Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
初秋の三弦橋 写真

初秋の三弦橋

シューパロ湖にかかる三弦橋と周囲の山々。 思い出  【hide】 湖畔亭の賑わい、 湖水での水上スキー そして花火、 懐かしく思い出されます。 三弦橋   【高橋 正朝 ( たかはし まさとも )】2016/06/13(Mon) 11:06 この三弦橋は、 明石町番外地に住んでいた我が家の窓から見え…
東高学校祭 仮装大行進 学び舎の思い出

東高学校祭 仮装大行進

昭和44、5年。仮装行列の先頭。 バトントワラーとブラスバンドを先頭に仮装行列がやってきます。旗のついた棒を支える男子の表情がなんとも微笑ましい。この頃、鹿島中でも仮装行列をやっていました。その頃の友達や生活が思い出されます。商店街の歩道に立って行列を見守るたくさんの人達も,あの頃の街のざわめきとに…
東高学校祭 仮装行列 学び舎の思い出

東高学校祭 仮装行列

昭和44、5年頃 音楽隊のあとから仮装行列が続きます。 購買会前を行く 昭和40年,7月24日~26日に,夕張東高校の第4回学校祭が行なわれました。 この年にはじめてそれまで行なわれてきた行灯行列に変えて、「仮装行列」が実施されたそうです。 第一回の記念すべき優勝は3年A組の「長崎の蛇おどり」に輝き…
五月晴れの鹿島を訪ねて |ziny 訪問記

五月晴れの鹿島を訪ねて |ziny

平成24年(2012)年5月23日 札幌でふるさと鹿島の懐かしき人びとと懐かしき思い出を語り、歌い、青春を謳歌。翌日曜、今年一番という快晴の鹿島を訪問。 今回のzinyのミッションは、一つは鹿島小校歌の過去知ると思われる人物へ接触し校歌の謎を解く糸口を探りだすこと、そして二つ目は、我が母校・北海道夕…
第2編 歴代課長 山史

第2編 歴代課長

第2編 歴代課長   初代  宇賀村   進     自、昭和20年9月1日                   至、昭和21年6月20日   2代  本 間 昌 吉     自、昭和21年6月20日                   至、昭和27年11月25日   3代  松 谷 逸 郎    …
1953年(昭和28年) 昭和

1953年(昭和28年)

1月 鹿島南部分町問題 住民投票実施。(賛成6448,反対1338,白紙及び無効120) 大夕張短歌会発足(会長 冨士元秋幸)。3月 客車オハ1入線。 北菱鹿島炭砿送炭開始。 15日,普通定期券乗車券制度制定。4月 1日,イリスコール(合唱)設立。小林清次(s31年時会員43名)5月 1日,鹿島東小…
昭和40年健保会館(武徳殿) 思い出の街角

昭和40年健保会館(武徳殿)

記憶の中の健保会館 【飯田雅人】 健保会館の園庭は、いつもチューリップやその他の花々が花壇に植えられ芝生もきれいに手入れされていました。そばの児童公園では、ブランコなどの遊具で、日が暮れるまで遊んでいました。大夕張幼稚園の体育場としても使われていたのかもしれません。 私が住んでいた富士見町側からくる…