楽しかった日々 森林鉄道の記憶 トロッコ1 昭和35年。 南部貯木場。 先頭に立ってポーズをとる青年の姿の後ろには、子どもや女性の姿も見えていて、これも当時行なわれた何かの行事の一コマだったのだろう。 白黒写真に着色した画像 左に見える気動車は野外博物館「北海道開拓の村」山村群にある森林機関庫に展示されているものと同型で、次のよう… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 崩落した崖を見上げる 『1960年(昭和35年)列車折り返し運転』のなかから。線路脇の崖の崩落により列車をのりかえ通学する高校生たちや工事関係者の姿を写した5枚の写真のうち、「2 崩落した崖を見上げる」の写真に着色したものです。 ↓白黒写真はこちらのページ。 https://ooyubari.com/2020/07/… 続きを読む
思い出の街角 直心の坂 春 昭和35年頃 崖の上に見える建物は代々木町のあたり。 後ろの山にも雪がまだ残り、この時期雪はとけても、山を越えてまちに吹き込む風はとても冷たかった。 白黒写真に着色した画像 この坂(崖)は、冬はスキーのジャンプにそり遊びに、そして、代々木町と春日町を結ぶ大事な生活道路だった… 続きを読む
思い出の街角 大夕張劇場 映画の看板 千年町大夕張劇場。右手が千年町駅、左手が鹿島東小学校方向。 ずらりと映画の看板が入り口の上に多数貼りだされている。 左から写真を拡大しながら、映画のタイトルを読んで行くことにしよう。 『遥かなる男』 〇七〇〇笠のような字が見える。絵は時代劇のようだが、わからない。 『雨情』 『土俵物語』 『水戸黄門… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 9201 9201 北部移転当初の昭和4年から昭和38年まで、活躍を続けた蒸気機関車。 白黒写真に着色した画像 昭和35年大夕張炭山 入替えに活躍した9201号と9237号 【奥山道紀】 9200形機関車は,昭和4年専用鉄道の北部延長,自営運転開始に合わせて美唄鉄道より譲受ました。 以来,「920… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 列車を乗り換える 『1960年(昭和35年)列車折り返し運転』のなかから。線路脇の崖の崩落により列車をのりかえ通学する高校生たちや乗客達の姿を写した5枚の写真のうち、「4 列車を乗り換える」の写真に着色したものです。 白黒写真に着色した画像 もとの白黒写真をみるにはこちらのページから↓ https://ooyub… 続きを読む
思い出の街角 昭和34年頃 大夕張カトリック教会 上空から 鹿島小学校の新校舎が完成して間もない頃。 緑ヶ丘と呼ばれていた地域。 鹿島小学校の裏手の坂を登ったところにあった教員住宅や、教会の裏手の土俵が確認できます。 炭礦が景気の良いときは、大相撲の巡業も行なわれました。 白黒写真に着色した画像 『おばけ神社』といわれていた場所があります。この写真の右手、大… 続きを読む
思い出の街角 昭和35年 鹿島小学校 大夕張神社に登る坂道で途中息が切れて、苦しくなると、必ず休むのが一つの目の曲がり角。 その昔は、そこから上に登る道があって、もう一つ神社があったらしい。むかし「乃木神社」、時代が下って「おばけ神社」と呼ばれていたというはなしもある。(それぞれ、”乃木神社” ”おばけ神社” で検索すると関係の文章がで… 続きを読む
楽しかった日々 おもちゃ この写真、昭和30年代中ころ。 頭の中で描いていた色とりどりのオモチャ達が、モノクロからカラーへ。色がついて身近になった。 記憶をたよりに、想像をいれながら、彩色していった。 今も頭にあった色のイメージ・・・SLは濃い青、バスは赤みがかった黄色ないしは黄土色に近い色、というのが記憶に残る… 続きを読む
思い出の街角 代々木町の高台から見る磯次郎の沢 撮影者は屋根の上に立って撮影したのだろうか、けっこう高い位置で撮影している。 正面に磯次郎の沢。沢の裏手の山は、山菜を取りにはいったり、遊び場にしていた子どもたちも多かった。 季節は秋だろうか。昔、畑に藁で野菜や木を保護したり、物干しにダイコンの葉をかけていた様子を覚えているが、住宅の畑に… 続きを読む
思い出の記 桜組野球チーム |Kawauchi Masami 昭和40年、鹿島小学校グラウンド、バックネット前 白黒写真に着色した画像 私は前列中央 バックネットの後ろにテニスコート、スキー場、富士見町の住宅がみえる。 私達、鹿島小学校、桜組は野球部が有りました。 1軍と2軍がありまして、鹿島東小学校の選抜チームと試合をするのに、東小学校まで行きま… 続きを読む
記念の日 健保会館前の少女 昭和35年夏 健保会館前の庭。強い陽射しの中で、まぶしそうな表情をしている少女。小学校も授業は午前中で終わり、半ドンだった。お祭りの日のお出かけだろうか。 白黒写真に着色した画像 健保会館前の庭にて… 続きを読む
楽しかった日々 神輿と子ども 昭和35年頃 春日町。 白黒写真に着色した画像 春日町詰所前のこども御輿と、その前で記念写真 御神輿に賽銭箱 【菅原 雅行】2003年06月03日(火)01時02分58秒 30年振りに大夕張のお祭りを思い出しましたが、関東のむし暑い6月に比べ、何と爽やかだったことか。 お神輿をかついで、疲れたらう… 続きを読む
楽しかった日々 代々木町佐藤さん宅の記念写真 白黒写真に着色した画像 後ろに見える清掃道具や、牛乳受けの箱も今では懐かしい 代々木町佐藤さん宅の記念写真 【斎藤敏幸】(2021年5月9日) 昭和35年頃 父の友人の佐藤さん宅前で撮った写真です。 私は神社方向の夕陽をまぶしそうな顔を しています。… 続きを読む
思い出の街角 代々木アパート 昭和30年に代々木アパートは、完成しました。まだ完成後、間もない頃でしょうか。道路を挟んだ協和会館側から撮影された写真のようです。 二棟のうち、北側にたっていたアパートの様に見えます。ちょうど下で泊川さんが書いた『雪の城』は、このあたりに作られたものでしょうか。 町内掲示板のそばで男子高校生ら… 続きを読む
思い出の街角 春日町住宅から坂の上の代々木町 昭和35年頃 春日町の北側の住宅地の一角だろうか。軒先で遊ぶ子は、兄弟なのか、ご近所さんなのか。年の離れた中学生と小学生のようです。そしてそれを見守る煙草をくわえているような姿のおじさん。 ご近所同士、兄弟を入れて、自然に、年齢の離れた小集団を組んで遊んでいたものでした。 よく見えませんが、何… 続きを読む
思い出の街角 栄町アパートから 昭和30年代。最盛期の町。健保会館武徳殿の庭の様子が、よくわかります。そして、正面には、三菱大夕張幼稚園の玄関のある中央の建物と東西に伸びた立派な園舎全体が写っています。この頃は、この規模の園舎にさえ収容しきれなかったのか、私たちは、2部制の一日交替で幼稚園に通っていました。 奥には、園庭の一部… 続きを読む
楽しかった日々 そり 『そり』といえば、この赤茶けた台車のような形をした、木製の『そり』しか覚えがない。 台車の下の車輪の代わりに、細い二本の板に、鉄板が打ち付けてあった。 小さいころ、冬は購買会への買い物に手伝いをして、これでみかん箱や、リンゴ箱を載せて運んだこともあった。 力で押すタイプでしかも、重心がや… 続きを読む