思い出の街角 常盤町の跡 その4 詰所の池 鹿島中学校に向かう坂の途中、暁橋からの道路と合流地点、常盤町の詰所があり、周囲は庭園風の庭があった。 そこの池があったところだと思われる。 以前、菅原さんの写真からの『常盤町詰所の池?』で書いたように自分の記憶では、まさにここが詰所の跡であった。 詰所の反対側のやや高台になっている道路から撮影し… 続きを読む
思い出の街角 常盤町の跡 その3(中学校からの坂下) 鹿島中学校の校門を出て『中学前』のバス停から坂を下ると、大きく右に回る道。 川と道路の間にあった住宅地の跡は大夕張の旧住宅地がどこもそうであったように、木々に覆われている。 道を先に進むと常盤橋がかかり、渡るとサトミ公園があった。 明石町方面からの生活道路とされていた頃、常盤橋を渡り、このあた… 続きを読む
思い出の街角 常盤町の跡 その2 (暁橋) 前回の鹿島橋からシューパロ川の流れに沿って進むと道は、ここで、常盤町の詰所に向かって住宅地の中を進む道と、そのまま川に沿って常盤町の周りを行くに分かれた。 何れにしても二つの道は、詰所の前のあたりで、合流することになり、常盤町の鹿島中学に通った自分は、この常盤町を横断して詰所に向かう道を毎日歩い… 続きを読む
思い出の街角 常盤町の跡 その1 (鹿島橋) 今回から四枚ほどの写真を紹介していく。 これらの写真は、『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』の写真掲示板のデータに残る投稿写真だ。 写真掲示板は、誰でもコメントとともに、写真を投稿できた。 これから紹介する写真は、その『ふるさと大夕張(1丁目1番地)』に投稿していただいた(した?)写真。 … 続きを読む
思い出の街角 坂道 曲がりくねった川と山の間にできたいくつもの河岸段丘。 その上のわずかな平地にできた住宅地を行き来するため、大夕張には橋と坂道が多かった。 春日町と弥生町を結ぶ坂、宝町と緑町を結ぶ坂、常盤町と明石町を結ぶ坂、駅から高校に向かう間の坂道・・・短い坂、長い坂道など思い出していくと、数限りなくわいて出て… 続きを読む
随想 常盤町のクルミの木 |岩田直彦 高橋さんのクルミのエピソード(続・大夕張つれづれ クルミ | 高橋正朝 #161)に、鹿島東小学校の4年生の頃に、常盤町から明石町へ行く坂道で、シューパロ川の崖の藪の中にクルミ木があったと書かれています。 小生も常盤町の道路わきにクルミの木があったことを思い出しました。 高橋さんが気が… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町を背に|遠藤義博 私は昭和27年(1952年)産まれです。 子供の頃、常盤町に住んでました。 昭和55年に千歳市に住んでいて、鹿島中学校まで家族でドライブに。校舎も取り壊されグラウンドで、フキ採りをしたのが大夕張の最後の思い出です。その時は、大夕張が水没するとは思っていなくて、今考えると残念です。 今… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島中学校 球技大会 その2 昭和46年3月卒業の鹿島中学校卒業アルバムから。 「球技大会」とタイトルを打たれたページの一コマ。 アルバム編集委員のつけたコメントには、「何こちゃこちゃやってるの」というコメントが付けられている。 確かに、何をしているのとツッコミを入れたくなるけれど、おそらくサッカーの試合だったのだろう。… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町詰所の池? この写真について投稿者の菅原正広さんは次の様にいっていた。 これは何処ですか?分かる方居たら教えて下さい。そもそも大夕張なのかもわかりません。 弟と私の服や靴からみて昭和45〜6年だとは思うんですが。 昭和45年か46年頃 この写真を見て、自分は常盤町の詰所の横の池を思い出した。 も… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町 鯉のぼり|菅原正広 常盤町の家の前です。 鯉のぼりを見上げるわけでもなく、兄弟揃って視線は何処に? 昭和42,3年だと思います。 鯉のぼりでなく黄色いハンカチだったら、健さんでも出てきそうです。 … 続きを読む
思い出の街角 常盤町8丁目8番地住宅の前で 春先。 雪が溶けて、土が顔を出し、草花が芽吹く前のいっとき、雪の下で寝ていた茶色い下草が顔を出す。 冬と春の間にも、こんな短い季節があった。 あたたかい春の日差しに誘われて、写真をとることになったのだろうか。 常盤町8丁目8番地、菅原正広さんのご家族が住んでいた家の前である。 1968年頃… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町8丁目8番地 常盤町の暁橋のところから、常盤町を横断する形で、詰所集会所に向かって傾斜のある道を行くのが、鹿島中学校に向かう通学路だった。 常盤町8丁目8番地は、暁橋と詰所の中間あたり、ちょうど、シューパロ川に向かって傾斜していく崖の端にあったといえるだろうか。 男の子の後ろに、おそらくその通学路… 続きを読む
思い出の街角 常盤町川沿の炭住 昭和34年頃 手前のつり橋は、千年町と常盤町を結ぶ初代暁橋、奥にはバス(山内線)も走った旧鹿島橋が見える。 鹿島橋の側には鹿島東小学校の校舎。 昭和24年(1949年)に住宅地として山林を開き新築完成した常盤町の炭鉱住宅街だったが、大夕張ダム関連の工事で、昭和36年に暁橋と鹿島橋は新しい橋に付け替えらた。 … 続きを読む
思い出の街角 千年町から見た常盤町 昭和40年代 千年町から足下に見える常盤町の風景。 正面に鹿島中学校の校舎。 左下の暁橋から鹿島中学校への通学路がまっすぐに伸びる。 道の先の緑のこんもりとしたところが、詰所や白樺の並木があったところだろう。 この道は、『中学校行き』の山内バスが通る外周の道を横切り、朝夕の通学時、多くの中学… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和25年 鹿島中学校校舎 見るからに新しい出来たばかりの鹿島中学校の校舎。 職員とともに、鹿島小学校の校長・教頭、鹿島中学校内山清治初代校長の顔が一緒に写っている。 昭和22年(1947年)に鹿島小学校に併置された中学校の校舎が、常盤町にできて生徒達が移動してきたのは、昭和24年のこと。 一方、昭和23年… 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島中学校 1978 昭和53年(1978年)に解体になった鹿島中学校の常盤町校舎の南側から見た航空写真。 『鹿』の字を人文字で描いているのは、100名程の当時在学していた生徒達だろう。 三菱大夕張炭鉱閉山から5年。鹿島中学校の周辺にあった住宅はほとんどない。学校のすぐ側には校長住宅だけが残る。 職員室などが… 続きを読む
学び舎の思い出 マラソン大会(常盤町) 鹿島中学の卒業アルバムからの一コマ。 昭和45年(1970年)初秋。 鹿島中学前からの坂道を右手に折れ、暁橋の正面を右へ曲がり鹿島橋の方へと向かいます。ちょうどここは、暁橋の前に出てシューパロ川に沿って走っているところ。 白黒写真に着色した画像 常盤町。鹿島橋に向かって走る 鹿島中学校の通学路でもあ… 続きを読む
思い出ばなし 祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子 祖父は昭和37年まで大夕張常盤町に住んでおり、当時ジャンプの選手として活躍していたとの話です。 大夕張代表として、4山対抗大会に出場し、少年組で優勝したとの事です。 画像が新聞の切り抜きのため鮮明ではありませんが、当時のジャンプスタイルを偲べると思います。 (2005年6月19日 記) … 続きを読む
学び舎の思い出 鹿島中学校 球技大会 昭和46年卒業のアルバムの写真だから、昭和45年(1970年)の鹿島中学校の『球技大会』の写真。 教室の校舎と廊下の校舎に囲まれた二つの中庭に、バレーボールと、テニスのコートがあった。 球技大会の種目は、体育館で「バスケットボール」と「卓球」、中庭コートで「バレーボール」、グラウンドで「ソ… 続きを読む
思い出の街角 鹿島中学校付近 常盤町 昭和45年頃 常盤町の坂の高いところから鹿島中学校方面をみた光景。季節は春だろうか、溶け残った雪のようなものが見える。 手前には山から流れる沢水を通す暗渠が見える。この沢は、地図や写真を見てみると、常盤町の坂と鹿島中学校の間で、幾筋も枝分かれをしながら流れをつくりシューパロ川に注ぎ込んでいた。 … 続きを読む