思い出の街角 宝町『キャンドル』 先日の石野さんの貴重な8ミリ映像の一コマより。 昭和46年(1971年)夕張東高の仮想行列のワンカットだ。 宝町から千年町に抜けるコース、ここは、千年町児童公園の前を通り、劇場前に出て行く道であり、私にとっては、鹿島中学校への通学路であり毎日のように歩いた道だった。 最初映像を見たとき、すぐ… 続きを読む
思い出ばなし 東小向こう岸のアンモナイト化石 | 小林光志 昭和35年ころ(私が中学1年)、毎日、春日町から鹿島中学校まで登校していましたが、時々悪がき仲間と通学路を離れて登校しました。 春は、うど、夏はスイカ、秋は大根人参などずいぶんご馳走になりました。 シューパロ川に沿って、行くこともありました。特に便所場球場から下流は、川沿いに道のないところ… 続きを読む
思い出の街角 栄町から富士見町 購買会栄町支所からプールまでの間には、空き地があった。 栄町の購買会横には踏切もあり、この空き地では、小学校低学年の頃(1960年代前半)よく遊んだ。 一人遊びの記憶。一人で遊ぶとろくでもないことを思いつく。見ての通り線路への柵もなく、土手をちょっと上がると線路だ。 踏切もあったが、人が通る… 続きを読む
思い出の記 昭和47年 宝町3丁目の炭砿住宅と妻|Kawauchi Masami 白黒写真に着色した画像 宝町3丁目の炭砿住宅。妻と姉。 向かって左で犬を抱いているのが妻で、赤ん坊を抱っこしているのが、妻の姉、そして近所のおじさんです。 妻は、北菱閉山で大夕張に来て、大夕張閉山で登川にいきました。昭和47年(1972年)ぐらいに大夕張に来て、75年には登川に行っています。… 続きを読む
映像 三菱大夕張炭礦株式会社『社歌』B面 前回、会社から各家庭に配布されたと書いた。 しかし、もとになったEP盤は、我が家にあったものではない。大夕張から札幌に出るときに処分されたのだと思う。 20年くらい前、『大夕張小唄』のSP盤や『社歌』を、ヤフオクで購入した。しかし、残念ながらプレーヤーを所有していないため聞くこともできず死蔵し… 続きを読む
続・大夕張つれづれ pH ( ペーハー ) | 高橋正朝 #55 鹿島中学校2年生の理科の授業で、水の電気分解が実施された。 窓の外の木々は、まだ緑の葉をつけていたので、2学期になって間もないころだったと思う。 理科の担当は、デンスケと生徒たちが勝手にアダ名した、大宮六郎 先生だった。 私たち K 組の担任でもあった。… 続きを読む
映像 三菱大夕張炭礦株式会社『社歌』A面(昭和45年1月制定) EP盤のレコードから、音声をデータ化しました。 昭和45年、会社から各家庭に配布されたと記憶しています。 新会社発足、南大夕張での新鉱開発、何かが変わりつつあるということが感じられた昭和45年でした。 その当時薬局に勤務していた父も、薬品管理にコンピュータ-が導入されるという話で… 続きを読む
映像 1961年~1971年 大夕張映像 【YOUTUBE】UHB北海道文化放送 公式 道民映像アーカイブプロジェクト。 この8ミリフィルムは、炭鉱マンだった石野嘉明さんのお父さんが、撮影したもの。自宅の奥深くに眠っていたという。 ちなみにフィルムにも出てくるが、お母さんは、鹿島東小学校の教員だったので、ご存じの方も多いでしょう。… 続きを読む
思い出の街角 昭和36年 暁 橋 昭和36年6月30日竣工 暁橋(あかつきばし) 白黒写真に着色した画像 千年町と常盤町を結ぶ橋。完成した頃。【 みえこ】(平成21年4月3日) この あかつき橋が完成した時は、子供ながらに本当に安心しました。 以前の橋は、幅も狭く揺れも大きく、足元の隙間から川の流れが見え、側面は何も… 続きを読む
思い出ばなし 猫とブルドック|林 恭子 岳富町の写真とても懐かしく拝見しました。 私は昭和37年に炭砿病院で生まれ、昭和45年まで大夕張に住んでいました。 千年町に住んでいたので、大夕張駅に卵を買いに行く時、必ず岳富町の道路を通ってました。 あの頃、駅の待合室に卵売りのおじさんがいました。 岳富町の時計屋さんのショーウ… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅 昭和40年頃。大夕張駅 駅舎。 特に、昭和30年代、昭和37年に南部間との道路が開通するまでは、大夕張を出るには鉄道しかなかったころ、生活の中心には、この駅があった。 学生服姿の中高校生が、日差しの中に佇んでいる。 警察署の影が大夕張駅の庭に伸びる。 道路沿いには、水道栓がある。が、ここで… 続きを読む
随想 故郷大夕張 |西村武博 1998年の夏 私は、道内なのでこの夏に暇がある時に何度か大夕張へ足を運びました。行く度に感じたことは、懐かしいという感情と、寂しいという感情の入り交じったものです。 大袈裟に言うと、ここでの生活は何だったのだろうかと考えてしまいます。 冬は極度に寒くどっさり降る雪。 家の裏側は、除雪を… 続きを読む
思い出の街角 大夕張郵便局 昭和43年 大夕張郵便局。駅前の通りはまだ未舗装。 昭和43年7月から郵便番号制度が導入された。 当時は3桁ないしは5桁のだったが、夕張市鹿島は、「068-06」だった。 郵便局の看板にも、郵便番号の記入を呼びかけているものが見られる。 白黒写真に着色した画像 郵便局の思い出 【小笠原 … 続きを読む
思い出ばなし サッカーボールの思い出|成松泰彦 中学3年の修学旅行が終わってすぐに転校する事を知っていたが、友人には知らせていなかった。 6月の事だった。 そんな当の本人も、転校の事を知らされたのは、わずか2週間ほど前の事で、心の準備がいた。 何か自分の思い出を残していきたかった。 休み時間になると中庭で、男子も女子も輪になっ… 続きを読む
思い出の街角 昭和43年 千年町駅 千年町駅は郵便局や駐在所のあった商店街がならぶメインストリートからやや明石町よりのところにあった。 昭和25年11月1日、千年停留所として開業。 昭和35年3月21日千年町駅になり、昭和45年無人化された。 昭和48年三菱大夕張炭礦閉山のため、12月16日営業廃止となった。 当時,駅長… 続きを読む
訪問記 同期会と川遊び|池田憲治 2001年6月3日 準備 高橋さんの『シューパロのカヌー下り』など、このような遊びかたもあったのですね。 私も若かったらやってみたいな。 感動でしたね。紅葉で、水量の普通のときは最高でしょうね。 鹿島橋の近くまで、車は行けますか。 河原までどのくらい藪漕ぎがあるでしょうか。 今日、ホテ… 続きを読む
夕輝文敏 迎え人(びと)|夕輝文敏 ) 五月晴れのある日、洗車をしていると、女の子が近づいてきて、 「お父さん、ドライブに連れて行って」 と少し大きな声でいった。 周りを見渡すと洗車場には私しかいなかった。 女の子は私の前で立ち止まると、にっこりと笑った。 しばらく私はその子を凝視した。 間違いない… 続きを読む
写真 シューパロ湖 朝光|魚住 劭 撮影者、魚住劭(ウオズミ ツトム)さんは、札幌在住のアマチュア写真家。夕張出身者の方ではありません。 天候を予測して、早朝札幌を発ち、撮影地点で日の出を待って撮ったのだそうです。 なかなか出会える情景ではないと思います。奇跡的かも・・… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 蓄電池の硫酸|高橋正朝 #54 私が、鹿島東小学校4年生の初夏のころ、学校から帰ったら、玄関に見馴れないものがあった。 蓄電池である。 父親は、すでにオートバイを持っていたが、玄関にあった蓄電池は、そのオートバイ用ではなかった。 その蓄電池は、自動車用で、誰かから充電を依頼されたもので、我が家で充電している最中だった。 … 続きを読む
思い出の街角 昭和30年代 保養所 大夕張駅前,緑町にあった建物。 鉱業所の保養施設。薬湯・紫外線浴室サンルーム(太陽燈室)などが備えられ、従業員の病後の回復・健康増進のための施設。 付属して温室などの建物もあった。 白黒写真に着色した画像 大夕張駅前、緑町詰所の横にあった。右手の付属の建物は温室。 保養所 【泊川俊徳】 … 続きを読む