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街 サンワ・十八番 鹿島小学校郷土室の写真の中の一枚。 鹿島小学校郷土室の中には、多くの写真が保存され、展示されていた。 その中に、大夕張の街並みを写した一連の写真のシリーズがあった。 そこには、「炭鉱が閉山になると聞いて、昭和48年の夏、鹿島小学校の先生たちが、街がなくなってしまうかもしれなという気持ちで、写… 続きを読む
思い出の街角 大夕張生協 昭和48年閉山の夏。 閉山直後に撮影された写真は、『ふるさと大夕張』に掲載されていたが、これらの写真は、鹿島小学校郷土室にあった写真。 郷土室にあったそれらの写真の説明では、『閉山により街の姿が大きく変わることを予想し、記録を留めておくために鹿島小学校の先生が撮影してまわった』と書かれていた。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 宝沢の築堤を行く列車 白黒写真に着色した画像 宝沢の築堤を大夕張駅に方面に向かって行く列車。築堤の斜面に、泉町(錦町)から鹿島小学校に向かう小道が見える。 Masaさまブログ「煙の記憶」管理人の『海も好き』でございます。 この写真を撮ってる立ち位置は錦町だったでしょうか?SLが走る築堤の向こう側が宝町だったでしょうか?何… 続きを読む
昭和 1973年(昭和48年) 1月 15日,泉町火災。2月 18日,町内対抗のど自慢大会。3月 第二聖心幼稚園閉園。 18・20日,映画『塩狩峠』ロケのため,遠幌‐大夕張炭山,南大夕張‐大夕張炭山間臨時列車運転。4月 1日,鹿島中,19学級(含特学1)生徒数720。 19日,午後1時より開催の本社臨時経営協議会席上、大夕張砿業… 続きを読む