交通関係 昭和38年 急行券と準急行券 昭和38年「大夕張駅」発行の普通急行券と、同じく「千年町駅」発行の準急行券。 「山史 第1編沿革 第7章」には、次のように書かれています。 昭和36年1月14日より、国鉄札幌・夕張間にジーゼル準急行列車「夕張」を2往復運転開始せしが、当鉄道各駅からの連絡旅客に対しても2月1日より準急行券を発売開… 続きを読む
昭和 1962年(昭和37年) 1月 16日,鹿島高校全日制課程設置認可。(通学区鹿島・南部) 2月 10日,シューパロ湖,道立富良野・芦別道立自然公園に指定を受ける。 大夕張鉱奥部第1立坑堀鑿完了。 3月 奥部第2立坑(深さ940.2m)堀鑿開始。 19日,病院前踏切にてNo.4牽引の混33列車,トラックと衝突。死傷者なし。 3… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■雁皮■|高橋正朝 #56 前回、このコーナーに書き込むとき、「雁皮」という単語が、私が使用しているパソコンでは出てこなかった。 大夕張では普通に使っている名称だが、一般的でない、つまり方言かなぁ、と思い、広辞苑でチェックしてみたら、ちゃんと見出しにあった。 今ではほとんど使用しない名詞だから、私のパソコンには搭載してい… 続きを読む
訪問記 懐かしき南部貯木場跡を訪ねて|大阪の小林 平成15年8月4日 今回、本当に久しぶりに大夕張の南部貯木場跡を見ることができました。 札幌のホテルを基地にして、レンタカーで北海道の観光をすることにしたのですが、勿論、その一部に南部に行くという行程を入れるのを忘れませんでした。 8月3日に南部に行く予定でしたが、あいにくの雨でやむなく翌4… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ルンペンストーブ■|高橋正朝 #55 私は大夕張明石町番外地で生まれ育ったのだが、小さいころの我が家のストーブはマキストーブだった。 5歳前後のころに、石炭ストーブに変えたと思う。 あの頃の日本は、工業復興のために、極端な傾斜生産方式で、石炭、鉄鋼、造船が重要産業だった。 私の父親は、三菱鉱業で働いていなかったので、当時としては… 続きを読む
回想・随筆 懐かしき貯木場(南部)|大阪の小林 (平成12年6月4日) 初めまして。大阪の小林と申します。小生は昭和40年の一夏(七月中旬から八月中旬まで)南部にありました営林署の貯木場で、大学の友人二人と共にアルバイトをしました。三人とも関西人であり、大学は京都にありました。 宿舎は営林署の「南部合宿」、要するに独身寮です。寮には独… 続きを読む
陳列棚 鹿島小学校記名章 これは、ダムに沈むことを知った乗田功一さんが、大夕張を訪れて、本間商店に寄った際、本間商店のおじさんから譲っていただいたという鹿島小学校の記名章です。 乗田さんのお話では「小学3年生の時の写真では誰も付けていないようで、小学4年生の写真から全員胸に付けています。ですからこの間(昭和44年頃)に制… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■馬ソリと竹スケート■|高橋正朝 #54 カバキツネさんが馬ソリのことを書き込んでいたので思い出しました。 冬は馬車でなくソリでしたね・・・・・・。 鹿島東小学校の低学年のころ、学校から千歳町を経由して明石町への帰り道で馬ソリを見つけると、そのソリに乗ろうとしたことが何回かあります。 馬ソリのスピードはそれほど早くなく、子供のことだ… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロ湖全景(パノラマ) 昭和40年頃のシューパロ湖全景 昭和40年8月8日(日)天候曇り 『大阪の小林』さん撮影 大夕張とシューパロ湖 【矢野和裕】2016/07/19 _ 23:20:19 釣りが好きで、この町でコーラを飲み食料を調達していた。春はイワナ、秋は鯉、冬にワカサギと札幌から通った。 特に冬のシューパロ湖を… 続きを読む
山史 第4編 営業成績 第2章 旅客運賃 第2章旅客運賃 1、 賃率(国鉄比較) 三菱大夕張鉄道国鉄年・月・日賃 率大夕張・清水沢間運賃賃 率14年4月1日 1銭5厘6毛14年4月20日1銭5厘6毛24銭 17年4月1日 2銭19年3月1日1銭6厘26銭 19年4月1日2銭5厘40銭2銭5厘20年4月1日3銭50銭3銭21年3月1日 … 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■マンガのはなし■高橋正朝 #53 手塚治虫のマンガの人物の手の指が4本について・・・・・・。 しつこいネ、 私も。言わずもがなことを書くと、こういう性格は嫌われる・・・・・・。 ディズニーのマンガでは、擬人化した動物は4本指だが、そのマンガに人物が出てくれば、それら人物の指は5本で描かれている。もちろん例外があり、以前、ピノ… 続きを読む
思い出貼 炭砿病院職員(昭和25年) 昭和25年11月18日 中央に写っているのは当時の院長先生だろうか。病院の経理の仕事をしていた結婚前の私の母親が写っています。私の知る看護婦さんの顔も見えます。… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■漫画大学■高橋正朝 #52 紀伊国屋書店で、漫画の文庫本の、手塚治虫の「 漫画大学 」があったので購入した。講談社の手塚治虫文庫全集の中の1冊である。古本屋で、角川文庫の手塚治虫の同じ題名、「 漫画大学 」を見つけてこれも購入した。 厚さがかなり違う。例によって透明ビニールに包まれているので、中身は確認せずに買った。 中… 続きを読む
思い出貼 湖畔を行く列車 昭和47年頃 穏やかで満水のシューパロ湖。鏡のような湖面は周囲の山と列車を映し出しています。 湖岸を列車がゆっくりと進みます。 閉山の頃 【ヒロ みうら】本当に鏡のよな湖面ですね・・・自分は宝塚市で仕事を始めた頃かなもう閉山の話題が出ていた時期でしょうか列車の姿が、少し寂しそうに感じるのは自分だけで… 続きを読む
街の行事 栄町 子ども御輿 昭和43年6月15日のお祭り風景 栄町2丁目・3丁目の通り。奥にスキー場、木造の炭砿住宅の向こうに栄町アパートが見えています。世話役の男性の法被の襟には、栄町内会と書かれています。… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■鉄腕アトムの手■高橋正朝 #51 目にした人も多いだろうと思うけど、日本経済新聞2016年(平成28年)3月7日付に、関西経済特集があった。 その中に、関西の鉄道9社が、訪日客向けの共通乗車券「 関西ワンバス 」を、4月8日から試験販売を始める、という記事が出ていた。 西日本旅客鉄道( JR西日本 )の、ICカード乗車券「 I… 続きを読む
思い出貼 駅前の子ども御輿 この写真も、次のカラー写真と同じ頃のようです、各町内の御輿がたくさん出ていたようですが、どこの町の御輿なのでしょう。 遠目に大夕張駅向の保養所前のバス停も見えています。到着時は、大夕張駅側になり、帰っていたという気持ちになったものですが、大夕張を発つ時は、こちら側のバス停が起点となりました。いろ… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ご飯の食べ方■高橋正朝 #50 私が幼稚園に行く前のころだが、家の中は暗く、外に、わりと澄んだ光を感じ、それほど暑くもなかったのを覚えているので、多分、5月下旬か6月初旬ぐらいだったろうか・・・・・・。 時々我が家にくるオジさんがいた。名前も顔も知らないが、明石町番外地の人ではなかった。このオジさんは鹿児島県の出身、だというこ… 続きを読む
思い出の街角 渇水期の大夕張ダム 昭和45年頃、夏。 三弦橋の下の湖底も顔を出しています。空からの写真だと、泥に覆われた湖底の黄土色と周囲の緑の対比がなんともいえない。 渇水期のシューパロ湖 【成田 利夫】 渇水期はバイク🏍️で降りて縁を走れましたよ。何度か走ったことがあります。一度突然視界に入った溝に落ちたことがありますが、柔らか… 続きを読む
昭和 1961年(昭和36年) 2月 各駅で,国鉄準急券発売開始。3月 開拓橋を白銀橋と改称。 鹿島橋(千年-常盤)竣工 9粁300切土工事着工。4月 1日,鹿島高校(定時制)独立校舎へ移転,鹿島中校舎共用を解除される。鹿島中34学級となる。 鹿島小に鼓笛隊できる。(田中豊一80名) 9日,9粁300切土工事完了新線切換。葡萄山… 続きを読む