昭和40年頃、八百五十山頂からの大夕張。 あいにく対面の夕張岳は雲の中だが、礦業所以北の官行の工場地帯から、千年町・常盤町あたりまでの住宅地が雪の中に黒く見えている。 白黒写真に着色した画像 八百五十山頂からの大夕張 やまのむこうは? 【丸山直記】1999年02月23日 私は昭和23年6月…
秋の一日は短い まだ明け切らぬ出発の時 あるいは日暮れて帰る時間 石炭列車にのって 一日がはじまり そしておわる 暗闇の中から 明るいオレンジ色の光が 力強い蒸気の音とともに 現れほっとする こんな光景が見られたのかもしれない。 …
10月8日の撮影のものです。お天気に誘われて行ってきました。 栄町の北側にブルが入っての地均し中、夕張岳の一番良い撮影場所に立ち入れませんでした。 フィルムスキャナが使えないため、プリントのスキャンです。 ぼけ気味ですけど見てくださいませ。 2003年10月8日 前岳・夕張岳 駅前通…
例によって、飯田さんが編集した写真をコピペ。 白黒写真に着色した画像 前回、〘 大夕張つれづれ # 112 コクワ 〙を投稿したら、飯田さんが、Kawauchi Masami さんの、〘 大夕張春夏秋冬 〙をコメント欄に貼付けてくれていたので、改めてそれ…
季節感の無い南国(フィリピン)の支社に出向しはや9年。 寒い季節になると思い出します。 久々湊佳貴 y993710@skyinet.net その他, 千年町 40歳~49歳 男性 - 2005/12/19 _ 11:57:39 私は昭和24年生まれです。 小学校5年の途中まで明石町に住んでい…
大夕張ダム管理事務所脇の駐車場から。 2002年10月27日。…
先日散歩の途中、近所にある札幌市の生涯学習センターの図書コーナーに、ふらりと立ち寄った。 その時、偶然書架の『札幌交響楽団五〇年史』という本が目にとまった。 そういえば、以前丸山直記さんの投稿で札幌交響楽団の話があったことを思い出して、手にとってみた。 タイトル通り、札幌交…
秋になると、羆は餌を探しに里に下りてくる。 山の寝穴に引き釣り込まれたら最期生きてはもどれないとと大人達に言われていた。 大夕張の子どもたちは、けっして山の懐深くには入らないようにと、周囲の大人達から言い聞かされた。 この時期、9月から10月にかけて、餌を求めて熊が山から降りてきてことはあったよ…
昭和47年(1972年)の夏、UHBの開局記念番組のロケ時の写真。 大夕張駅ホームで、鉄道の職員の方々と共にパンタロン姿の奥村チヨ。 奥村チヨが歌う当時のPVのような映像がyoutubeに出ていた。(今は削除されみることができない) 前半、雪の積もる駅構内から、駅を出てくる場面で、貼って…
例によって、飯田さんが編集した写真をコピペ。 明石沢の鉄橋。平成11年8月に国道から撮影。閉山以降、サイクリングロードとして利用されていた。 上の写真は、私が、『続・大夕張つれづれ # 45 〘 明石の沢からの水汲み 〙』を投稿した際、飯田さんが、その投稿に添付してくれた写真をコピペした…
『昭和15年頃三菱大夕張礦業所』、これまでの8枚の絵葉書へのリンクを一カ所にまとめておいた。 検索窓と合わせて、まとめて見るときのために目次のようなものであり、リンク集的なもの。 三菱鑛業株式会社大夕張礦業所 絵葉書ケース 三菱大夕張礦業所 会社指定理髪部/大運動会 三菱大夕張礦…
ジオラマ製作というのもおこがましいが、故郷『大夕張の情景』に思いを馳せながら作った。 20年程前に作成して『ふるさと大夕張』に掲載したもの。今みてもいろいろ粗が目立つが委細構わずそのまま掲載していく。 シューパロ湖畔を併走する汽車とバスのイメージだった。 素材は、トミックスの9600にセキ車。道…
お菓子の何に入っていたのか? ワッペン とか、 角度を変えると動く絵のバッチ 裏の紙を剥がして帽子の周りにいっぱい付けたり、ランドセルに付けました。 シールも流行り、家の自分の机に貼りました。 当時 懸賞が流行ってました。 メーカーは忘れましたが、ディズニーキャラメルの中の応募券を何枚か集めて送る…
本日、三十二年ぶりに同級生と会うことが出来ました。 「ふるさと大夕張」があったからこそかなった夢でした。 小学校卒業を間近にした転校。 ボーっとした小学生だったから、転校先で卒業式を迎えたときにやっと 「何かこれは違う」 と気づきました。 それからよく大夕張を飛ぶ夢を見るようになり、…
秋のシーズン、キノコ狩りに出かける人も多い。 大夕張に居た頃、秋になるとキノコをとってきたからといって、ご近所でいただくことも多かった。 我が家は山の幸は、もっぱらいただく方で、ご近所にお裾分けをするときは、母親が作った手料理や、家庭菜園で収穫したトウモロコシなどが多かった。 キノコを採…
横綱千代の山と栃錦の巡業風景。 千代の山の横綱土俵入り。(円内は栃錦) 昭和32年(1957年)8月2日、この日は金曜日だ。 平日ではあるが、夏休みの真っ只中。 神社下の教会横にあった土俵に大勢の人達が駆け付けた。 食い入るように見つめる土俵下の人達。その後ろに見える顔、また人の顔。 写…
北海道弁〘 いいだけ 〙についての話は、Yahoo 知恵袋の Q & A のコーナーで見つけたものです。 〘 なまら 〙と〘 ❨まぶい❩ 〙は、柿崎徹さんと電話で会話したときにでてきた言葉でした。 テレビ番組〘 水曜どうでしょう Classic 〙のなかで、大泉洋が、「 いいだけ飲んで…
2022年9月22日。 鹿島眺望公園にこれまであった夕張岳の看板に加えて、もう一つの看板が設置された。 『ダムに沈んだ大夕張』 もう一つの看板と同じく、ユウパリコザクラの会が作成、設置したものだ。 作成にあたり『ふるさと大夕張2丁目3番地』からも微力ながら協力させていただくことができた。 そ…
『ふるさと大夕張』の掲示板で、当時「大夕張文壇の至宝」とまで言われ、読む人を楽しませてくれていた夕輝文敏さん。 初投稿以来数多くの作品で、故郷をとおして、忘れていた気持ちを思いだし、心をあたたかくさせてくれた。 2021年8月21日に掲載された、『迎え人』が最新作。 久しぶりの新作、…
昭和40年代 錦町。 鹿島中学3年の頃、転校してきた子と仲良くなった。親が営林署勤めだった。 彼の官舎は、錦町の購買会の角から天理教会に向かう坂の中程にあった。 線路から山に向かって並ぶ住宅が段々に高くなっていく。 家の前でキャッチボールをしたことがあった。 どちかが山側で、一方が下になる。 下…