大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■明石町の浄水場からの景色■|高橋正朝 #42 私が鹿島東小学校の4年生ぐらいのときだったから、もう55年ぐらい前のことになるだろうか。 春先で、その日は比較的ポカポカして風もなく、明石町駅の山側のほうを、男の子だけ数人と、初めて上ったことがあった。 誰と行ったのかまでは覚えていない。 3~4人ぐらいだったので、明石町番外地に住んでいた連… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■カステラの味■|高橋正朝 #41 大夕張時代の子供のころの食べ物で、前々回、カステラのことを書きましたが、このカステラと信じていたモノは、今は稀少なシロモノのようです。 3年前に札幌に行ったとき、友人と奥さんが小樽にドライブに連れて行ってくれました。そのとき、彼が珍しいモノを食べさせると言って、私を小樽の商店街に連れて行き、ある… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ 柿 ■|高橋正朝 #40 私が大夕張に住んでいたころは、冬の生鮮果物は、リンゴ、柿、ミカンぐらいだった。 クリに関しては、大夕張で売られているのは私は見たことがなかった。クリは当時の寒い北海道でも生育した場所もあったようであるが、当時としては高価だったろう。 柿は青森が北限だったろうと思う。リンゴは、紅玉と国光しか覚え… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■バナナ■|高橋正朝 #39 私が生まれて初めてバナナを食べたのは、鹿島東小学校の1年生の遠足の日であった。当時は、遠足に持っていくお菓子や果物などの制限はなく、どんなものでも持っていけた。 金額的な制限ができたのは、記憶がおぼろげだが3年ぐらい後だったと思う。私が小学校低学年のときは、全国的に炭鉱の景気が良かったころだ。 … 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■鹿島東小の奇術と渡辺淳一のこと■|高橋正朝 #38 私が鹿島東小学校2年生の今頃、学校での楽しい思い出がある。 ちょっと肌寒かった日であったが、その日だけだったのか、それとも、もうその時期だったのか、よく覚えていないが、雪虫は出ていなかったので、11月にはなっていなかったと思う。 全校生徒が体育館に集められ、壇に向かってクラスごと縦列に並べら… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■目には目を■|高橋正朝 #37 イスラム世界を舞台にした漫画を初めて読んだのは、鹿島東小学校2年生のときだった。 同じ明石町番外地に住んでいた同学年の、記内清司さんの家に行ったとき、 秋田書店の冒険王があり、その雑誌に福島鉄次の「 沙漠の魔王 」という絵物語が載っていた。 その絵物語は全ページ色つきである。 主人公は、魔王… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■戒律■|高橋正朝 #36 イスラム世界のことは、日本に馴染みがないせいか、我々が子供のころは授業で触れることは少なかった。 それでも中学生のころ知ったイスラム教のことで、もう一つ強烈な印象としては、四人まで正式に妻を娶ることができる、というのがあった。 私が中近東に住んで実際に見たケースでは、3人というのが1例だけあっ… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■イスラム世界■|高橋正朝 #35 鹿島東小学校、鹿島中学校、それから夕張工業高校、札幌工業高校、東京都立小石川工業高校定時制の社会科・歴史の授業では、イスラム世界の記述として有名なものでは「 ヨーロッパによる十字軍の攻撃 」、「 右手にコーラン、左手に剣 」というのがあった。 「 右手にコーラン、左手に剣 」というのは、現在の歴… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■サハラの習慣■|高橋正朝 #34 イスラム世界といっても、 マレーシア、 インドネシア、 ブルネイなどは、 密林があり、 緑が多い。 サハラ沙漠は、 オアシスだけに緑があり、 他は沙漠と土漠である。 沙漠とオアシスという言葉を知ったのは8歳ぐらいのときか・・・・・・ ♪ 月の砂漠を~はぁ~るばぁると~ ♪ というのは8歳の時よ… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■中学の授業■|高橋正朝 #33 私は、今バンコクの8階建てのアパートの8階に住んでいます。 12時から12時半まで、用事がないときはいつもベランダから外を眺め、 駐車場の車や、 電柱や街灯の影を眺めています。 12時半になると昼食に出かけます。 4月27日12:16、バンコクの垂直線上の真上に太陽がきます。 そのときは、… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■スリの手口■|高橋正朝 #32 一昨日の日曜日に、BTS( 高架鉄道 )のプロンポンという場所に行きました。この駅の近くに日系のスーパーがあり、それが呼び水となって、この近辺に日本語書店や古本屋、居酒屋、ラーメン屋などが並んでいます。 スーパーに行くために、駅から続いている歩道橋の手すり側を歩いているとき、後ろから誰かが私と手… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■チャンバラ■|高橋正朝 #31 前回の書き込みで言及した、溜池の近くには畑がありました。 明石町駅のプラットホームに立って溜池を見れば、その右側一帯です。 私が鹿島東小学校の3年生か4年生のころ、明石町の男の子のほとんどがこの場所に集まり、二手に分かれてチャンバラをやったことがありました。 私の知らない女の子が5~6人来て… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ローソクもらい■|高橋正朝 #30 2013/12/18 に愛知県在住の KS さんが書き込んだ、「 七夕 」に歌を歌って「 ろうそく 」を貰う風習の叙述がありました。 私の記憶では、その歌は「 ♪ローソク出せ~出せよ~、出さないとカチャクぞ~♪ 」というものでした。 この「 カッチャク 」という言葉は我々は普通に使っていました… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ドンガイ■|高橋正朝 #29 前回、吸血?ハエのことにちょっと言及しましたが、その近辺では、どういうわけかアブもよく噛みついてきました。 アブは、 馬にたかるのはよく見ましたが、人にたかって吸血するのは、私の経験では、 シューパロ川のその近辺だけです。 化石を探すだけでなく、その辺りでは釣りもよくやりました。 エサはミミ… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■小さな冒険■|高橋正朝 #28 明石町駅の横を流れ、炭鉱住宅街と番外地の間を通ってシューパロ川に注ぐ小川がありました。 大夕張ダムができる前、その小川がシューパロ川に注ぐところは小さな滝になっていました。 その直前には、須貝さんが飼育していた豚の小屋があり、その前を歩いて、 崖を降りて行ったことがあります。 鹿島東小学校2… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■紅白饅頭と東小■|高橋正朝 #27 鹿島東小学校では、 一月の元旦か、 二日目か三日目か忘れてしまいましたが、 普通の時刻に登校し、体育館で校長の訓辞がありました。 教室に戻ってから担任の先生の話があり、その後、紅白の漉し餡の饅頭をもらって帰途につきました。 多分、鹿島小学校のほうも同じだったと思います。 東京の渋谷区の代々木… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ネコの話■|高橋正朝 #26 私は子供のころからネコが好きでした。 家でもネコを飼っていました。 4人兄妹弟でしたが、妹や弟は特にネコ好きということではなかった。 ネコではあっても、誰が自分を可愛がってくれるのか分かるらしく、冬の夜、寒いときは寝ている私の枕元にきて、「 ニャ~ 」と鳴いて布団の中にもぐることをねだりま… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■網戸の穴■|高橋正朝 #25 東京にでてきて住んだアパートや寮の窓には窓には網戸がなかった。 何回もアパートを移り、世田谷区の三軒茶屋に住んだときのアパートには網戸があって、蚊やハエなどが入ってこないので、これはなかなかいいものだと思いました。 私の子供のころの大夕張時代は、窓に網戸がついている家はなかったのではないかと思… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■砂漠のハエ■|高橋正朝 #24 先日、 沢木耕太郎 の「 彼らの流儀 」という新潮文庫を読みました。あとがきを読むと、 朝日新聞での連載コラムだったようです。 そのなかで、「 砂漠の雪 」というタイトルがあり、 主人公のサウジアラビアでの生活の描写があり、満天の星の下でのギターを弾く場面があり、続けて、ハエの大群が襲いかかって… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■フィリピン■|高橋正朝 #23 昨年に12月に、 フィリピンの仕事の応援を頼まれました。 しかし、 鹿島中学校の1年生と2年生のときの同級生が、年末から正月にかけてバンコクに遊びにくるので、仕事の応援は他の人に依頼するように言って、 その仕事の件は断りました。 しかし、 即戦力で短期間でOKという人は殆どいないようで、 結局… 続きを読む