2丁目3番地 引っ越しから一週間たちました 「ふるさと大夕張2丁目3番地」オープンから、ちょうど一週間がたちました。一日5回ほどの記事追加のペースできました。この一週間でその前からのものも含めて全部で220程の投稿数になっています。使い勝手はよくなっているのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 「1丁目1番地」の方、「思い出貼」他、全部… 続きを読む
山史 第1編 沿革 第6章 清水沢駅乗入 第6章 清水沢駅乗入 1、 清水沢駅乗入 当鉄道に於ける国鉄との連絡運輸については、従来より新清水沢駅を有し、旅客は約350米の徒歩連絡、更に荷物及び郵便物は荷車をもって運搬中継せしため列車の遅延を来す等不便を免れず。これが緩和のため省線清水沢に列車を乗入のことゝし、 昭和19年8月25日付をもって… 続きを読む
食憶 食 憶|長谷川潤一 S33年大夕張生まれ。彼の大夕張での記憶は他を圧倒する。 ■エピソード1■その2 食堂のお話■その3 「へ」の字■その4 小学校の給食■その5 木箱の中身■番外編 「CM」■その6 三尺鯉■その7 住環境と食生活■その8 お上品な御味■その9 歩道橋の3時■その10 しゃっこい水■その11 お湯■… 続きを読む
昭和 1936年(昭和11年) 4月 第2北卸の開鑿を開始。 6月 鹿島沢400hp扇風機設置。 7月 木製ラッセル車(キ28)入線。 8月 夕張森林鉄道工事場に請願巡査派出所許可。(11月まで) 9月 10日,大夕張尋常高等小学校校舎増築(廊下,宿直室,湯呑場など83坪 児童数928) 弥生町ができる。 【夕張市人口 42605… 続きを読む
大夕張の全景 昭和30年 常盤町全景 昭和30年頃の常盤町の全景です。左手には堀田牧場,奥から時計回りと反対に鹿島橋,暁橋,常盤橋の姿が見えています。これらの橋は,昭和30年代半ばにすべて新しい橋に付け替えられました。『~記念史』には水没する炭住というタイトルがついています。昭和35年の大夕張ダム完成により常盤町周縁部分の多くが水没しま… 続きを読む
思い出の街角 泉町から鹿島小学校への小道 昭和46年夏。泉町から。 【久々湊眞一】 昭和46年8月。この小道を通った事がある人は、大勢いると思う。大夕張行きの貨物列車が走っているが、きっと荷物(石炭)が、空の状態だと思います。 … 続きを読む
山史 第1編沿革 第5章 鉄道課独立 第5章 鉄道課独立 1、 鉄道課独立 当鉄道の業務形態は地方鉄道として発展後も、運炭課、工作課及び経理課等に於て夫々分担執務せしが、地方鉄道の運営上欠陥ありとして監督官庁より示唆もあり、社内的にも鉄道課設置の気運が騰まり、たまたま終戦という障害発生せしも 昭和20年9月1日付をもって 鉄道課設置、… 続きを読む
2丁目3番地 検索窓の楽しみ 『ふるさと大夕張』で実現したかったことの話として、以前、コメント機能とともに、「関連ページのさがしやすさ」を書いたことがあります。 今、『2丁目3番地』の右上にある『検索窓』は、このサイトの中の記事の言葉の中から、関連する記事を簡単に集めてくれます。 たとえば、「緑町」という言葉で検索すると、「緑町… 続きを読む
思い出の街角 磯次郎の沢 昭和35年頃、春日町の対岸、磯次郎の沢。 【泊川俊徳】(2006/05/15(Mon) 13:35) 代々木町に住んで居た頃、夏になると 随分 遊びに行きました。 小学校では 危ないので この沢では遊ばないようにと言う事のようでしたが それでも 夏は結構遊びに入りましたね。 小学校 4年生か5年生頃… 続きを読む
昭和 1935年(昭和10年) 1月 18日,遠幌加別川橋梁,架け替え工事完成。 22日夕刻より大吹雪となり、翌23日も依然猛烈となり専用鉄道各所に吹溜りを生じ列車不通、24日に至るも開通不能のため1、2番方共採炭休業、総動員をもって除雪に当り消防組その他の援助により全線600余名を配し復旧に努め、同日午後9時漸く列車の開通を見、… 続きを読む
2丁目3番地 最新の大夕張 2020/02/04 先日、札幌市内に住んでいる叔父から大夕張に行ってきたと連絡があり、写真を送ってくれました。 叔父は昭和17年大夕張に生まれ、鹿島小学校の卒業生。昭和32年に大夕張から夕張市内に転出しました。 三菱大夕張鉄道保存会の会員で、南部の保存車両の様子も今も気にかけています。 そんな叔父が送って… 続きを読む
思い出の街角 昭和29年 秋 大根収穫 昭和29年 明石町 農場 秋のダイコンをたくさん背負って畑から降りてくるひとたち 。 池のそばでは子供たちがなにやら••• 大夕張礦業所の農場として開墾が奨励され、昭和24年に明石町ができてからも、昭和27年に明石橋ができるまで、千年町から明石町への道路はなく、急ぎの時には住民は鉄橋を渡って往来して… 続きを読む
山史 第1編沿革 第4章 地方鉄道改組 第4章 地方鉄道改組 1、 地方鉄道改組 大夕張専用鉄道沿線住民の福祉と地区産業発達に資する目的をもって、 昭和12年7月21日鉄道省陸運監督局に対し、専用鉄道を地方鉄道に変更の申請書を提出、翌昭和13年10月20日付監第7802号をもって認可となり、 昭和14年4月20日線名を三菱鉱業株式会… 続きを読む
2丁目3番地 コメント欄にひとこと、ご協力をお願いします 「2丁目3番地」の「ふるさと大夕張2丁目3番地」という記事の中で、こちらで実現できた機能として、 『コメントをページごとにつけることができる』 という機能をあげました。 当初、「ふるさと大夕張」で実現したかった機能がほぼ現実になり、「夢のような環境」とも書きましたが、実際その通りで、「1丁目1番地」… 続きを読む
思い出貼 昭和39年 栄町商店街を行くバス 商店街を行く、三菱(鉱)バス。この先、炭砿病院の横に三菱バス車庫がありました。山内線の始発、終点は礦業所前でしたが、その後、車庫前、始発・終点になりました。 昭和39年栄町商店街三菱(鉱)バス… 続きを読む
昭和 1934年(昭和9年) 2月 北卸で石炭を出す。 主夕張森林鉄道工事着手(~昭和17) 第12回全日本スキー選手権大会(青森・大鰐),ノルディック50kmにて箕輪正治(大夕張)優勝。 4月 1日,三菱大夕張幼稚園設立。園長山崎徳也。学級12,職員9名。園児,男265名,女300名 合計565名。 7日,葡萄山隧道なだれのた… 続きを読む