思い出の街角 シューパロ川上流(官行) 平成19年(2007年)1月 取水堰より上流のシューパロ川。上を通っていた国道から下を見る。川の中に小さな建物が建っています。子どもの頃、遠足の時にもこのあたりに、施設があったことを覚えています。 このあたりには、初音沢に水をあげるポンプ場があったという話を聞いたことがあります。 平成19年と… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■マエダケ■|高橋正朝 #79 私が4歳か5歳ぐらいの初夏のころ、名前は全く覚えていないが、明石町に住んでいる細身の人で、父親ぐらいの歳の人が、夕張山地に入ってキノコの塊を持ち帰ってきたことがある。 そのキノコを、「マエダケ」といった。夕張山地にある山の名称として、前岳というのがあるが、同じ発音だったので記憶がはっきりしている… 続きを読む
タイムスリップ 1960年(昭和35年)列車折り返し運転 1.列車を降りて2.崩落した崖を見上げる3. 土砂に覆われた現場と待機する列車4. 列車を乗り換える5. 崩落現場越しにふり返る 崩落により列車をのりかえる高校生たち 【本間正雄】 大夕張からは、地元の鹿島高校(夕張東)に通う高校生以外にも、夕張北・夕張南・夕張工業高校に通う高校生たちが多数、列車… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■旧友再会■|高橋正朝 #78 昨夜は、珍しい人物と電話で話しました。 鹿島中学校3年I組(担任は、理科担当の藤野真一先生)で同級生だった平野精一さんです。54年ぶりぐらいになるのかな~、彼と話したのは。 キートンこと、増田粛さんが平野さんの連絡先を教えてくれました。彼自身も、平野さんと連絡がとれたのは、つい1週間ぐらい… 続きを読む
陳列棚 シューパロ川の石(官行) 昭和44年頃 官行の河原にて採取。 河原の石拾い・蛇紋石 【飯田雅人】 晩年、父は『石磨き』を趣味の一つにしていました。きれいな模様の入った石の蒐集と、それを磨きあげるという趣味でした。蒐集癖という性質は息子である私に受け継がれ、父の拾った石は息子たちの家に残されました。 昭和42、3年頃、… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■お盆と出店■|高橋正朝 #77 私の大夕張の子ども時代は、祭りは5月だったか6月だったか、今となってはハッキリと覚えていない。 北海道の七夕は、内地(今でも北海道で使っているかどうか・・・、沖縄の人も本州を内地というらしいが・・・)、と違い、8月7日だ。 東京の浅草から上野にかけては7月7日だが、意外なことに、東京でも中野区… 続きを読む
炭鉱とともに 第27回メーデー(昭和31年) 先頭を行く看板に「第27回メーデー」の文字が見えます。後ろには大夕張炭砿労働組合の旗が翻ります。第27回メーデーは、昭和31年。場所は不明ですが、緑町から宝沢(岳富町)方面に向けてのあたりにも見えます。 先頭を行く看板には、立ち上るキノコ雲の絵に、『再軍備絶対反対!!』の文字が読み取れます。他に… 続きを読む
山史 第4編 営業成績 第5章 石炭運賃 第5章 石炭運賃 大夕張炭山~清水沢間1屯当り石炭賃率 昭和14年4月20日開業当時併算制施行 7級 18粁50銭最低運賃の関係により59銭の実施を得る昭和17年4月1日戦時輸送通算制施行のため減収となり実収55銭 但し昭和19~20年頃一括割賦を使用したため 扇町及び隅田川駅着 長距離輸送により7… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■鹿島東小の運動会■|高橋正朝 #76 前回、書き間違えたことがありました。「ねむの木」を「オジギ草」と書いてしまいました。 東南アジアでは、山間地に行くと「オジギ草」を、よく見ます。バンコク市内では、偶にしか見ない。耐寒性が低いため、大夕張では育成しない。 ウィキペディアでチェックしてみると、沖縄では自生しているようだ。それに、「… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■下校途中の出来事■|高橋正朝 #75 私が鹿島東小学校3年生か、4年生の天気のいい春のころ、もしかすると初夏のころだったかもしれない。学校の帰りに、クラスは違うが同学年の男児と一緒になった。 彼の当時の顔はハッキリと覚えている。アンパンマンそっくりである。もちろん、アンパンマンなんてマンガは、当時はなかったが・・・・・・。名前はもう… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■10円玉■|高橋正朝 #74 同居していた私の母の妹、すなわち叔母が、私が鹿島東小学校1年生のときに結婚し、栄町に住んでいました。 結婚した相手は 栗田昭作。大夕張鉄道の機関車の運転手でした。 表札のすぐ横に、秋田県人会 という小さな木札がかかっていました。会場が持ち回りで時々県人会が開かれていたようです。 三菱炭鉱には… 続きを読む
交通関係 三菱(鉱)バス 回数券 昭和45年頃 回数券 この回数券は、父の手帳の間にはさまれてあったものです。山内線で行き来するときに使用していたものでしょうか。 これとは別に「大夕張-札幌線」に使用されていた乗車券は、はがきより一回りほど小さい、8㎝×15㎝位の長方形の形をしていました。 四辺に沿って、行き先と金額がかかれて… 続きを読む
山史 第4編 営業成績 第3章 連絡運輸範囲 第4章 乗車券 第3章 連絡運輸範囲 昭和16年12月1日、旅客連絡運輸取扱開始 国鉄線東海道線 東京、横浜、名古屋、大阪、神戸東北線 東北本線各駅、日立、陸中花輪、八戸、陸中夏井、久慈奥羽線 奥羽本線、能代、羽後四ツ屋、羽後長野羽越線 温海北海道線 各駅 国鉄線を経由し社線と次の鉄道線間 国鉄線清水… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■常盤町の三つの橋■|高橋正朝 #73 私の鹿島東小学校時代には、常盤町には橋が3本架かっていた。東小学校のすぐそばの鹿島橋は、1年生の頃にコンクリートの橋になったような気がするが、確かな記憶ではない。 常盤町から千年町に行く道の暁橋は吊り橋だったが、ずいぶん揺れる吊り橋だった。2、3人ぐらいで渡ると、たいてい誰かがその橋を揺さぶった… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■「わるども」と「いいども」■|高橋正朝 #72 私が大夕張の子供時代、「わるども」、「いいども」という言葉があった。東映のチャンバラ映画は、単純な勧善懲悪のストーリーだったから、それらの映画のことで話すときや、チャンバラごっこでよく使った言葉だ。私と同年輩や年上の人たちは覚えていることと思います。 ウェブで検索してみると、「わるども」に関して… 続きを読む
交通関係 鉄道一部廃止記念乗車券 昭和48年 昭和48年12月 三菱大夕張炭礦株式会社 大夕張鉄道 発行 封筒 表封筒表 と 清水沢ゆき 記念乗車券三枚 乗車券 裏面(三枚共通) 記念乗車券裏面 文面 ごあいさつ 半世紀に亘り 親しんでいただきました三菱大夕張鉄道、南大夕張-大夕張炭山間の営業を廃止するとともに、D.Lを導入することになり… 続きを読む