回想・随筆

日々生活の中で、ふと、あの日、あの頃を思い出す。ふと書き留めてみた過去の出来事、思い。

節分の思い出 | ziny 思い出ばなし

節分の思い出 | ziny

 石炭ストーブの上で、大豆を炒って  「鬼は外・福は内」 と豆をまき、自分の年の数の豆を食べるというのは、どの家も同じだったと思うのですが・・。(我が家はストーブも何度目かにはフジキ式ストーブになった。)  でも、食べた分とは別に、年の数だけの豆をチリ紙に包み、近くの四つ角へ置きに行くというのは、ほ…
凍った石炭と雪鳴りの記憶 | 宇良田 彰 随想

凍った石炭と雪鳴りの記憶 | 宇良田 彰

 私の小学校時代(昭和30年代)、何故か1トン5円の石炭が、馬車で運ばれてきました。  真冬の寒い日は、その石炭が凍り付いて、鶴嘴で砕いて、家の中に運び込む仕事をしたことを、懐かしく思い出します。  フジキ式のストーブも、懐かしく思い出されます。  今は暖かい土地で生活して居ますが、厳寒の時期に、長…
グズベリ!|内川准一 随想

グズベリ!|内川准一

 子供の頃、食べるものがないわけでもないのに、弥生町、我が家の前の長屋(12舎)のグスベリをよく失敬しました。    トゲで血がにじんでも、お構いなしでした。    ジジィにときどき怒鳴られたけど、それが楽しみなのでした。     子供の頃、何も食べるものが無い時、家の前の垣根になっていたグスベリは…
食憶(その10 しゃっこい水) 食憶

食憶(その10 しゃっこい水)

 長いテーブルにズラーッと並び、長屋話などに盛り上がりましたね、交流会!    ご新規の方の参加もあって、さらに「池田屋」暖簾の登場!! ううっ、5円の「ぱんじゅう」の温もりが(;_;)・・。      で、こちら恵庭は雪がかなり降りました。  もう、かまくらができそうなくらいです。そこで、雪の中の…
歳の差弁当 |Kawauchi Masami 思い出の記

歳の差弁当 |Kawauchi Masami

 私達の時代の移り変わりが激しくて、私達のお母さんも、20歳で子供産む人と、35歳で子供産む人もいます。そうすると、お母さんの年齢差、15才ですよね。  お母さんの年齢差15年も有ると、弁当の内容が、全然違いました。  まず、遠足のおにぎり。  私は、購買会などの包装紙でしたが、私のお母さんより若い…
雪崩れに閉じ込められた少女 | 高橋正朝 #28 続・大夕張つれづれ

雪崩れに閉じ込められた少女 | 高橋正朝 #28

 これは、テレビ番組で、三菱電機1社の提供によるディズニーの記録映画だった。  正確に言うと、当時、この番組の時間帯は、本来なら、プロレスの実況放送だった。プロレスの実況中継がないときは、代替として、主に、ディズニーの番組を放送していた。ディズニーの作品とはいっても、マンガ映画を放送することはほとん…
「 夕張川から」 |ziny 随想

「 夕張川から」 |ziny

皆さまおばんです。東京大夕張会は予定通り参加でき、懐かしの皆さんと秋の楽しいひと時を過ごすことができました。ありがとうございました。 話は変わりますが、紅白歌合戦の出場者が発表され、最近の歌番組で人気の「山内惠介」さんが初出場となりました。15周年記念で、今年2月からスッポットライトシリーズが出てま…
食憶(その9 歩道橋の午後3時)|長谷川潤一 食憶

食憶(その9 歩道橋の午後3時)|長谷川潤一

 やっと暇ができたので、大夕張に行って来ました。  ちょっと来ないとなんか寒々と広い感じがするなー、紅葉の季節も終わりだしなー・・ちょっとまてよ、おい!  何か変だと思ったら、あの歩道橋が無ーいー!。      鹿島小学校時代、みんなで渡り初めをした歩道橋。  冬の朝、誰も歩いた跡がない階段に一番乗…
食憶(その8 お上品な御味)|長谷川潤一 食憶

食憶(その8 お上品な御味)|長谷川潤一

 交流会も楽しく過ごし、メロン城にみんなで寄り道。  いろんなお土産がありますねー。  ワイン、焼酎の酒類、羊羹、キャンディー、ケーキ類、そのものずばりの石炭まんじゅう、地元に関するお土産がいっぱいです。この時期の地元の味として思い出すのは、やっぱりメロンですねー、ヒロさんとメロンの食べ方についての…
雪崩れ|高橋正朝 #27 続・大夕張つれづれ

雪崩れ|高橋正朝 #27

 2月から3月にかけて、明石町番外地の我が家の窓から、山に雪煙が舞い上がるのを見ることがあった。  そう、雪崩れです。  そういうときは雪は降っておらず、空には、雲はそれほど広がってはいなかった。どちらかというと、雲の広がりよりも、青空のほうがまさっていた。  だからこそ、雪煙がたやすく見えたのだろ…
『三菱君』とご近所さん|斎藤 敏幸 思い出ばなし

『三菱君』とご近所さん|斎藤 敏幸

 以前、TVの「琴姫様」も話題にあがっていましたが,僕もTVにまつわる思い出があります。  まだ、栄町にブロック住宅が建つ前の話なのですが、普段は倹約家の父が何を思ったのか、三菱マークのTVを長屋で一番最初に買ったのです。     さあそれからが大変。  朝となく夜となく、ご近所さんが、我家にやって…
食憶(その7 住環境と食生活)|長谷川潤一 食憶

食憶(その7 住環境と食生活)|長谷川潤一

 山菜採り、行かれました?   家族での行楽行事、それとも秘密の場所で独り占め採りかな?  ちょっとした郊外の道路端っで、袋など下げて何か採ってる人たちを見かけますよね、排気ガスで煤けたモノなんか良く採る気になるなーと嫌な気分になります。    すこぶるきれいな環境の良い大夕張では、美味しい山菜が、…
SL冬の湿原号 ’01 |飯田雅人 随想

SL冬の湿原号 ’01 |飯田雅人

 2001年1月。釧路に行きました。SL『冬の湿原号』に乗ってきました。  午前11:08 釧路駅発。  釧路湿原の中に丹頂鶴を見ながら、蒸気機関車C11にひかれた観光列車が標茶へと走ります。  それは遠い記憶を呼び起こす、懐かしさに出会う旅でした。    発車とともに、「ガタン」と一揺れ。  最初…
食憶(その6 三尺鯉)|長谷川潤一 食憶

食憶(その6 三尺鯉)|長谷川潤一

 川の大物話を食憶にからめましてひとつ・・。  緑町にいた親戚のおじさんがなかなかの釣り名人でして、五月のダム増水の時期に、三尺モノの鯉を釣ってきました。  一メートル以上の大物を釣ると、シューパロ湖の主みたいな紹介で、写真付きで新聞に載ったものですね。  さっそく長屋に野次馬根性で見に行くと、大き…
「奥鹿島分校の歌」の作詩者|浅野岳男 随想

「奥鹿島分校の歌」の作詩者|浅野岳男

 「奥鹿島分校の歌」の作詩者浅野明信氏について。  奥鹿島分校の歌、作詞は次兄浅野明信です。 この度、曲に耳を傾けながら、在り日しの次兄に想いを巡らし、作詞に目を通しました。   奥鹿島分校の歌 奥鹿島分校の歌 (浅野明信 作) (一)  まばゆく 朝日を あびている  夕張岳の 山すそで 元気に育…
氷の下面の曲線模様 | 高橋正朝 #26 続・大夕張つれづれ

氷の下面の曲線模様 | 高橋正朝 #26

 我々団塊の世代の少年時代、晩秋のころ、すなわち、10月になると、日中、道路に溜まっていた水が夜の間に氷になり、朝、その氷をバリバリと音をたてて踏みつけながら、鹿島東小学校に登校した。    氷ができる、とはいっても、午後には融けてしまい、翌朝になったら、また氷ができている ••••••。    そ…
小生の家の小さい果樹園 |ノリ 佐々木 随想

小生の家の小さい果樹園 |ノリ 佐々木

 小生、大夕張の思い出のカリンズ・グズベリ、グミ等の果樹を、小さな庭に植えて、当時を懐かしんでおります。  霜が降りたら「コクワの実」が丁度、美味しく、良く近所の悪ガキと一緒に、便所場球場の山に、収穫に行きました。  他に、山葡萄、胡桃等も取りましたね。  内緒ですが(時効?)、弥生町の端の坂道の下…
食憶 (番外編「CM」)|長谷川潤一 食憶

食憶 (番外編「CM」)|長谷川潤一

 CMといえば、大夕張鉄道の車内でロケをした、三菱グループのCMを思い出します。  HBCでやっていた、朝のワイド番組でながしていたもので、外人さんが客車に乗ってきて、他のお客さんと何か話しをしようとしたところ、みんな驚きとまどって顔をそむけるように避けてしまう。  外人さんは、気持ちも言葉も通じず…
夕張市の鹿島とは|あさのたけお 随想

夕張市の鹿島とは|あさのたけお

 12月24日21時に、関東地方のテレビ局「テレビ朝日」で、映画「北の零年」が放映されるようです。  物語は、明治維新に生きた先人の、大切な歴史上の物語です。  しかし、大夕張住人にとって懐かしい場面が、蘇ることでしょう。途中に夕張岳が映像画面に出てきます。  葬式場面は、冬の凍ったシューパロ湖にて…
乙女の姿・・・ |ziny 思い出ばなし

乙女の姿・・・ |ziny

 この寒い時期は家の中で遊ぶことが多く、昔、お正月はカルタ遊びで過ごした方も多いと思います。  我が家では、よく百人一首をしました。  また、町内会対抗試合にも、出さされ、詰所の冷たい畳の上で戦いをした記憶があります。  1チーム3人で、攻め(5,6枚)、中堅(15枚くらい)、守り(30枚くらい)で…