表題の『朝日荘前』は、三菱バス山内線のバス停留所の名前。 朝日荘はすでになく、教職員の独身寮だった岳楓寮の土台が残る。…
あれは昭和40年代初めの夏の日だったでしょうか。 大夕張駅前の交差点辺りで、アイスクリームを運んできたトラックが故障して動けなくなりました。 どんどん溶けだすアイスクリームに慌てた運転手さんは、周りにいた人達にアイスクリームを 「食べて!」 と言って、いくつもくれました。 この特別なプ…
昭和45年頃(1970年頃) 白黒写真に着色した画像 駅前の鹿島消防庁舎は昭和28年に新築完成した。昭和49年、本部は南部に移転。 【大夕張の消防】 大正5在郷軍人を中心主体に二股,若葉地区に私設消防隊ができる。大正96月 大夕張義勇消防組創立。(二股・六尺・若葉)昭和49月 三菱鉱業大夕張砿業…
先ほど、札幌駅北口のアングラ劇場「さそり座」で「放射能を浴びたX年後」という映画を見てきた。 1954年以降繰り返されたビキニの核実験と、当時南太平洋各地で操業していて被爆した日本のマグロ漁船の乗組員の現在を訪ねるドキュメントだった。 ビキニと言えば第五福竜丸だけが有名だが、実は500隻もの漁船…
平成9年(1997年)の千年町バス通り。 とはいえ、すでに「中学校行」のバスは走っていない。 場所的には、『昭和49年千年町商店街』と同じあたり。 織田商店、富田商店のあたりから、東小方面をみたところである。 『昭和61年(1986年) 大夕張の面影』では、このあたりの車窓風景がゆっくり流れ…
今現在私は東京にすんでいます。 生まれてから16年間過ごしてきた鹿島がなくなるなんて、やっぱり悲しいですね。 住んでいたころは、札幌までなんでこんなにかかるの?とか、雑誌もなかなか手にはいらなかったりと、不便な面ばかり見てました。 友達も急激に減っていて、うつりかわりが激しかったですね。 転校生がく…
白煙を上げて大夕張駅を出発するNo.6。 撮影した『海も好き』さんの記憶では、鹿島小学校下の踏切付近から撮影したのではないかという。 右に見えているのは、消防署の建物の裏になり、もう少し手前に火の見櫓が続く。 『No.6』が吐き出す煙とともに、大夕張駅前の背の高いポプラの木が風にそよぐ。 白黒写真に…
前回、# 84 で、密かにささやかれるパリの3悪と書いたが、その1については、行政機関そのものであり、他の2つは、形式的には民間企業であるが、いずれも設立にあたっては、行政が主導的な役割りをした企業である。 再度、〘 密かにささやかれるパリの3悪 〙と呼ばれるものを列挙する。 その1…
2022年3月10日大夕張行。 南部からのトンネルに入って、出口の明かりを目指し「トンネルを抜けると~」の期待と不安。 GoogleMapのストリートビューでは、何度も走っているのに笑。 目にしたのは絵になる圧倒的な夕張岳。近い、近すぎる。 トンネルを出て直ぐの「明石橋」。 短い「明石橋」の次に…
鹿島中学校『昭和45年度主張発表大会』 昭和46年の卒業アルバムから。 閉山後、鹿島中学校の生徒数減により多くの学校行事がなくなったという。この盛大な主張発表大会もなくなったの行事の一つなのだろうか。 1年生から3年生までの各学級から選ばれた代表が、全校生徒の前で、『私の主張』を行なうという行事…
2022年3月10日。 南部から大夕張に向かい、ここまでくるともう湖の雪原は見えない。 ナビは、北栄町を示していた。「このへんが鉱業所のあったあたりかな」と漠然と思いながら写真をとった。 ここにあった町でおこった様々な出来事を思い起こし想像するには、あまりに静かで何もないただの雪の原。 あとで、…
昭和29年(1954年)2月。 右端の夫婦を中心にした家族と思われる。 場所は宝町の住宅地と思われるが、詳細不明。 白黒写真に着色した画像…
開拓に向かう白金橋と前岳・夕張岳が重なってみえるこの光景、撮影ポイントでもあるようなこの場所は、「富士見橋」から撮影したもの。 大夕張ダムができたあと、開拓・白金に向かうには、(旧)白銀橋・開拓橋を渡っていった。 大夕張から明石町を過ぎて、左手に曲がる分岐があったが、そのあたりの山の中腹に建設されて…
ちょっと前の出来事なのですが・・・ 3月初め、東京や千葉にも雪が積もりました。午後からアクアラインバスで母と東京へ行きました。 東京駅前に北海道フーディストというお店があります。 そこで店員さんが母に声をかけて来ました。 同級生?と思いましたが母より年上のかたです。 母をどこかで見たことがある…
2022年3月10日大夕張行。 常盤町対岸の竜田の沢にかかる「栄橋」 その橋の上から見た常盤町。 昭和47年5月2日に森健二さんが、撮影した全景写真と同じあたり。 その写真と比べると、かつてのNHK中継塔と鹿島中学校の位置に引いた線が、この写真の湖面の位置のようだ。 この写真を見ていると、前岳と…
昭和2年から昭和44年三菱大夕張炭礦株式会社分離独立まで 勝俣 英(昭和2年6月10日~昭和7年6月15日) 西原民平(昭和7年6月16日~昭和10年5月9日) 蒔田三雄(昭和10年5月10日~昭和12年2月28日) 後藤太郎(昭和12年3月1日~昭和15年2月11日) 立花範治(昭和15年2月12…
2022年3月10日大夕張行。 写真の位置情報をグーグルマップでみると、撮影した「代々木橋」のすぐそばに、『鹿島小学校跡』のマークがある。 現地で見たときは、場所を思い出すのに時間がかかった。目の前の景色と、記憶のどこか場所がひっかかっているのに出てこない、そんなもどかしい思いがした場所の一つだ。 …
『散歩道』の町内地図を懐かしく拝見しています。掲載されている地図は昭和43年のものですが、眺めているうちにある事を思い出しました。 同時期の昭和41年に、私は郵便配達のアルバイトをしたのです(夏休みの帰省時)。 大夕張郵便局には、戸別の詳細地図が備え付けてありました。一家全員の名前が入った非常に詳し…
2022年3月10日の大夕張行。 宝沢にかかる代々木橋の上から、山側をみる。 道路は、かつての鹿島小の裏手緑ヶ丘を南北に真ん中を貫いている。 右手に神社山が見える。このあたりは、緑ヶ丘の教員アパートがあったあたりだろう。そして、八百五十への登山の沢ルートのスタート地点として記憶に留める方も多いだ…
5月の連休に行った時は、千年町の自分の住んでいた所さえ探すのに苦労しました。 やはり、同じ様に探している方たちと、何人かと出逢いました。 知らない方でしたが、久しぶりに会う懐かしい友のようで、涙が、流れそうでした。 私の町は、どこに行ったんでしょうか? …