街の行事 昭和29年 稚児行列 昭和29年(1954年)7月18日の稚児祭りの3枚の写真のうちの一枚。 後ろの線路脇の向こうには大勢の人出。 稚児行列の子供たちは日ざしがまぶしそう。 自分はあまり馴染みがなかったが、「稚児祭り」「稚児行列」「お稚児さん(おちごさん)」と呼ばれて、今も全国で行なわれている。 衣装に色をつけ… 続きを読む
随想 私の故郷 | ゆかり ジャーモン 私は今アメリカのテキサス州ダラス市の会社からこの手紙を書いてます。 私の旧姓は藤井ゆかりです。私は昭和36年に夕張市で生まれました。 私が物心ついた頃は、夕張市花園町(その後、遠幌町に変わったかもしれない)に住んでいました。 私の叔母や叔父や祖父母は大夕張に住んでいて、そのうちの猪野泰次… 続きを読む
思い出の街角 鹿島中学校付近 常盤町 昭和45年頃 常盤町の坂の高いところから鹿島中学校方面をみた光景。季節は春だろうか、溶け残った雪のようなものが見える。 手前には山から流れる沢水を通す暗渠が見える。この沢は、地図や写真を見てみると、常盤町の坂と鹿島中学校の間で、幾筋も枝分かれをしながら流れをつくりシューパロ川に注ぎ込んでいた。 … 続きを読む
随想 袋田滝|久々湊真一 紅葉の季節ですね。 内地に比べると、大夕張の紅葉は鮮やかさが違います。ただ、期間が非常に短いのでタイミングが悪いと、見損なう恐れもある。 内地に住んでの感想は以前書きましたので割愛しますが、印象的な事柄として、車があります。 交通量の多さには、勿論驚きましたが、車の色の違いに感慨深かったので… 続きを読む
思い出の街角 開校四十周年記念パレード#5/7 昭和43年9月23日、鹿島小学校40周年を記念した鹿島小学校鼓笛隊のパレードを写す7枚のうち、1枚。 先頭の学校旗から最後列まで、大夕張駅前通りを行くパレード全体が写っている。 実際には、この写真の前を『祝開校40周年』の幟をかかげた児童が歩いている。 昭和43年当時、駅前通りの舗装化工… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和33年 鹿島東小学校 里見公園遠足 鹿島東小学校閉校記念誌の中からの一枚。 つけられたキャプションには、「昭和33年頃、里見公園に遠足にいく かわいい一年生」とある。 サトミ公園は大夕張にあった小公園。 写真の背景から、サトミ公園から鹿島東小学校に帰る途中の姿だろうか。 常盤橋も旧橋。 昭和30年前後、鹿島東小学校から明石町… 続きを読む
訪問記 ・・・(無題) |弥生町 本日、2013年6月20日。 若菜を右に、夕鉄のバスの建物を懐かしく想いながら、ひたすら清水沢へ。 途中、平和の炭坑の面影を背負い、清水沢の駅舎をのぞき、嘗ての 学ラン姿、セイラー姿の往来を感じながら、あそこに、カツオ出汁の30円ラーメンがあり、道を挟んでお焼き屋のお店があり、駅前食堂があり・… 続きを読む
思い出の街角 炭住とダイコン干し (緑町) 昭和37年頃の晩秋。 テレビアンテナと傘のついた煙突。煙突から立ち昇る白い煙。冬の訪れも近い。 秋の陽射しを受けてダイコンの簾が窓いっぱいにおおう。 出窓の上にのっているカボチャがまた秋らしい。 庭先に、コスモスにも見える植物が、花を咲かせている。 場所は、緑町浴場の裏にあった、緑町2丁… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 北海道弁••••••番茶 | 高橋正朝 #62 これは、10月初めに、Google でニュースを見たら、トピックスとして、hokkaidolikers.com に記載されていた北海道弁を、転載していたことについてである。 5つである。 北海道弁1: 番茶 北海道弁2: 青たん 北海道弁3: ぶす色 北海道弁4: ぼっこ 北海道… 続きを読む
楽しかった日々 ダイコン干しの一服 昭和30年頃 春日町。 前回の『ダイコン洗い』の住宅と同じ家の屋根の上だろう。 冬の漬物用に縄であまれたダイコンをつるし、その後の一服なのだろうか。が、それにしては、靴も、服も余所行き(ヨソイキ)過ぎる。撮影用に屋根に上がった? 片手に煙草をもってのんびりと座る一家の大黒柱たる主人と、そば… 続きを読む
思い出貼 故郷への想い|カメ 大夕張の紅葉。 例え様も無く綺麗だった。 箱根や京都の紅葉の比では無いと思う。 澄んだ水を満々と湛えるシューパロ湖。 そしてその湖面に映る紅葉と夕張岳。 そんな事を想っている大夕張住民が沢山いるんだろうな。 故郷は遠きにありて思うもの ・・・・・・なのかな。 (2010年10月1… 続きを読む
楽しかった日々 ダイコンの収穫 昭和30年代 春日町清明寮前の畑と思われる。 畑にダイコンやトウモロコシを植え、秋になると収穫していました。 白黒写真に着色した画像 ダイコン収穫の親子 春日町、清明寮とその前の畑 https://ooyubari.com/2021/03/25/seimeiryo/… 続きを読む
思い出ばなし 夕鉄バスの記憶|乗田功一 子供の頃、冒険心を起こし親に内緒で一人で、夕張へ行ったことがあります。 当然、お金もないので、清水沢までは汽車で(当時、回数券が会社より支給されていたのでタダで乗車できました)行き、そこからバスに乗り換え夕張へ。 適当に町をブラついたあと、帰りは逆のコースをとるべくバスへ乗車しま… 続きを読む
楽しかった日々 ダイコン洗い 昭和30年頃 春日町のどこからしい。 10月頃だろうか。 秋晴れの日を見つけて、ダイコンを素手、たわしでごしごしと洗い、縄でダイコンを編む。そして軒先にすだれのように干した。 今でもこの時期、外を歩いていると近所でも縄に編んだダイコンが干してあるのをみることがあるが、滅多にみなくなった。 大夕張から… 続きを読む
随想 《思えば遠くへ来たもんだ》| ziny 私の大夕張から旅立ちの光景。 今から42年前の3月、大夕張を朝7時過ぎでしたか、大夕張駅前のバス停で、バスケの仲間からケネディ大統領の文庫本を渡され、送られた記憶。 地面は雪でガリガリ。 札幌まで、今は亡き親父が送ってくれました。 バスの中で、小川知子の「初恋の人」が流れていたのが、今も… 続きを読む
思い出の街角 閉山直後の大夕張駅 昭和48年閉山直後に撮影された大夕張駅。 鹿島小学校側から大夕張駅ホームと改札口。 白黒写真は、鹿島小学校の郷土室に保管されていたものだったが、痛みがひどい。 修正して着色した。 白黒写真に着色した画像 鹿島小学校グラウンド側から撮影した大夕張駅 なお、同じ頃、カラー写真でとられた同じ構図の大夕… 続きを読む
思い出ばなし 最後の記念写真 |斎藤敏幸 栄町アパートには、東高を卒業するまで住んでいました。 当時の住所は、栄町2丁目14番地の8です。 ここには、元木造の八軒長屋が建っていましたが、それらを取り壊して立てられたものでした。 私は、小学校に入る前年に、新築時に入居しました。 コンクリートブロックの住宅は、当時とし… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 鉄橋を渡る列車 おそらく大夕張ダム完成以前の旧橋だと思うが、鉄橋を渡る列車。 荒々しい山肌と、そこにかけられた鉄橋が、石炭を運ぶ目的で奥地に向かって作られていった鉄道の事情を感じさせる。 場所不明。 白煙は後付け加工。 白黒写真着色した画像 谷にかかる鉄橋を行く蒸気機関車… 続きを読む
随想 夜空を見上げて |石原賢治 私の住む所は、最近晴天続きで、晴れ晴れしております。 夕方の帰宅の頃、空を見ますと、大きな月が出ておりました。 満月のようですが、ちょっと欠けてるのかな? という感じで、カレンダーを見ると、確かに旧暦の15日でした。 そういえば、最近夜空を見ても、月明かりはあっても、星を見る機会がないなと思… 続きを読む