思い出ばなし 冬のワカサギ釣り| Toshinori 自分は釣りは、やらないのですが、大夕張にダム湖が完成し、シューパロ湖ができた昭和37年頃、ワカサギの稚魚を放流したという。 北海道では冬に行なわれるオホーツク地方の網走湖のワカサギ漁が有名ですが、シューパロ湖では、ダムに氷が張ると氷上に風よけを作り、氷に穴を開けてワカサギを釣る風景が… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 〘 小学館 〙の雑誌〘 ボーイズライフ 〙その2|高橋正朝 #179 〘 ボーイズライフ 〙の何月号だったかまでは覚えていないが、手塚治虫へのインタビュー記事が載っていたことがあった。 そのなかで、手塚治虫は、『 劇画はやがて滅びる 』という趣旨の記事があった。 実際は、劇画は滅びるどころか、3〜4年後には、劇画が隆盛するようになった。 劇画だけではなく、色… 続きを読む
楽しかった日々 屋根の上のスキー 家を埋め尽くすほどの雪が降った夜。 次の日、屋根の上には新雪が積る。 地面に積った雪と屋根からなだれ落ちた雪がつながってしまう・・・。 晴れた日には、そこは子どものスキー場と化す。 昭和35年(1960年)頃、場所不明。 白黒写真に着色した画像 https://ooy… 続きを読む
思い出の街角 礦業所のスキー大会 ノルディックのスキー大会。 礦業所の職員慰安行事の一つだったのだろう。様々な行事が行なわれていたスポーツ大会の一つ。 スキー場前の富士見町1丁目の山側の道路をゼッケンをつけた参加者が鹿島小学校グラウンドの方向に進む。 どんなコースだったのだろうか。 昭和40年頃と思われる。 白黒写真… 続きを読む
思い出の街角 スキー場のにぎわい 大勢の子どもたちでにぎわう富士見ヶ丘スキー場。 大夕張の『スキー場』 小学校の中学年頃までは、ロープにつかまって中腹まで登るとそこから滑る子が多かった。 そこから上の尾根上までの急な斜面から滑るのは上級生・上級者という印象だった。 右手にジャンプ台があり、その横の斜面ではアルペン用のポー… 続きを読む
思い出の街角 平成15年 冬 はじめ『平成15年の大夕張駅前通り』のタイトルにしようとして、止めた。 想起させるものは何もない。 頭の中の記憶で補うことで、初めてそこがかつて商店街が建ち並ぶ駅前通りだったと想像できる。 平成15年(2003年)の大夕張。 『大夕張駅前』のタグで見てきた大夕張張駅前からの2003年の姿。… 続きを読む
思い出ばなし スキー場の思い出と神社からの声 | かめ スキー場・・・ 懐かしいです。 ロープを掴んで中腹まで登るわけですが、当時は毛糸の手袋の為、滑ったりして、ロープを脇に抱えたり。 ロープを抱えると、防寒着が絡まってしまい、リフトの安全装置にぶつかって停止させる子が結構いました。 ロープを抱えられると、その前後の人のロープが大変重たくてよく大… 続きを読む
音の風景 大夕張 鳥のさえずり -ウグイス- 『大夕張の鳥たち』で、大夕張に住んでいた鳥の名前を紹介した。 少年時代、当時の暮らしの中で自然のBGMとして聞こえていたこれらの鳥たちの鳴き声は自然のBGMだった。 当たり前すぎて何という鳥が今鳴いたのかなどと、意識することもなく考えたこともなかった。 翻って現在の生活の中で、家の周辺で、鳥の鳴… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 〘 小学館 〙の雑誌〘 ボーイズライフ 〙その1 | 高橋正朝 #178 〘 ボーイズライフ 〙は、〘 小学館 〙が発行した月刊誌だった。 私が、鹿島中学校の3年生のときに出版された。 ネットでチェックしたら、1963年4月から1969年8月まで発行されていた。 雑誌関係の出版は、すでに月刊誌から週刊誌が主流となっていたが、そういうなかにあって、〘 ボーイズライフ… 続きを読む
絵葉書 撰炭場 《カラー版》 昭和5年(1930年)頃の『撰炭場』の写真に着色して、カラー化したもの。 元になった絵葉書はこちら https://ooyubari.com/2023/12/21/s5sentan/… 続きを読む
思い出ばなし 大夕張の雪祭り | Toshinori 雪まつりと言えば、今や札幌の代名詞ですが、大夕張でも雪祭りがありました。 鹿島小学校の校庭で雪像を作っていました。 昭和35年前後が、一番盛んだったようです。 栄町が住んでいた人たちも多いので、雪像を二基作っていました。 栄町の雪像はけっこう大きかった事を覚えていますが、昭和… 続きを読む
思い出ばなし 物置の記憶 | Y・I 代々木町の長屋の一番端っこの家のすぐ横に、石炭だったり、スコップがあったりした物置がありました。 古い作りのカビ臭い物置でした。 スコップや工具があり、時々、宝物探しにゴソゴソ探っていました。 明かりとりの窓もキチンとありました。 あるとき、そこに『アオダイショウ』がでました。… 続きを読む
炭鉱とともに 工場地帯 昭和45年頃の大夕張礦業所の工業地帯。 たくさんの数の工場や施設があり、拡大して眺めると飽きない。 『索道ヨリ工場地帯ヲ望ム』と同じ視点の40年間の発展を示す写真といってよく、礦業所の北側から、工場地帯、住宅地の方まで俯瞰する。 写真右端にうつる礦業所事務所越しに炭砿病院、栄町アパート… 続きを読む