大夕張つれづれ■ 学 び ■高橋正朝 #13

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 東小学校3年生の冬、クラスの授業でアイスキャンデーをつくったことがありました。

 あの当時、母親がジャガイモをゆでたり、タクアンをつくったりするときには、サッカリンを入れていたのを覚えています。

 そのサッカリンのガラス容器に砂糖水を入れて外に置いてつくったわけですが、朝から昼までの間の外気では、砂糖水を完全に凍らすことができませんでしたが、それでも、アイスキャンデーもどきができました。

 あの当時、普通の家には、電気冷蔵庫なんてなかった時代です。

 アイスキャンデーをつくるのに、夏ではなく冬につくるのも、教師の工夫だったのでしょう。

 小学生のその頃、水の3態とか体積膨張というような言葉は知らないながら、ビール瓶の中に水を充満させ、王冠かぶせてちょっとペンチの角で王冠のカシメ部分を軽くたたいて締め、一晩外に放っておくと、翌朝、瓶が割れていました。

 1斗缶に水を少し入れ、それをストーブにのせて沸騰させ、それを外に出して雪の上においただけで、1~2分後にくしゃっとつぶれたりするのを見て遊んでいました。

 小学校3年生か4年生のとき、手塚治虫の漫画で、少年画報に連載されていた「 スーパー太平記 」というのがありました。

 未来からきた夫婦の科学者の一人息子が江戸時代に取り残されてしまい、その子が漫画の主人公になります。

 勉強したいがために、その許しを得るために商家の主人の前で、煮えたぎっている鉄ビンの中に手を突っ込み、驚いた主人が、その子が勉強するのを許す、というシーンがありました。

 それをちょっとマネしたくなり、煮だっているいる湯沸かしに人差し指をちょっと入れてすぐ出したことがありました。
 もちろん、軽い火傷です。   
 耳が軽い凍傷にかかったように、2~3日指の痒いのが続きました。

もちろん、 親には話しませんでした。

  
 私の右の太ももに、10センチぐらいの大きな傷がありますが、自転車で明石町から常盤町に行くとき、常盤町に行く坂道の頂上で崖に転げ落ちそうになり、思いきって反対側に体重をかけて転倒したときにできた傷です。

 傷の面積は広いけど深くはなかったので、血がかななり出ていたものの、家に帰って自分でオキシフルで消毒し、ガーゼを当てました。

 砕石をまいた道路で、両手を話して自転車をこいでいれば、こんなことになるのも止むを得ません。親に話したところで、心配されるよりも、「 なんて馬鹿なことをしたんだ 」と言われるのが関の山なので、黙っていました。

 学校で先生に立たされ、級友の頭と自分の頭を両手でぶっつけられたり、おでこを黒板にぶっつけられたりしたこともありましたが、今となっては理由は忘れたものの、自分たちが悪いことをしたのは分っているので、こういうことを親に言ったのは誰もいなかったようです。   
 もし、 仮に親に言ったとしても、「 お前が悪い 」と言下に言われたでしょう。

   
 今はモンスターペアレントなる者がいるそうなので、学校の先生も大変でしょう。我々が子供のころは、親や先生に対し、畏れがありましたが・・・・・・


高橋 正朝 ( たかはし まさとも ) 2012/02/12 _ 18:14:06

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。


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