写真 大夕張の桜 -白銀橋に続く道- | 高橋歌子 2011年(平成23年) 明石町からの通りから分かれ、白銀橋に向かう道、この先に橋があった。 当時の写真を見ると、往時には、この辺りには数件の建物がたっていたようだ。… 続きを読む
写真 大夕張の桜-千年町-|高橋歌子 手前、願正寺のミズナラの木と、向こうに咲く桜の木。 千年町の願正寺前からバス道路 『大夕張神社 花見』で、楽しげな春の花見の様子を紹介しましたが、このあたり寺社街の桜は、大夕張の花見の場所としてとりわけ有名だったようです。 大聖寺の住職、萩野宗英氏が、『大夕張-鹿島で暮らした日々』の中で… 続きを読む
写真 鹿島橋とふきのとう 2002年春 木立の間から、鹿島橋が見えた。 足下には、ふきのとうが顔を出す。夏に生い茂るイタドリはまだ伸びていない。 常盤町の鹿島中学校からの帰り道、この辺りは序の口だ。 橋を渡ると、鹿島東小学校、そして千年町の本通り。 まだまだ家は遠かった。 鹿島橋を常盤町側からみる… 続きを読む
写真 大夕張の桜 -神社山遠景- 1997年(平成9年)5月 鹿島小学校グラウンドから いつのころから、誰が呼んだのか、『神社山』。 平坦な丘に続く階段のさきに、大夕張神社があった。 グラウンドから見える場所には、幼稚園や教会の建物があり、テニスコートは、大人だけでなく毎年の中体連でも使われていた。春の運動会には、大勢の父母… 続きを読む
写真 大夕張礦業所跡の桜 1997年5月 大夕張礦業所跡に建物は残されていた。当時は、イサオ製作所の施設として利用されていた。 1997年(平成9年)は、6月に鹿島小学校閉校式が行われた。その年の5月。 大夕張礦業所跡に咲く桜 富士見町から 以前もどこかで、書いたが、この池は、閉山前は池ではなかった。 崖を降りるとここは… 続きを読む
写真 故郷と水仙(スイセン)の記憶 水仙と大夕張 【飯田雅人】 水仙は、春ともなると家々の軒先や庭にあたりまえのように植えられていました。富士見町の住宅は、家と家との間が盛り土で階段状になっていて、そこから染み出る清水で湿っていて、そこここに咲いていたのです。積もった雪が少なくなるとその下からつぼみが雪を持ち上げ、黄色い花を咲かす様は… 続きを読む
写真 消火栓とふきのとう2|高橋歌子 土の上に顔を出したふきのとう 2011年5月15日 鹿島東小学校グラウンド 後ろの山のかたちは かわらない 実際にその場所に立つと当時の気持ちが思い浮かんでわずかな痕跡でもうれしくなってしまいます。雪が積もっている頃もきれいでしたが花が咲くとさみしい感じが薄れて心が暖かくなってきます… 続きを読む
写真 消火栓とふきのとう 1 | 高橋歌子 2011年5月15日 鹿島東小のグラウンドの消火栓とふきのとう 実際にその場所に立つと当時の気持ちが思い浮かんでわずかな痕跡でもうれしくなってしまいます。雪が積もっている頃もきれいでしたが花が咲くとさみしい感じが薄れて心が暖かくなってきます… 続きを読む
写真 千年町バス通りと福寿草 |高橋歌子 青葉荘 道路端に咲く福寿草 今日、大夕張に行ってきました。 大夕張にも春が来ていました。 福寿草、千年町の郵便局側あたりや、千年町の舗装道路が途切れて50メートルくらい行ったところの、桜荘と青葉荘の間の崖?にたくさん咲いていました。 水仙はあちこちにありました。 東小の池にはかえるの卵がありました。… 続きを読む
写真 大夕張の春 -福寿草2- |高橋歌子 今日、大夕張に行ってきました。 大夕張にも春が来ていました。 福寿草、千年町の郵便局側あたりや、千年町の舗装道路が途切れて50メートルくらい行ったところの、桜荘と青葉荘の間の崖?にたくさん咲いていました。 水仙はあちこちにありました。 東小の池にはかえるの卵がありました。 ななかまどの芽もふくらんで… 続きを読む
写真 南部の水仙 | 高橋歌子 2011年 「南大夕張炭鉱 殉職者慰霊碑」への案内板の足下に咲く、水仙。 大夕張最後の春。思いっきり満喫できるかのようにものすごく遅い春です。草が茂っていないので住居跡も見ることができます。桜はまだ花開く気配もありませんが水仙・こぶし・エゾエンゴサクが盛りです。… 続きを読む
写真 大夕張の春 -福寿草1- |高橋歌子 今日、大夕張に行ってきました。 大夕張にも春が来ていました。 福寿草、千年町の郵便局側あたりや、千年町の舗装道路が途切れて50メートルくらい行ったところの、桜荘と青葉荘の間の崖?にたくさん咲いていました。 水仙はあちこちにありました。 東小の池にはかえるの卵がありました。 ななかまどの芽もふくらんで… 続きを読む