夕輝文敏 雪明りの街 | 夕輝文敏 正雄は、その夜いつになく酔っていた。首切り部長としての葛藤が、酒の量を増やしてしまった。 以前は同僚たちと良く飲みに来たが、今の職責についてからは、一人で飲みに来ることが多くなっていた。 年の瀬のススキノは、人で混み合っていた。正雄はタクシーを拾うのを諦め、少し酔いを覚まそうと… 続きを読む
楽しかった日々 雪かき 雪かき、雪はね、雪割り・・・降った雪に関わる力仕事は、天候や気象条件によりいろいろな思いもするが、家庭でのこの日の雪かきは、しばらく大量の雪が降り続いた後、気温が上がり、雪が少し溶け気味で水分を含んだ重い雪が相手だっただろう。 スコップで四角に切りながら、広げていった。 セーターで… 続きを読む
昭和 1986年(昭和61年) 4月 1日,鹿島中第13代藤井昌隆校長。 5月 三菱南大夕張炭鉱殉職者慰霊碑序幕。 大夕張ダムかさ上げに関する鹿島白金地区農民支援対策協議会設立 鹿島の人口1000人を割る。… 続きを読む
2丁目3番地 『ふるさと大夕張2丁目3番地』QRコード 需要はどれほどあるかわかりませんが、『ふるさと大夕張2丁目3番地』のQRコードを作成しました。 QRコードの便利さは、すでにいうまでもありませんが、それでもPCやスマホの操作に慣れていない方に口でアドレスを伝えることは至難の業です。 主にスマホ用途だと思いますが、手間や伝える難しささ… 続きを読む
随想 最後の大晦日|斎藤敏幸 大夕張で過ごした最後の大晦日を振り返ってみました。 正確には、大晦日の前日の事なのですが。 1972年(昭和47年)12月30日。 この日、夕張東高第8期生(同年3月卒業)の同期会を、確か千歳町の婦人会館で開催しました。 もう記憶は定かではありませんが、… 続きを読む
思い出の街角 千年町から見た常盤町 昭和40年代 千年町から足下に見える常盤町の風景。 正面に鹿島中学校の校舎。 左下の暁橋から鹿島中学校への通学路がまっすぐに伸びる。 道の先の緑のこんもりとしたところが、詰所や白樺の並木があったところだろう。 この道は、『中学校行き』の山内バスが通る外周の道を横切り、朝夕の通学時、多くの中学… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 道玄坂の思い出 その2 | 高橋正朝 #124 前々回投稿した、大夕張つれづれ # 122 〘 ハチ公前広場の噴水 〙に、飯田さんが、イラストを添付して掲載してくれました。 渋谷駅前のハチ公の銅像の住所というのは、実は道玄坂なんですョ。 それで、イラストに描かれていた景色の、中央からやや右側にあるビルを、私は渋谷駅前ビルと… 続きを読む
思い出の街角 春日町 住宅地 川に近い低いところにある春日町に行く坂道はいくつもあった。それは、『昭和47年春日町航空写真』でもみることができる。 崖の上にあった購買会のあたりから右にいくと、急斜面を直下に下る細い道と、やや車も通れる広めの道路があった。 写真は、その広めの道の途中から見た、春日町の詰所より南側の住… 続きを読む
思い出の街角 礦業所プール(栄町) 水の抜かれた誰もいないプール。 大人用プールの向こうに子供用プールがあった。 道路をはさんで栄町アパートが建ち並ぶ。 7月から8月にかけて、夏のにぎわいはふた月もあっただろうか。 お盆を過ぎるころから風が寒く感じるようになり気温も下がる。 そして迎えた秋。 9月頃のプールか… 続きを読む
思い出ばなし 暮れの餅つき | ziny 毎年12月28日は代々木町の我が家の餅つきの日でした。 昭和30年代、この末広がりの日には、しめ飾りをつけるのと餅つきでしたね。 外はシンシンと雪が降っている。 玄関の障子(ある時期から飾りガラス戸)をはずし、隙間風よけに目張りをしたビニールの上に、新聞紙も所々貼ってあった。 … 続きを読む
思い出ばなし 本間商店と東高のボタン | 斎藤敏幸 本間商店のおじさんからいただいた、夕張東高のボタン 1997年10月 週末に大夕張へ行ってきました。 ちょうど紅葉が始まっていて、夕張岳の麓も色づいていました。 地元の人に尋ねると、10月10日頃が最もきれいだろうと言ってました。 秋には、一度尋ねてみようと思っている方は、今週末の連… 続きを読む
住民登録 2007年(平成19年) 昭和23年4月20日の大夕張生まれです。 緑町1-9に、昭和38年、中学の2年生まで住んでいました。 小学校の恩師笠原先生、友達の元山君、佐藤君、今むつ子さん 皆さんどうしているのかな? 一度お会いしたいですね。 懐かしい思い出が 胸に込み上げてきます。 今は愛知県北名古屋市… 続きを読む
随想 寒くなると、聴こえる | タカママ 夕飯の支度をしながらラジオを聴いていると、懐かしい言葉が・・・。 「石狩・空知・後志地方の天気は・・・。」 「道道○○号線は、雪で通行止め・・・。」 我が家の古いアナログラジオは、この時期北海道の電波をキャッチしてくれます。 思わず手を止めて聞き入ってしまいます。 遥か遠くの雪… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 道玄坂の思い出 その1| 高橋正朝 #123 前回投稿した、『続・大夕張つれづれ # 122 〘 ハチ公前広場の噴水 〙』に、飯田さんが、イラストを添付して掲載してくれました。 これは、私にとっては懐かしい風景です。 一部を誇張や省略したイラストで、私が海外に行く前の2年間働いていたビルが描かれている。 このイラスト… 続きを読む
思い出ばなし 正月の餅|飯田雅人 大夕張の師走の話題から、餅の思い出を。 以前『夕張文化』44号に木村東市さんという方が『大夕張歳時記』という回想を書かれていました。 その中で,昭和10年代?の話。 暮が近くなると岩手の母の実家から米一俵ともち米が送られてきて、当時シューパロ川の川縁にあった千年町番外地の堀田牧場に頼んで正… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代 協和会館 昭和6年に建てられた礦業所の施設、従業員の慰安娯楽にも使用され、昭和15年頃の絵葉書には、『娯楽殿堂』の文字がうたわれる。 昭和32年には大きな改装工事を受けた。閉山近い昭和40年代の協和会館。 昭和15年頃の絵葉書の中の協和会館 https://ooyubari.com/202… 続きを読む
学び舎の思い出 木造校舎取壊し 今から20年以上前、白黒写真でこの写真を鹿島小学校の郷土室で見たときは、木造校舎がないこの姿はけっこう衝撃的というかインパクトが強かった。 全盛期の新校舎と木造校舎が対になった姿を知る人にとっては違和感を感じた写真かも知れない。 鹿島小学校の沿革を辿ると、昭和3年の開校以来、幾度も校舎… 続きを読む
思い出の街角 駅前通り 昭和40年代、大夕張駅前から春日町方面に向かっていく通り。 これまで掲載していた写真と元は同じ写真と思われるが、こちらは昭和48年発行の大夕張炭労「未来に向かって」の中で『大夕張駅前通り』として掲載されていた。ずいぶん色味が異なる。 もうずいぶん前になるが「ふるさと大夕張」の掲示板か、住民登録の… 続きを読む
思い出ばなし 『それ』のおいしい作り方 |久々湊真一 小学校5年の時に、何故か化学者に憧れて、試験管やらビーカーを買ってきた。 長年シコシコと貯めていた小遣いを、思い切り良く全部これに充てたのでした。 「何に使うの?」 と両親から咎められたが、案の定、実験のアイテムも無くて、ただ透明の容器を眺めて磨いて、ニタニタしていただけであっ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ ハチ公前広場の噴水 | 高橋正朝 #122 大夕張つれづれ # 11 〘 ハチ公前で出会った若者 〙に、DATE さんという方から、2022-11-05 にコメントが入ってました。 私の投稿は、パソコンだけでの書き込みや閲覧できる時代の〘 大夕張つれづれ 〙のホームページだったので、現在でも閲覧している人はいますが、旧い… 続きを読む