交通関係 蒸気機関車『No_4』 銘板 夕張市石炭博物館にて余生を送っていた『No.4』 2003年頃SL館にて撮影。 形式 9600 昭和16年 日立製作所製造 山史によると、 『地方鉄道改組に備え、昭和12年8月12日、新製蒸気機関車9603号入線、更に、同年10月半鋼製2軸ボギー客車ナハ1号入線、客貨輸送に一新紀元を画せり。… 続きを読む
あらかると 鹿島東小の誕生 1951年 終戦直後の国策である石炭増産により、鹿島の人口は急増し、鹿島小学校の児童数は増加の一途をたどった。 大夕張の町も、昭和14年以降、錦・宝・春日の各町が新設され、更に第一農場(明石町駅付近)、第二農場(桜ヶ丘付近)を含めた明石町、常盤町が昭和23年~25年にかけて開町するに及んで、学級数は40をこ… 続きを読む
思い出の街角 南部貯木場 白黒写真に着色した画像 昭和30年代後半の南部貯木場 大夕張営林署南部貯木場 【奥山道紀】(2001年10月) 主夕張、下夕張、夕張岳の各森林鉄道で運び出された木材は、大夕張炭山(官行)や南部(南大夕張)の貯木場で大夕張鉄道の貨車に積込まれ、消費地へ運び出されました。 写真は昭和30年代後半… 続きを読む
思い出ばなし 千年町の教会|市橋 勝 千年町にも確かに教会がありました。 所商店の斜め向かい側の東小学校寄りの所だったと思います。 すっかり忘れていたのですが、私は小学校の時に青葉荘の友人に連れられて、日曜日毎にその教会に行ったことを思い出しました。 私はクリスチャンでもなんでもなかったのですが、牧師さんが行う説教の後に出て… 続きを読む
映像 閉山前の大夕張の映像 1997年から1998年にかけて「ダムに沈むまち大夕張」としての報道が各機関で取り上げられました。 その中に、昔の大夕張を紹介する映像がたびたび流されました。 ここの映像は、その中でも1997年7月6日(日曜日)に放送された『新・北海道中ひざくりげ』の「故郷を心に刻む旅」の中で流れたものです。 二木… 続きを読む
随想 なつかしいです|高橋博美 私は昭和30年生まれで高校1年の時、美唄から栄町に越してきました。 夕張工業の機械課を昭和48年に卒業しました。 以前、小林俊二が出てたのでなつかしく思いました。 思い出は神社の上でシンナー吸ったり、もう時効ですので言いますが、お金なかったんで夜、ガソリンを抜いたりとか、色々バイクでやかましくして… 続きを読む
絵画 働く看護婦 ~祖父のスケッチ帖から~ 看護婦さんという言い方から看護師さんというようになって久しいが、当時の看護婦さんの働いている姿をスケッチした三枚。 思い出しながら自宅で、あるいは病室の中で時間を持て余しつつスケッチ帖を手に描いていたのだろうか。日時の記載はないが、昭和14年の病院の絵の続きのページに描かれていた。 キャップと、… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 水戸黄門と吉良上野介 | 高橋正朝 #87 例によって、飯田さんの資料をコピペ。 大夕張劇場 映画の看板 ( 飯田さんの解説文を、一部抜粋 ) 【 水戸黄門 】東映 同名の作品が、1940年・1957年・1960年・1978年に公開されているが、おそらく1957年のもの。月形龍之介映画生活三十八年を記念し、東映ス… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 崩落した崖を見上げる 『1960年(昭和35年)列車折り返し運転』のなかから。線路脇の崖の崩落により列車をのりかえ通学する高校生たちや工事関係者の姿を写した5枚の写真のうち、「2 崩落した崖を見上げる」の写真に着色したものです。 ↓白黒写真はこちらのページ。 https://ooyubari.com/2020/07/… 続きを読む
思い出の記 緑町 見学旅行 |Masami Kawauchi 昭和36年(1961年) 緑町 班長の見学旅行です。 場所はわかりません。 母がうつっています。 私は小学校1年生でした。 白黒写真に着色した画像 夕張バスの前で記念写真 (筆者紹介) 昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。… 続きを読む
思い出の街角 大夕張土建労働會舘 外壁に大夕張土建労働會舘の文字。 外壁が一部剥がれ落ちて出入り口にいた壁が打ち付けられているような荒れた状態で、閉山後の撮影か。 場所は千年町のようだが、詳細不明。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
思い出ばなし 松本菓子店|松本勝弘 昭和39年に生まれ、18歳高校卒業まで、栄町商店街の自宅で育ちました。 今年の春頃に『ふるさと大夕張』を見つけました。最近は、はまってしまい毎晩のように拝見させてもらっています。履歴を探しても同年代の方が少ないのが残念ですが(生徒数が少なかったせいもありますが) 私は、帯向商店と佐藤時計店(キ… 続きを読む
思い出貼 職業安定所 鹿島小学校郷土室にあった写真の説明では、公共職業安定所とあった。 昭和40年代の千年町のように見える。 公共職業安定所は夕張本町にあり、夕張市史にもそれ以外の場所に出張所、連絡所があったという記載はないが、閉山後の就労斡旋のために臨時に設けられたものということも考えられる。 詳細は不明。 今で… 続きを読む
随想 ヒロちゃん・・・・? | 佐々木江里子 つい先日、偶然このHPを発見し、活気ある頃の大夕張の写真やサイレンの音、聞き覚えのある名前など、大変懐かしく拝見させていただきました。 大夕張掲示板を今古い順に読み始めていますが、1998年7月02日に投稿されている菅井宏史様。 私は旧姓西岡と申しますが、昭和38年頃から40年頃まで富士見町… 続きを読む
交通関係 鉄道廃線記念乗車券 昭和62年(1987年) 昭和62年(1987) 三菱石炭鉱業株式会社鉄道 発行 鉄道廃線記念乗車券 封筒表 南大夕張ゆき・清水沢ゆき デザイン四種 鉄道廃線さよなら列車記念 1911~1987 76年間 乗車券 乗車券 裏面(文面は四枚共通) 記念乗車券裏面 文面 ごあいさつ 三菱石炭鉱業鉄道は明治44年(1911)専用… 続きを読む
思い出ばなし 記憶の中の大夕張 その1|乗田功一 過去の記憶からいくつか。 ●鹿島小学校の運動会 紅白に分かれて勝敗を競う。 グラウンドの校舎側と、富士見町側とに分かれ、応援歌の応酬。 この応援歌、歌詞が難しく、全く意味不明。 最後の「フレー赤 フレー赤 フレーフレー赤~!」 の「赤」の部分が、白組だと「白」になる。 紅白同時に歌い始めるが、数… 続きを読む
思い出の街角 泉町10周年記念写真 昭和42年 泉町10周年記念行事 白黒写真に着色した画像 泉水町町内会の役員と出席者の皆さん 記念写真 【久々湊眞一】 昭和40年頃。 泉町開町10周年の記念行事。 左側の一番端に大夕張山神社の神主さんがいます。 宝沢の暗渠 【飯田雅人】 この写真ともう一枚の『泉町10周年』の写真を見ると、鹿… 続きを読む
思い出ばなし フジキさん |田中紀子 フジキさんの記憶を読み、もしかしてお父様は「藤木悠紀夫」さん。 私と同期です。 小さい頃は千年町に住んでおりました。 おじい様は最初は井出組でした。後に独立して、「藤木組」を設立され、手広く事業をなさっておりました。 大夕張駅を降りて、春日町に下りる坂の手前に、「藤木精米所」がありました。 遊びに行… 続きを読む
思い出の街角 直心の坂 春 昭和35年頃 崖の上に見える建物は代々木町のあたり。 後ろの山にも雪がまだ残り、この時期雪はとけても、山を越えてまちに吹き込む風はとても冷たかった。 白黒写真に着色した画像 この坂(崖)は、冬はスキーのジャンプにそり遊びに、そして、代々木町と春日町を結ぶ大事な生活道路だった… 続きを読む
思い出ばなし 記憶 |フジキ 1968年に大夕張に生まれ、多分、3歳ぐらいの時に埼玉の大宮に引越したのだと思います。 なにぶん、子供の頃なので、記憶が定かでないのです。 父や、お袋の話だと、祖父は藤木組にいて炭鉱で働いていたそうです。 親戚の叔母は、手芸店をしていたような気がします。 父はメタノール工場で働いていたようです。 … 続きを読む