謹賀新年 『ふるさと大夕張』様|二木晃
明けましておめでとうございます。ただいま午前三時。
地元の神社の総代を務めさせていただいていますので、参拝者の接待に追われ、元旦はいつも、この時間になってしまいます。
昨年は、忙しいなりに頑張って暇をつくり、十数年ぶりに友人たちに年賀状を書くこともでき、まずまず充実した一年でした。
そして、あらためて年末には「ふるさと大夕張」のホームページを隅から隅までじっくりと読ませていただきました。
それにしても、このホームページは素晴らしいですね。私も、マスコミの世界に首を突っ込んで四十年近くなり、現在もフリーで仕事をさせていたいておりますので、少しはこういうものに通じているつもりでいます。
それでも、できるだけ若い方々の感性を勉強しようと思い、いろいろなホームページを検索していますが、意外と自己満足的なもの、自己中心的なものが多く、ちょっとがっかりしていました。
こういった感慨を持つのも、私が「おじん」のせいなのでしょうかね。
私、自己紹介が遅れましたが、鹿島中学七期生、この欄の常連の投稿者、田中(馬屋原)紀子さんの二期先輩です。
でも、このホームページを拝見して、安心したとともに、かなりショックを覚えました。
「ふるさと大夕張」を起ち上げた飯田様の感性のすごさ、まさに感服ものです。すべてのコーナーに「愛」があふれており、お世辞ではなく、本当に感動しております。
きっと、ここまで完成するまでには、大変なご苦労があったことと拝察します。
年輩の大夕張出身者として、ただただ感謝です。
これからも、息長く、このホームページを続けてくださるようお願いいたします。
追伸
=私の母が、大夕張病院の隣にあった家政塾の和裁・料理の先生をしておりましたが、校舎の写真なども含め、いっさい資料がありません。もし、お持ちの方がありましたら、ぜひお知らせください。
(2004年1月1日 記)
18年前に投稿いただいたもの。
18年後の返信とは、『2丁目3番地』らしい。
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18年前のこととて、いまだ身に余る言葉に、恥ずかしくなって消えてしまいたくなるけど、あえて・・・。
読む人、書いた人、材料を提供してくれた人、作った人みんなへの言葉だと。
そんな人たちの『読む思い』『書く思い』『関わる思う』が、時間や場所を越えて今も昔も交歓しているのだと。
文章の向こうに人の気持ちのやさしさを感じる時でもありました。
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大夕張にあった『家政女学校』。礦業所が昭和21年に設立。従業員子女の教育にあたりました。
主に、家庭一般『裁縫・手芸・家事』など、良妻賢母の育成を目指したといいます。
写真は大夕張ではなく夕張鉱設立の『家政女学院』(大正12年創立)の写真です。