思い出ばなし 記憶の中の大夕張 その1|乗田功一 過去の記憶からいくつか。 ●鹿島小学校の運動会 紅白に分かれて勝敗を競う。 グラウンドの校舎側と、富士見町側とに分かれ、応援歌の応酬。 この応援歌、歌詞が難しく、全く意味不明。 最後の「フレー赤 フレー赤 フレーフレー赤~!」 の「赤」の部分が、白組だと「白」になる。 紅白同時に歌い始めるが、数… 続きを読む
思い出ばなし フジキさん |田中紀子 フジキさんの記憶を読み、もしかしてお父様は「藤木悠紀夫」さん。 私と同期です。 小さい頃は千年町に住んでおりました。 おじい様は最初は井出組でした。後に独立して、「藤木組」を設立され、手広く事業をなさっておりました。 大夕張駅を降りて、春日町に下りる坂の手前に、「藤木精米所」がありました。 遊びに行… 続きを読む
思い出ばなし 記憶 |フジキ 1968年に大夕張に生まれ、多分、3歳ぐらいの時に埼玉の大宮に引越したのだと思います。 なにぶん、子供の頃なので、記憶が定かでないのです。 父や、お袋の話だと、祖父は藤木組にいて炭鉱で働いていたそうです。 親戚の叔母は、手芸店をしていたような気がします。 父はメタノール工場で働いていたようです。 … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その3|高橋正朝 #86 前回、# 85 のアタマで書いたことだが、密かにささやかれるパリの3悪の、その1については、行政機関そのものであり、他の2つは、形式的には民間企業であるが、いずれも設立にあたっては、行政が主導的な役割りをした企業である。 しつこく、〘 密かにささやかれるパリの3悪 〙と呼ばれるものを… 続きを読む
思い出ばなし 氷点下の炸裂音|仮名13号 すっかり真冬、シバレますね。 大夕張に住んでいた頃、1月・2月、寒中の頃 山中から銃声に似た音を耳にしてました。 鹿でも撃ってるのか? しかし、鹿を撃ち取ったと言う話も聞かない。 何の音かと思いましたら、氷点下30度前後に成ると生木の水分が凍り膨張して、木が裂ける音が、木の炸裂音… 続きを読む
思い出ばなし アイスクリーム | 林 恭子 あれは昭和40年代初めの夏の日だったでしょうか。 大夕張駅前の交差点辺りで、アイスクリームを運んできたトラックが故障して動けなくなりました。 どんどん溶けだすアイスクリームに慌てた運転手さんは、周りにいた人達にアイスクリームを 「食べて!」 と言って、いくつもくれました。 この特別なプ… 続きを読む
随想 ニュース映画 | 准 先ほど、札幌駅北口のアングラ劇場「さそり座」で「放射能を浴びたX年後」という映画を見てきた。 1954年以降繰り返されたビキニの核実験と、当時南太平洋各地で操業していて被爆した日本のマグロ漁船の乗組員の現在を訪ねるドキュメントだった。 ビキニと言えば第五福竜丸だけが有名だが、実は500隻もの漁船… 続きを読む
思い出ばなし 何年ぶりかしら|高橋真美 今現在私は東京にすんでいます。 生まれてから16年間過ごしてきた鹿島がなくなるなんて、やっぱり悲しいですね。 住んでいたころは、札幌までなんでこんなにかかるの?とか、雑誌もなかなか手にはいらなかったりと、不便な面ばかり見てました。 友達も急激に減っていて、うつりかわりが激しかったですね。 転校生がく… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その2|高橋正朝 #85 前回、# 84 で、密かにささやかれるパリの3悪と書いたが、その1については、行政機関そのものであり、他の2つは、形式的には民間企業であるが、いずれも設立にあたっては、行政が主導的な役割りをした企業である。 再度、〘 密かにささやかれるパリの3悪 〙と呼ばれるものを列挙する。 その1… 続きを読む
随想 思わぬ出来事|佐々木洋子 ちょっと前の出来事なのですが・・・ 3月初め、東京や千葉にも雪が積もりました。午後からアクアラインバスで母と東京へ行きました。 東京駅前に北海道フーディストというお店があります。 そこで店員さんが母に声をかけて来ました。 同級生?と思いましたが母より年上のかたです。 母をどこかで見たことがある… 続きを読む
思い出ばなし 郵便局の町内地図|久々湊真一 『散歩道』の町内地図を懐かしく拝見しています。掲載されている地図は昭和43年のものですが、眺めているうちにある事を思い出しました。 同時期の昭和41年に、私は郵便配達のアルバイトをしたのです(夏休みの帰省時)。 大夕張郵便局には、戸別の詳細地図が備え付けてありました。一家全員の名前が入った非常に詳し… 続きを読む
随想 心にしか、もうない大夕張 | 海野真由美 5月の連休に行った時は、千年町の自分の住んでいた所さえ探すのに苦労しました。 やはり、同じ様に探している方たちと、何人かと出逢いました。 知らない方でしたが、久しぶりに会う懐かしい友のようで、涙が、流れそうでした。 私の町は、どこに行ったんでしょうか? … 続きを読む
続・大夕張つれづれ 番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その1| 高橋正朝 #84 前回、# 83 【 番外編••••••KR 省からのメール 】を書きましたが、ついでだから、G 省のパリにある出先機関と、2つの民間企業のパリ支店について書きます。 前回の KR 省については、新型コロナや年金に関わる行政機関なので、大夕張出身者にも、その出先の窓口に接触した人も多い… 続きを読む
思い出ばなし 私の両親は大夕張郵便局職員 | 市橋 勝 大夕張郵便局閉鎖の報をきいて・・・ いよいよ、大夕張郵便局も閉鎖なのですね。 小さい頃(昭和30後半~40年代)、よく職場に連れられて親の仕事を覗きに行ってました。 当時は、まだ電電公社(今のNTT)と未分離で、電話交換を郵便局でやっていました。 私の母は、その交換手でした。 父のほう… 続きを読む
随想 Re.サーチャージの日|ziny 紫に 朝雲破れ 東(ひんがし)の 空映え渡る 常の日の 力の限り 試さばや いざ 今日の日に 准さん ふるさと鹿島の風を シューパロの風を 未来の風を 受け 魂の響きを お伝えください。 雪が降る中、湖面に張り出した土手に立って湖面を見下ろしていると、どこからともなく三好達… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 番外編••••••KR 省からのメール |高橋正朝 #83 KR 省というのは、旧 K 省と旧 R 省が統合されてできた組織である。 このような書き方をしたのは、SNS やユーチューバーの画面を見てマネをしてみたわけです。 それらユーチューバーたちは、ニューヨーク州の弁護士試験合格を夢見ている、日本人 K 氏のことを、当初は本名で出していたが、昨… 続きを読む
随想 人生で一番、楽しかった頃 | 村岡(旧姓・雨森)由喜夫 昭和20年代後半に遠幌の炭鉱住宅に住んでいました。 父は雨森康男、中学校の先生(英語)、母は艶、大夕張炭鉱診療所で歯科医。 私と弟は遠幌保育園でした。 雪の情景が、あの頃ラジオから流れた「雪の降る町」の唄と共に必ず瞼に浮かびます。 小学校の裏には熊が出るので銃を構えた案山子があったこ… 続きを読む
随想 写真の声|斎藤敏幸 『岳富町商店街と「しがい」』のコメントに「千歳町」を「しがい」と呼んでいたとありましたね。 僕の周りでも確かに「しがい」呼んでいました。 子供の頃は,街のはずれにあるから「市外」なんだろうと思っていました。 でも、飲食関係の商店街も沢山あったので「市街」だったのかもしれませんね。 武田自転車屋さんの… 続きを読む
随想 地図に我が家はないけれど|佐藤正裕 昭和43年緑町の住宅地図。 とても懐かしく思いました。 この当時私(昭和36年生まれ)は、拓銀の社宅に住んでいましたので、残念ながら地図には名前が載ってません(^^ゞ (社宅は、拓銀と棟続きだったんです) 拓銀の裏手にも拓銀の倉庫と社宅が一軒あったんですが・・・ やっぱり載ってないのは仕方ないですね… 続きを読む
随想 祖父のこと|成瀬健太 私は名寄に住む者です。 自衛隊に身を置いていますが、趣味が炭鉱遺跡巡りなので休暇を用いて知人と共に訪れています。 鹿島地区も何度か探訪したことがあります。 実は、私の祖父がかつて大夕張に身を置いていました。 戦時中に、挺身隊で昭和17年に大夕張入山し、翌年3月感謝状を授与されました… 続きを読む