街の行事 山神祭(弥生町詰所前広場) 昭和45年頃 白黒写真に着色した画像 弥生町詰所前の広場 山神祭の様子を撮影したシリーズの一枚。 後ろに協和会館。 場所は弥生町、共同浴場そばの広場。 弥生町詰所があり、町内の行事はこちらで行われていた。 お祭りに参加した子供たちの集合場所でもあり、景品が配られた場所。 祭りの時期、回覧… 続きを読む
街の行事 緑町 山神祭の行列 昭和45年頃 6月のお祭りの日。 小学校前の歩道橋から、緑町の方向に向かって撮影された山神祭の御輿行列。先導はボーイスカウト、先頭に、神馬がひかれ、続いて、御輿が続いている。 沿道で見守る子どもたちもお祭りの晴れ着姿。 6月ではあるけれど、各家庭の煙突から煙がたなびいているのも、大夕張らしい。 … 続きを読む
街の行事 大夕張駅前通り 山神祭 大夕張駅前通りを、ボーイスカウトから続く御輿。商店街の看板類から、昭和45年の頃の駅前通りかと思われる。協和会館前の掲示板には、組合の広報用のポスターだろうか、いっぱいに貼り出されている。 大夕張駅前から、協和会館までの商店街の左右の並びは、下のタグの『駅前商店街』で一覧表示できる。 白黒写… 続きを読む
思い出の街角 昭和45年千年町駅前の通り 昭和45年頃の千年町駅前の通りで、バス通りの裏通りにあたる。 願正寺の向かいの郵便局や交番のある商店街のバス通りは、酒屋や飲み屋、商店が軒を連ね、中学校行きのバスが走るメインストリートだったのに対して、病院、床屋、新聞店、風呂屋などの生活のにおいがする通りだった。 昭和43年の地図では、右手前… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 大夕張炭山 昭和45年 白黒写真に着色した画像 大夕張炭山 No.8 三菱大夕張炭鉱ポケット(大夕張炭山) 【奥山道紀】2002/11/21(Thu) 20:27 炭鉱は地下深い切羽から採炭した石炭を斜坑や立坑で、地上へ運び出し選炭後、貨車で各消費地へ送り出します。地上ある巨大な選炭工場や積込ポケット、発電… 続きを読む
思い出の街角 明石町14丁目の広場 昭和45年 夏には盆踊りも行われたという広場 明石町の浴場のとなりにあった広場に、マイクロバスの車庫があり、マイクロバスで、一番方、二番方、三番方の送迎をしていたという。 ここの広場がその場所であるかはわからない。 白黒写真に着色した画像 広場でボール遊びをする女の子たち… 続きを読む
思い出の街角 協和会館前から大夕張駅前通り 正面に大夕張駅。協和会館前あたりから撮影した写真だろう。 左手前の大きな建物が,大夕張炭鉱労働組合の事務所。建物の前には三台の自家用車が停まっている。 駅に向かって、順に、北海道労働金庫大夕張支店、『東芝カラーテレビ』の看板がかかる高橋電器店、谷野書店の建物が続く。 白黒写真に着色… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街 -荒川商店・あいば食堂- 長谷川さんの『食憶』に残る駅前商店街を含む「あいば」さんの思い出から。 閉塞的社会環境の食文化論 【長谷川 潤一】(1999年7月26日) 「バクダン」の匂いで、私めの食欲というか大夕張での食憶がムクムクと・・・。 ・あいばさんの5円アイス。 少し辛目のカレーやカツ類などが美味しかった。 ・池田屋… 続きを読む
思い出の街角 岳富町の坂 (緑町から岳富町方面) 昭和48年頃、岳富町方面。 ここは、かつて宝沢と呼ばれる沢地だった。 父母の年代は、岳富町と呼ぶより、『たからざわ(宝沢)』と呼ぶ方がしっくりしていただろう。 昭和40年代、少年たちが自転車にのって、町を走り出した頃、駅前から千年町方面にいくには、この坂道を風をきってとばしていた。車は滅多に通… 続きを読む
思い出の街角 駅前商店街から大夕張駅 昭和45年から閉山の頃にかけての撮影のようだ。 昭和45年頃、大夕張生活協同組合と鹿島旅館との間の道路中央に立って大夕張駅を正面に見ている写真。 写真を大きくして、看板を読んでいくと、左手が生協から、長塚呉服店、幸寿司、食堂『十八番』。 右側が、『ときわ』、バーエルボン、喫茶ポニー、時計眼鏡… 続きを読む
街の行事 子ども御輿 (信用金庫と拓銀前) 昭和44年頃 山神祭。駅前を行く、子ども御輿。 手前から拓銀、隣に夕張信用金庫の大夕張支店 この写真の構図は歩道橋から写したものでしょうから、昭和44年頃 拓銀は、平成9年(1997年)11月17日、経営破たんというかたちで、1900年以来の歴史にピリオドをうつことになってしまいました。 【北海… 続きを読む