思い出の街角 渇水期の大夕張ダム 昭和45年頃、夏。 三弦橋の下の湖底も顔を出しています。空からの写真だと、泥に覆われた湖底の黄土色と周囲の緑の対比がなんともいえない。 渇水期のシューパロ湖 【成田 利夫】 渇水期はバイク🏍️で降りて縁を走れましたよ。何度か走ったことがあります。一度突然視界に入った溝に落ちたことがありますが、柔らか… 続きを読む
思い出貼 栄町詰所 山神祭 昭和35年頃 子供達のうれしそうな興奮したざわめきがが聞こえてくるようです。女の子達はみんな着物を着ています。踊りを披露しながら練り歩いていたようです。後ろの豪華な山車の飾りなど,当時のにぎやかな炭坑のお祭りの様子が伝わってきます。後ろに栄町の詰所,右手にブロックが見えています。… 続きを読む
思い出の街角 大夕張カトリック教会 昭和34年建設中の教会昭和50年代平成初頭平成15年 建物はなくなり、残った階段 鹿島小学校のグラウンド横の土手の上にカトリック教会が建ったのは,昭和20年代中頃。 昭和30年代司祭、神父の入山で、布教活動が定着し、活発になった。教会堂横に幼稚園を建設。昭和34年ソニー号来校のフィルムには、当時… 続きを読む
思い出貼 御輿 昭和40年頃 春日町 御輿(神輿)の先頭。炭住前の土手に高く積まれた石炭の灰の山が炭鉱町の暮らしを思い出させます。 この写真と組になっているもう一枚の写真があります。御輿行列の後列を写した写真です。 この写真をみると場所は弥生町の崖の上のあたりから春日町方面のように思います。 撮影された場所… 続きを読む
パノラマ 昭和40年代 大夕張パノラマ 迫力あるパノラマ写真。神社からの大夕張の風景、昭和40年代前半の頃と思われます。画像を拡大してみると,北は鉱業所の方から南は常盤町鹿島中学校まで,見渡すことができます。時と場所を越えて大夕張神社の丘にたち,懐かしい光景を目にすることができます。見飽きることのない写真です。… 続きを読む
パノラマ 昭和48年 大夕張 街並み 昭和48年5月。大夕張神社から。 撮影者の上村正樹さんが、高校卒業後間もない5月、大夕張閉山の報を聞き、「閉山になると炭住がなくなってしまう、地図から町が消えてしまう」という思いで、神社からシャッターを切り続けたそうです。 閉山直前の最後の大夕張の町の姿です。… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅前 鹿島通運と日本通運 昭和45年頃 この前の道を行き来し、何度この風景を目にしたことでしょう。鹿島小学校の帰り東側の門を出て、踏み切りを渡り、鉄腕アトムの始まる時間を気にしながら家に急いで帰った日。※ 中学に入ってすぐのある日,雨が降り常盤町行きの三菱バスに乗り,信じられないラッシュに驚いた朝 安田信託銀行前から札幌発… 続きを読む
思い出の街角 協和会館(昭和20年代 子鹿物語) 1946年制作の米作品。昭和30年代、TVでも、アメリカTVドラマが放送されていて数多くみましたが、名犬ラッシーなどとともに見たような気がします。 『子鹿物語』は、日本公開1949年6月ということなので、協和会館での上映は昭和25年頃でしょうか。『OYUBARI協和會館』の看板と『総天然色映画』の文… 続きを読む
街の行事 山車 山神祭 昭和44年6月15日 太鼓と笛と三味線の演奏のようです。祭りの音が町内に響き渡ります。奥に炭砿病院の建物が見える。栄町から北方向に向けて撮った写真。『みどり』と書かれた提灯がかかる。緑町の山車だろうか。トラックには、○運 鹿島通運のマーク。… 続きを読む
思い出の街角 炭砿病院 昭和20年代でしょうか。病院も新築してから間もない様子。整備されていた病院前の花壇もまだ整備途上にある様子です。 病院というと、普通は事故や怪我、病気など印象の良くない場所であろうと思います。 自分にとっては、薬剤師であった父の職場でもあり、父の入院先でもあり、最後を迎えた場所。小さかった自分… 続きを読む
思い出貼 山神祭(炭砿病院前) 昭和40年頃 白いジープの救急車 【飯田 雅人】 6月14,15,16日の3日間に行われた山神祭。炭砿病院前を行く御輿が、炭砿病院の前を過ぎようとしています。 背景の建物は、救急車が格納されたいた車庫です。 子どもの頃、父の職場の病院には、よく遊びに行きました。職員の方みなさんよく相手をし… 続きを読む