月: 2021年2月

カルタ大会 楽しかった日々

カルタ大会

昭和40年代 大夕張の子どもたち。冬には、百人一首やカルタで遊んだ。お正月や、冬休み期間中には、大夕張の各町の詰所や集会所等でカルタ会が、盛んに催された。板カルタ、下の句読みが主流だった。 白黒写真に着色した画像 大夕張の子どもたち 昭和41年冬 町内会対抗「下の句カルタ大会」 協和会館別館で行われ…
百人一首 |石原賢治 思い出ばなし

百人一首 |石原賢治

 定番の『全国共通かるた』ですが、九州出身のわが家にあったものは、読み札に、公家だの、姫様だの、坊主などの作者の絵がかかれていまして、『坊主めくり』などという、お坊さんには大変失礼な遊びをしていました。  裏にした読み札を、順番に1枚ずつめくり、坊さんを引くとそれまで貯めた札を出し、お姫様が出るとそ…
昭和30年 青葉寮から見た鹿島東小学校 学び舎の思い出

昭和30年 青葉寮から見た鹿島東小学校

昭和30年冬の鹿島東小学校。青葉寮(独身寮から妻帯者用途として青葉荘に改修)から見た鹿島東小学校。 白黒写真に色付した画像 鹿島東小学校6年間の思い出 【山下貢(みっこ)】  (2010年)  これは懐かしい。  50年前にタイムスリップです。  小学校6年間の思い出が、ぎっしり詰まった校舎です。 …
私の断片的記憶|たいこのもりお 思い出ばなし

私の断片的記憶|たいこのもりお

 時々、大夕張の事を思い出します。  はっきりとした事や、断片的な事や、曖昧だったりですが、投稿させていただきます。    昭和30年代の半ば、鹿島小学校のグランドにサーカスが来て、バイクの曲乗りをした。  冬はグランドに雪像がたくさんあった。   緑町の2丁目に、八木さんという床屋さんがあって、そ…
第6回 労働文化祭(協和会館) 楽しかった日々

第6回 労働文化祭(協和会館)

 昭和28年 協和会館にておこなわれた労働文化祭の舞台。  三菱大夕張礦業所のスリーダイヤのマークが入った水引幕とともに、両脇には、「第6回労働文化祭」「郡山流尺八・生田流箏曲 大夕張禪琳會」の垂幕。  バック幕に掲げらられた、飾りは文字か?紋様か?  戦後、労働組合の設立とともに労働文化活動が盛ん…
むろ( 室 )|高橋正朝 #25 続・大夕張つれづれ

むろ( 室 )|高橋正朝 #25

 我々の年代が、大夕張に住んでいた少年時代は、厳寒期になると野菜が不足した。  ちょうど、今ごろの時期てすネ。 しかし、栄養失調の話は聞いたことはなかった。  実際は、栄養失調に陥った人はいたかもしれないが、子どもだったがため、単に、社会のできごとを知らずに過ごしたのかもしれないが ••••••。 …
明石町全景 東高の丘から 大夕張の全景

明石町全景 東高の丘から

「東高の丘から」という表題を付けましたが、たぶん夕張東(鹿島)高のグラウンドから見ている写真だと思います。  大夕張労組の解散記念誌に掲載されていた一枚。ここの角度での風景は、『GoogleEarth』や、『Googleマップ』で『鹿島眺望公園』に行くと、簡単に見ることができます。  『鹿島眺望公園…
牛乳配達のアルバイト|花田勝則 思い出ばなし

牛乳配達のアルバイト|花田勝則

 堀田牛乳では、小学生の頃、何年か牛乳配達のアルバイトをしていました。    夏場はリヤカーで、あるいは自転車で、冬場はそりに乗せて、配達してました。    冬場は、明け方3時・4時の配達で、牛乳が凍らない内に配達しなければなりません。    一度に沢山積んで出発出来ないので、何度か堀田牛乳店に戻っ…
『走れ!ケ-100』大夕張炭山駅ロケ 楽しかった日々

『走れ!ケ-100』大夕張炭山駅ロケ

 昭和48年8月 閉山の年の8月。12月には、大夕張炭山~南大夕張間は廃止となりました。  この昭和48年にTBS系(北海道はHBC・北海道放送)で放送されたテレビドラマ「走れ!ケー100」のロケが行われました。主演の大川栄子さんの姿も見えます。  それまで『キイハンター』の「谷口ユミ」役で、チャー…
食憶(その5 木箱の中身)|長谷川潤一 食憶

食憶(その5 木箱の中身)|長谷川潤一

 大夕張の暮れは、すっぽりと雪の冬でした。  この時期ならではな物を、ちょっこといきたいと思います。  まず「リンゴ」。  幌掛けのチェーンを撒いた小型トラックに拡声器がちょこんと載っかっていて、「青森から来たさ」という眼鏡のおじさんが、お国訛りで売って歩いてました。  あの長方形の板作りのリンゴ箱…
大夕張炭山駅 運んだ、石炭を人を

大夕張炭山駅

白黒写真に着色した画像 昭和40年頃の大夕張炭山駅 三菱大夕張鉄道の始発駅 【飯田雅人】 (平成10年5月28日) 私が当時住んでいた富士見町から近い駅が大夕張炭山駅でした。 三菱大夕張鉄道の始発駅で,清水沢駅が終着駅でした。 私の記憶の中では炭山駅の屋根は淡いうぐいす色ですが,現在では赤い屋根に黒…
夕張そして札幌へ|Kawauchi Masami 思い出の記

夕張そして札幌へ|Kawauchi Masami

 昭和29年6月2日、 父 河内正雄 、母 君江 の三男です。 氏名 河内正三(まさみ)、 南清水沢で、産ぶ声をあげます。   父は、大夕張鉱業所に働いていましたが、住宅が当たらない為、寮に入っていたと聞きました。  私が2歳の時、緑町に住宅が当たり、そこから18歳までの大夕張生活でした。  18歳…
『押入れ炭礦鉄道』 大夕張色の情景

『押入れ炭礦鉄道』

 「ふるさと大夕張」のデータをごそごそやってたら、20年近く前の、忘れていた動画を発見!解像度の低い、年代物の動画。子どもを撮っていたHi-8のビデオでとっていた。  鮮明な動画で撮ってみたい。いつになるのやら。  シューパロ湖畔を走っているつもりの動画。我が家の『押入れ炭礦鉄道』のジオラマは、20…
食憶(その4 小学校の給食)|長谷川潤一 食憶

食憶(その4 小学校の給食)|長谷川潤一

 斎藤さんのところで鹿島小学校の解体の写真は、みんなショックだったという話になり、鼓笛隊などの思い出話をしました。小学校にちなみ、給食の話しなどを。  ちょうど私どもが入学の折りに給食は始まりました。  一年生から給食を食べたというのは、私どもからということらしいです。当然今と違って自校式ですからし…
大夕張駅前を行く『ケ-100』 楽しかった日々

大夕張駅前を行く『ケ-100』

昭和48年夏 大夕張駅前 TV番組『走れ!ケ-100』の番組のロケが大夕張炭山で行われた。併走する自転車の少年が、微笑ましい。後ろを走るバイクは、長ーいバックミラーがついています。 白黒写真に着色した画像 駅前を牽引されていく『ケ-100』  当方のブログでも紹介しておりますが、大夕張駅前の風景も写…
食憶(その3 「へ」の字)|長谷川潤一 食憶

食憶(その3 「へ」の字)|長谷川潤一

 初雪、初氷、夕張岳にも白い雪が・・という時期になると思い出すものは何か?  そうです、漬け物です!  紅葉が進むと、あちこちの長屋の壁や洗濯物の物干し竿に、ずらーっと掛かっていたダイコンです。  縄で一本ずつ丁寧に縛られて、長屋の間にユラユラ、ブーラブラと山間の早い西日の中で揺れていました。  そ…
志垣太郎のCM撮影 -大夕張にやってきた芸能人- 楽しかった日々

志垣太郎のCM撮影 -大夕張にやってきた芸能人-

昭和47年12月。CM撮影で,客車内で撮影が行われた。グリコアーモンドチョコレートのCM撮影。 カラー写真の色調を補正し、リフレッシュしました 大夕張炭山 機関庫 客車の前で  かつて『ふるさと大夕張』の掲示板で、志垣太郎と大夕張のかかわりについて話題になったことをがありました。古い記録からですが、…
食憶(その2 食堂のお話)|長谷川潤一  食憶

食憶(その2 食堂のお話)|長谷川潤一 

 一回目の投稿からだいぶ間が延びました、のびついでの話でラーメン話を。  当然のこと、池田屋さんは幅広いメニューでメジャーでした。  思い出すのは、薄口色のスープのラーメン、ゆで卵などを抜いた「かけラーメン」、値段を抑えた「学生ラーメン」。  そして永遠に忘れられない味なのが、たこ頭型の銅板焼き饅頭…