2丁目3番地

令和2年2月1日にスタートした「ふるさと大夕張2丁目3番地」に関連した情報を気ままにつぶやくブログです。

2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その2 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その2

午後11時頃、最初に、鹿島小学校校歌の歌唱シーンの収録から始まりました。 鹿島小学校鼓笛隊生みの親、田中豊一先生(田中先生は2010年にお亡くなりになりました)のピアノ伴奏に合わせて、「ああ、大夕張」の合唱がグラウンドに響きます。 イリュージョン。かつての大夕張駅前通り。元住民達が懐かしそうに笑顔で…
2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その1 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その1

 平成13年(2001年)10月28日、住民が立ち退き人のいなくなった無人の大夕張に、多くの人が集まった。その時のことを当時参加した斎藤敏幸さんが、後日、次のように書いている。    10月28日、大夕張に一つの奇跡が起こりました。  その日、鹿島小学校校庭に、50人以上のかつての子どもたちが集まり…
『熊撃ち』の写真 後日譚 2丁目3番地

『熊撃ち』の写真 後日譚

https://ooyubari.com/2021/06/21/kumauti/?hilite=%E7%86%8A%E6%92%83%E3%81%A1  以前、『熊撃ち』と題する鹿島小学校の郷土室にあった古い一枚の写真を掲載した。 (その写真は、上のリンクから見ることができる。 また、この記事の一番…
午後5時のチャイム 2丁目3番地

午後5時のチャイム

 『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』で、作成のエピソード的なことを「備忘録-1丁目1番地」で書いて来たが、 鹿島小学校の午後5時になるチャイムのことは 、書いていなかったと思うので、ここに書き留めていこうと思う。     『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』を作るまえ、大夕張のことで、鹿島小学校の午後…
昭和50年代 学生ボランティア 2丁目3番地

昭和50年代 学生ボランティア

 『NHK日本縦断こころの旅のブログ』で火野正平さんが、鹿島小学校跡地を訪ねた放送回のブログに、昭和53年年から昭和54年頃、当時学生ボランティアとして活動に参加した方からの投稿があります。ここに、転記して紹介すると、    大夕張には今から40年前の夏、訪れたことがあります。  大学の募集したワー…
夢 2丁目3番地

  珍しくふるさとの夢を見た。 炭砿病院を過ぎたあたりからその夢は始まった。   栄町の通りを駅に向かってひとり、車で走っていた。 「あれ、ダムに沈んだはずだが・・・」 そう思いながら、雑草が生い茂り、人のいなくなった無人の商店街を走り抜けた。   右手の錦町の山の方に一台の車が止まっていた。 古い…
2002年 倒壊した地蔵堂 2丁目3番地

2002年 倒壊した地蔵堂

   『無縁供養・水子地蔵』が、当時親類縁者のない人たちの供養と、水子供養のために、昭和16年8月、大聖寺境内に以来建立されていた。  この他、水子供養地蔵は、大夕張のほとんどの寺院にあった。    2002年冬、大夕張の最後の建築物であった『位牌堂(地蔵堂)』が雪の重みで倒壊した。  このことは、…
三冊のアルバム 2丁目3番地

三冊のアルバム

1950年代 場所は『病院の裏の方・・・というが?』    父が残したアルバムがある。  父は大正14年生まれだから、昭和の歩みと、年齢が一緒でわかりやすい、と子どものころ、よく父の年齢のことについて、家族で話していた。  だが父は昭和47年に亡くなったので、47歳までしか数えることはなかった。  …
地図に引かれた一本の線 昭和37年「石狩鹿島」 2丁目3番地

地図に引かれた一本の線 昭和37年「石狩鹿島」

    よく見て欲しい。この地図には、南部二股、大夕張ダムの位置に一本の線で書き込みがある。  昭和37年発行の地図だから、当然まだ大夕張ダム完成以前の地図である。    今から20年以上前、「ふるさと大夕張」で活用をと、ある方から手渡された地図だった。       この地図の持ち主であるJUNさん…
鹿島小学校グラウンドのはなし 2丁目3番地

鹿島小学校グラウンドのはなし

    鹿島小学校のグラウンドは、とても広く感じた。実際、大人になってから大夕張を訪ねた時には、必ずグラウンドに足を運んだが、私が知る札幌のどの小学校のグラウンドよりずっと広かった。  『ふるさと大夕張』への書き込みの中にも、かつて社会人野球などの試合もおこなわれたという記述があった。  鹿島小学校…
『ふるさと大夕張2丁目3番地』の新しいアドレスです 2丁目3番地

『ふるさと大夕張2丁目3番地』の新しいアドレスです

   『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)から、データを引越しながら、新しい『ふるさと大夕張2丁目3番地』での更新を続けてきました。  大夕張掲示板に2021年4月6日付で、  備忘録メモ『ふるさと大夕張2丁目3番地』のいちおうの完成形は、内容的には、・『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)のデ…
札幌市内から見える夕張岳 2丁目3番地

札幌市内から見える夕張岳

 4月も10日を過ぎて、だいぶあたたかくなってきた。  陽気に誘われて、午後から一時間くらい散歩をするようにしている。  この時期、冷たさとあたたかい空気が混じった風が心地よい。  道路のマス花壇にも今はクロッカスなどが芽吹き初めている。、    そんな時、雪を被った夕張岳と故郷の春を思い出す。  …
今さんの写真 2丁目3番地

今さんの写真

 備忘録という名のこのカテゴリー、『ふるさと大夕張2丁目3番地』の自分のための備忘録なんだけど、今日は、写真についての話題。 『ふるさと大夕張』にある写真、その中の60枚ほどが、今さんの写真です。  正確にいうと、「今雅秋さんという方が、お父様のアルバムから提供してくださった写真」です。2006年頃…
12月のある夜の出来事 続 2丁目3番地

12月のある夜の出来事 続

 前回の投稿を受けて、翌日から、次のような書込みが続きました。  「さっぽろっこ」さんの行動、山口さんのおばあちゃんやご家族によせる思いやり、あたたかさが、行間ににじみました。  当事者である「さっぽろっこ」さんと、「山口」さんからのメッセージを交えて紹介します。   山口さんのお母さん 【田中 紀…
12月のある夜の出来事  2丁目3番地

12月のある夜の出来事 

 かつて『ふるさと大夕張』の掲示板に投稿された一つの出来事にまつわるおはなし。  2004年の12月、『ふるさと大夕張』の掲示板に、街中で出会った一人の老女との出来事について書かれた投稿がありました。  投稿者は、札幌に住んでいる若い年代の方と思われました。  その投稿を巡って、小さな感動が生まれ、…
『写真掲示板』の消えたデータ 2丁目3番地

『写真掲示板』の消えたデータ

 自分のための備忘録です。  『写真掲示板』は、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)で運用していた(いる)旧来の掲示板のことです。  大雑把にいって、今から20年前、『ふるさと大夕張』の掲示板で、写真を添付することもできる『写真掲示板』を立ち上げました。  今となっては別にどうということもない機能でし…
『ふるさと大夕張』を再開した日 2丁目3番地

『ふるさと大夕張』を再開した日

 12月8日は、何の日。 昭和16年太平洋戦争の開始された日として有名ですが、個人的には『ふるさと大夕張』を10数年ぶりに更新を再開した日です。今日で、一年になりました。  『ふるさと大夕張』は、『1丁目1番地』として今も存在していますし、更新の再開にあたっては、この『2丁目3番地』の『備忘録 1丁…
浄水場からの夕張岳 2丁目3番地

浄水場からの夕張岳

平成17年 7月1日 夕張岳 この角度から見る夕張岳、前岳の後ろに控え目に映る夕張岳が、大夕張からの夕張岳で一番落ち着く。 この写真、叔母が送ってくれたものだ。 『ふるさと大夕張2丁目3番地』に投稿して下さっている高橋正朝さんが、鹿島東小で教員をしていた叔母の新卒時の教え子だったという話から、叔母が…
紅夕張嶽 2丁目3番地

紅夕張嶽

   2017年の1月に長谷川潤一さんがおくってくれた夕張岳の写真。  西日を受けて赤く輝く夕張岳の山々。遠い昔の人は、夕張岳に恐れと畏怖の感情を抱いたということも頷ける神秘的で神聖な姿に見えます。  自分が今住んでいるところは、札幌市でも山に近い方で、手稲山の麓に住んでいます。大夕張から祖父の家に…
幕の穴から輝いていた星の記憶 2丁目3番地

幕の穴から輝いていた星の記憶

 『資料室-本棚-開校40周年記念誌|鹿島小学校』から、昭和43年に実施された学校行事一覧(鹿島小学校)を眺めていた。昭和43年鹿島小学校では次のような記念行事が行われました。記念誌から書き出してみました。 1記念大運動会6月2日(日)2記念学習発表会9月11日(水)~13日(金)3記念全校マラソン…