Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
消える町からの伝言■第五楽章■木もれ日(鹿島中跡)| 久々湊眞一 消える街からの伝言

消える町からの伝言■第五楽章■木もれ日(鹿島中跡)| 久々湊眞一

何も無くなった鹿島小グラウンドでは、風のつぶやきが聞こえた。笹藪に埋もれたシューパロ湖の淵では、鎮魂曲が流れた。私の原点、大夕張が消える。嗚呼。 ■第五楽章■  木もれ日(鹿島中跡)(演奏時間1分56秒) 林から洩れる夕暮光の中でフォークダンスのメロディを思い出した。。。  …
八百五十の思い出 思い出貼

八百五十の思い出

昭和30年、八百五十のゲレンデ。   八百五十の思い出 【斎藤敏幸】  (1998年02月27日(金)17時58分42秒) 八百五十へは、冬スキーを履きながら父によく連れられて行きました。 富士見町のスキー場から、大夕張神社まで登り切り、浄水場の横を通り抜け、沢伝いに少し下り、後は平坦な道…
八百五十スキー遠足 楽しかった日々

八百五十スキー遠足

AIによる着色を施しています 昭和37~38年頃のスキー遠足 【花田勝則】 セピア色しと化した写真をデジタル処理して焼いた複製写真ですが、送らせていただきます。 小学校3~4年生だったでしょうか。冬は持っていった弁当を教室のストーブのしたに置き、昼に温まったのを食べていたものでした。 八百五十へいく…
惜別の町 | 小倉芳子 随想

惜別の町 | 小倉芳子

 「大夕張にお別れをしに行って来たの」と突然友人からの電話。  夜になっても変わらない暑さに、だらりとしていた全身の神経が一瞬引きしまり、私も行きたい!と思 わず心の中で叫んだ。  九ヶ月の長男を抱いて私たちが彼の地へ足を踏み入れたのは昭和29年8月だっ た。  東北本線、青函連絡船、函館本線、室蘭…
夕張バス |  大夕張線開通記念乗車券 交通関係

夕張バス | 大夕張線開通記念乗車券

昭和37年10月に大夕張と南部との間の道路が完成し清水沢-大夕張の間が陸路でつながり、三菱バスの路線と共に夕張バスが夕張-大夕張間の路線を開設。その時の開通記念乗車券。乗車券は使用済み。三弦橋を背景に水上スキーが走る図柄は当時目にしたなじみのもの。…
八百五十からの遠望 思い出の街角

八百五十からの遠望

2003年3月。大夕張神社の裏から尾根伝いにここまでくると,幅の広い斜面が開けた。このあたりはかつてヒュッテがあった。左に芦別岳,右に夕張岳,さらに右手遠くには日高の山並みが見えた。…
八百五十ヒュッテ 思い出の街角

八百五十ヒュッテ

昭和36年 八百五十頂上直下の緩やかな傾斜地にあったヒュッテ。地元民によく利用された。 八百五十ヒュッテ   八百五十登山 【道端政俊さん】 昭和31年32年33年(小学4.5.6)と続けて田中豊一先生や友人と冬登山したことを懐かしく、たまらなく郷愁をおぼえます。 33年頃には、学童のみの…
2001年 厳寒の大夕張 |飯田雅人 訪問記

2001年 厳寒の大夕張 |飯田雅人

2001年1月15日 【青い空に神々しく聳え立つ】 (青い空に神々しく) 1月の大夕張からみる夕張岳は,白く輝いていた。 麓からみる夕張岳は純白といってよいほど,真っ青な空のカーテンを背に白さが際立っていた。 冬に見る夕張岳はその昔アイヌの人たちもおそれ,「魔神をよせつけぬ山」とされたのもわかるよう…
白 夜 Ⅲ青芝の章|渡辺 淳一 本棚

白 夜 Ⅲ青芝の章|渡辺 淳一

【書 名】  『白 夜』(全4巻) 【著 者】  渡辺 淳一 【本の紹介】昭和34.5年頃作家としてデビューする前の渡辺淳一が三菱大夕張炭鉱病院に研修医として勤務していました。比較的のんびりと過ごしたそんな時期の看護婦たちとの交流を中心にえがかれています。著者の自伝的5部作全5巻のうち,第3巻『青芝…
ぼくと相棒|鹿島春光、竜田亘 本棚

ぼくと相棒|鹿島春光、竜田亘

【書 名】  『ぼくと相棒』 【著 者】  鹿島 春光  竜田 亘 【著者略歴】 竜口亘(たつのくち わたる) 昭和37年、宮城県生まれ。平成元年、東北大学歯学部卒。現在、歯科医として仙台市内の病院に勤務。幼年より化石に魅了され、化石採集を趣味としてきた。鹿島氏とは、昭和58年に大学の化石採集クラブ…
シューパロ川のほとり|栂 苓子 本棚

シューパロ川のほとり|栂 苓子

【書 名】  『シューパロ川のほとり』 【著 者】  栂 苓子 、渡部 侃 【著者略歴】 栂 苓子(つか れいこ) <本名 小田島敏子 東京生> 父の仕事の関係で,小学校一年から高校までの12年間を,夕張市鹿島の炭坑町で過ごす。卒業後,国立音大にて幼児教育を専攻。幼稚園教諭,ヤマハ音楽教…
鹿島小チャイム(埴生の宿) 音の風景

鹿島小チャイム(埴生の宿)

昭和40年 鹿島小学校 午後5時になると,鹿島小学校の時計からチャイムが流れてきました。『埴生の宿』だったようです。 チャイムの実際の速さ,音色はこんな感じだったでしょうか。 立ち並ぶ炭鉱住宅の軒下をとぼとぼ歩く。聞こえてくるのは,晩ご飯のしたくの包丁とまな板の音,食器のカチャカチャとふれあう音,台…
メタノール工場2 思い出の街角

メタノール工場2

  メタノール工場 【T,Aさん】(2006/07/03(Mon) 07:55) 左側の平屋の建物はオペレーターの監視室とポンプ 圧縮機が稼働する変成工場です。 メタンガス、炭酸ガス、水蒸気の混合ガスを触媒を通して800℃に加熱させる反応塔は右側の低い塔です。 水性ガスとしてガスホルダーに…
メタノール工場 思い出の街角

メタノール工場

  昭和40年   営林署官舎に住んでいました【 K・M(59歳)】(2007/03/05(Mon) 06:57) この工場のすぐ傍、坂の降り口左側にあった営林署の官舎に東高卒業まで住んでいました。 なつかしい! 坂を更に下るとすぐ夕張川、質や粒の良い選炭を採ったり(採取は黙認さ…
夕張岳とメタノール工場 思い出の街角

夕張岳とメタノール工場

まだ芽吹き始めたばかりの季節。雪を被った夕張岳とシューパロ川沿いに立つメタノール工場。右下に小さな取水堰のポンプ場の建物が見える。   メタノール工場【 T,Aさん】 メタノール工場は紺碧の建物、ボイラー、濃縮工場、変成工場、合成工場、蒸留工場の工程で操業していました。 写真、左に並ぶシル…
– 大夕張風物 – 精炭ポケット 岳麓の里

– 大夕張風物 – 精炭ポケット

- 大夕張風物 -精炭ポケット 精炭ポケット 画・・・・伊 藤 清 治 文・・・・佐 藤 貞 雄 4階建てほどの高い建物。うす暗いトンネルが2本、その下につづいている。貨車の列が、このトンネルから、石炭を積んで押し出されてくる。貨車のない、いっぽうのトンネルをのぞくと、水が雨だれのように落ちてくる。…