月: 2020年1月

1928年(昭和3年) 昭和

1928年(昭和3年)

2月 初)橋梁橋桁到着完了し,南部在住佐藤庄太郎により馬橇により運搬開始。 3月 初)橋桁運搬完了。 三菱大夕張に請願巡査1名。北部に1名派出所。(向こう1年間許可) 4月 1日,鶯沢,吉野沢橋梁,架橋工事に着工。 6日,五十鈴沢橋梁,架橋工事に着工。 15日,香椎沢橋梁,架橋工事に着工。  30日…
1927年(昭和2年) 昭和

1927年(昭和2年)

3月 17日,専用鉄道北部延長工事申請。 4月 8日,本店,技術部沢田技師,はじめて工事予定線を踏査。 10日,大夕張砿直轄鉄道係設置,事務所を用度係事務所(既成線終点4哩70鎖の山川附近)内に置くこゝとした。 5月 中旬,専用鉄道延長工事担当者として沢田技師発令。 22日,沢田技師着任。 6月 1…
1926年(大正15年) 大正

1926年(大正15年)

7月 1日,大夕張青年訓練所開所。 8月 北部開発,第2次案の通洞案に決定。南部二股市街-ダニ峠-通洞台地(鹿島小グランド)まで馬により資材・機械を運ぶ。 9月 通洞開鑿工事に着手。 11月 三菱鉱業,大夕張北部新鉱開発5ヵ年計画に着手。南部-北部大夕張間の鉄道工事始まる。専用鉄道は既成線4哩55鎖…
1925年(大正14年) 大正

1925年(大正14年)

2月 11日,若葉第1斜坑 発破による死者1負傷8。 3月 大夕張炭山派出所を廃止。 9月 4日,大夕張義勇消防組,公立大夕張消防組として認可。初代組頭小紙元春。 12月 鹿島沢探炭坑道,炭層状態確認をして一時中止。 【夕張市人口 48697 : 大夕張地区人口 - 】 【社内炭砿人員:652】 【…
1924年(大正13年) 大正

1924年(大正13年)

2月 常盤沢試錐・スエーデン式17号。(北部) 3月 9日,六尺の輸送路近くの下河原松太郎監督下の飯場で火災。炭車暴走し選炭場が被害。 12月 通洞坑口予定地の初音台地に坑夫社宅6戸建2棟建てられる。(翌年春にかけ) 【社内炭砿人員:822】 【出炭量:86.798t 累計:820.417t】 大夕…
1923年(大正12年) 大正

1923年(大正12年)

4月 10日,火葬場できる。(14坪釜2基) 6月 鹿島沢探炭坑道開鑿による炭層調査開始。(北部) 12月 三菱大夕張鉱に実業補習学校(鉱業)を設置。小学校高等科卒業の男子を入学資格,修業年限を3ヵ年とする。 北部開発,第2次案を最良として測量開始されるが,関東大震災のため中止。 【夕張市人口 44…
1922年(大正11年) 大正

1922年(大正11年)

1月 鹿島沢試錐スエーデン式11号。(北部) 2月 1日,三菱鉱業の合理化により,大夕張砿業所を美唄砿業所の支坑に改める。 4月 香取沢試錐スエーデン式12号。(北部) 6月 大夕張尋常小学校,4教室,児童,職員玄関等増築。 校旗制定。 8月 パンケ大二股試錐13号。(北部) 11月 中の沢試錐スエ…
1921年(大正10年) 大正

1921年(大正10年)

5月 6日大夕張郵便局(請願により夕張郡夕張町字大夕張炭坑に設置(昭和5年南大夕張郵便局に改称)7月 鹿島沢地域試錐9,10号・北卸沢探炭試錐英式1号。(北部) 25日,新錦坑でガス爆発。死者5名。10月 春日沢試錐英式2号。(北部)11月 香取沢試錐英式3号。北卸沢試錐英式4号。(北部)北部開発第…
大夕張訪問記(2003年8月)|桂 訪問記

大夕張訪問記(2003年8月)|桂

平成15年(2003年)8月18日(月) こんにちは。川崎の桂です。掲示板にも書いたのですが、 8/18に大夕張に行ってきました。およそ2年ぶりでしたが、 短い時間でしたが、大夕張の空気を吸って、リフレッシュしました。 また、ぜひ行きたいと思います。 記念碑にて 鹿島小グラウンド跡地の鹿 かつての大…
大夕張の人口推移 統計

大夕張の人口推移

大夕張の人口の最盛期は,昭和30年頃。昭和30年代後半から人口が減りつづけ,昭和48年の三菱大夕張鉱の閉山を迎えることとなります。47年から48年にかけて人口は半減してしまいました。昭和初期から40年以上にわたって築かれた町は姿を変え,それまでの町の歴史を一変させてしまいました。平成10年,大夕張か…
シューパロ川下ってきました|高橋歌子 訪問記

シューパロ川下ってきました|高橋歌子

シューパロ川下ってきました。 出発してすぐ沢が合流してダバダバだった  2001年06月03日(日) 一部お誘いした方々。これなくて正解です。本日のシューパロ川、めちゃくちゃ激流です。中級者以上でないと無理でした。 前々から計画していたシューパロ川カヌー下り、本日行いました。 朝、下見に行…
大夕張駅前の移り変わり 思い出の街角

大夕張駅前の移り変わり

大夕張駅から駅前通り風景の写真を3枚。昭和20年代から昭和40年代への20年間の市街地の発展は目をみはるほどです。炭鉱隆盛の時代。昭和48年の閉山から25年を経た老朽化した建物は時代の流れを示しています。昭和20年代の写真は夏の日の午後でしょうか。通りを歩く人々の声が聞こえてきそうで心に残ります。後…
冬の大夕張 | 内川准一 訪問記

冬の大夕張 | 内川准一

昭和24年大夕張生まれ。昭和37年4月札幌に転出。 平成9年(1997年)3月21日冬の大夕張へ  大夕張の閉鎖が近い。今年中に街も学校もなくなってしまうと、来年からは本当に何もない野原になってしまう。思い出を辿るための何物もなくなってしまう前に、住んでいる人のいる間に冬の大夕張も見ておきたい。  …
八百五十 地図

八百五十

八百五十、はっぴゃくごじゅう、ほぼ850メートルの高さで、神社から続く山の名前です。赤い○で表したところが山頂です。大夕張の人たちは、スキーや軽登山などで馴染みが深く、歌の歌詞にも歌われるほどでした。 この画像の作成は,DAN杉本氏のフリーソフト「カシミール」で国土地理院発行の「数値地図50mメッシ…
大夕張駅上空から パノラマ

大夕張駅上空から

昭和35年頃の大夕張。昭和33年に建設された鹿島小学校の校舎は映っていますが,大夕張駅前の道路はまだ未舗装のようにみえます。岳富町の商店街もまだ線路側に軒を連ねています。この他,鹿島小の土手側には昭和32年に千代の山一行が巡業したという土俵や(のち聖心幼稚園建設で取り壊し)グランドの一角に大きな木の…