学び舎の思い出 昭和43年 鹿島小学校教職員 昭和43年(1968年)鹿島小学校教職員写真。 3月の卒業期、昭和42年度の年度末に撮影された写真だと思われる。 中田隆智(昭和29年12月20日着任~昭和47年8月31日退任)、正木英造(30年4月1日~47年3月31日)、木村統志子(31年1月20日~60年3月31日)、上野真廣(32年3月… 続きを読む
思い出の街角 坂道 曲がりくねった川と山の間にできたいくつもの河岸段丘。 その上のわずかな平地にできた住宅地を行き来するため、大夕張には橋と坂道が多かった。 春日町と弥生町を結ぶ坂、宝町と緑町を結ぶ坂、常盤町と明石町を結ぶ坂、駅から高校に向かう間の坂道・・・短い坂、長い坂道など思い出していくと、数限りなくわいて出て… 続きを読む
思い出の街角 冬の裏山 富士見町の住宅地から八百五十への尾根へと続く山。 昭和35年頃、富士見町6丁目の礦業所の前の坂の登るとてっぺんの家、坂の一番上の住宅に引っ越すことになった。 当時薬局にいた大橋秀雄先生が引っ越すことになり、その後に入ったのだった。 二軒一戸建ての住宅の、隣に田中さんが入っていて、その家には同… 続きを読む
楽しかった日々 雪の中のくらし 雪かき 昭和35年頃。 富士見町5丁目あたりの、炭砿病院の線路をはさんで向かい側にあったあたりの住宅前。 雪のあと、日差しが出て来て家の前を雪かきに出る。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
楽しかった日々 屋根の上のスキー 家を埋め尽くすほどの雪が降った夜。 次の日、屋根の上には新雪が積る。 地面に積った雪と屋根からなだれ落ちた雪がつながってしまう・・・。 晴れた日には、そこは子どものスキー場と化す。 昭和35年(1960年)頃、場所不明。 白黒写真に着色した画像 https://ooy… 続きを読む
思い出の街角 礦業所のスキー大会 ノルディックのスキー大会。 礦業所の職員慰安行事の一つだったのだろう。様々な行事が行なわれていたスポーツ大会の一つ。 スキー場前の富士見町1丁目の山側の道路をゼッケンをつけた参加者が鹿島小学校グラウンドの方向に進む。 どんなコースだったのだろうか。 昭和40年頃と思われる。 白黒写真… 続きを読む
思い出の街角 スキー場のにぎわい 大勢の子どもたちでにぎわう富士見ヶ丘スキー場。 大夕張の『スキー場』 小学校の中学年頃までは、ロープにつかまって中腹まで登るとそこから滑る子が多かった。 そこから上の尾根上までの急な斜面から滑るのは上級生・上級者という印象だった。 右手にジャンプ台があり、その横の斜面ではアルペン用のポー… 続きを読む
思い出の街角 平成15年 冬 はじめ『平成15年の大夕張駅前通り』のタイトルにしようとして、止めた。 想起させるものは何もない。 頭の中の記憶で補うことで、初めてそこがかつて商店街が建ち並ぶ駅前通りだったと想像できる。 平成15年(2003年)の大夕張。 『大夕張駅前』のタグで見てきた大夕張張駅前からの2003年の姿。… 続きを読む
音の風景 大夕張 鳥のさえずり -ウグイス- 『大夕張の鳥たち』で、大夕張に住んでいた鳥の名前を紹介した。 少年時代、当時の暮らしの中で自然のBGMとして聞こえていたこれらの鳥たちの鳴き声は自然のBGMだった。 当たり前すぎて何という鳥が今鳴いたのかなどと、意識することもなく考えたこともなかった。 翻って現在の生活の中で、家の周辺で、鳥の鳴… 続きを読む
炭鉱とともに 工場地帯 昭和45年頃の大夕張礦業所の工業地帯。 たくさんの数の工場や施設があり、拡大して眺めると飽きない。 『索道ヨリ工場地帯ヲ望ム』と同じ視点の40年間の発展を示す写真といってよく、礦業所の北側から、工場地帯、住宅地の方まで俯瞰する。 写真右端にうつる礦業所事務所越しに炭砿病院、栄町アパート… 続きを読む
楽しかった日々 餅つき 昭和36年12月28日。 この日、祖父の家での餅つき。 祖父は、当時富野小学校に隣接する校長住宅に住んでいた。 玄関から入ると、左手に台所兼土間、右手に茶の間という間取りになっていた。 その土間で行なわれた餅つきだと思うが、土間はそれまで大夕張で見たことがなかったような広さがあった。 … 続きを読む
楽しかった日々 三菱大夕張炭砿病院 職員写真 昭和36年5月。 草の上には雪が未だとけ残る。 白黒写真に着色した画像 昭和36年頃 三菱大夕張炭砿病院職員写真 父と炭鉱病院【飯田雅人】 三菱大夕張病院は薬剤師であった父の職場でした。私は小さかった頃,富士見町6丁目下の病院とは目と鼻の先の線路をはさんだ公園のそばの家に住んでいました。 父… 続きを読む
学び舎の思い出 級会の宴 以前紹介した『修了級会(昭和18年)』は、鹿島国民学校高等科13期生のものだったが、こちらは、『鹿島国民学校15期生』のものだ。 昭和19年3月に高等科を卒業した方々。卒業して5年ほど経った昭和23年(1948年)頃の級会(今でいう同窓会)の時に撮影されたようだ。黒板の上に『第15期生 祝級』と掲げ… 続きを読む
楽しかった日々 宝町のクリスマス 昭和25年(1950年)12月25日。 宝町でクリスマスの日に子どもたちが集まった会が開かれた。 集まった子どもたちは宝町に住んでいた子どもたち。 場所はおそらく宝町の集会所だっただろう。 この日は子どもたちを集めて、今でいう『クリスマス会』のようなものが行なわれたのだろう。 敷かれたゴ… 続きを読む
楽しかった日々 昭和30年代 購買会前の行き交い 前回、『昭和30年代 購買会』の写真の一部を拡大した部分写真。 建物の姿とともに、行き交う人々の姿に当時の生活が蘇る。 季節はいつ頃だろうか。 浴衣を着た子どもの姿。 父親に手を引かれた幼い子ら。 赤ちゃんを背負った若い母親と立ち話に興じる和服姿の女性と背広を着た男性。 穏やかな人… 続きを読む
思い出の街角 昭和30年代 購買会 昭和30年代の購買会。 大夕張のデパートといわれた三菱購買会。 2階には家具売り場もあり、お正月や季節の大売り出しの時期には、福引などが行われ、中央の玄関前には当選者が張り出されていたという。 昭和38年頃火災にあったという。 この写真はそれ以前のように思われる。焼失したわけではなく、むしろ… 続きを読む
楽しかった日々 山スキー 栃木で生れ東京で薬学を学び、戦後三菱鉱業の大夕張炭砿病院に就職した父は、北海道に単身渡った。 富士見町の啓心寮に入った父は同じ、独身の寮の仲間たちと、時には病院の若い看護婦さん達を誘って、夏は野球、冬はスキーと、大夕張での独身生活を楽しんでいたという。 そんな父の、おそらく八百五十でのスキーでの… 続きを読む
街の行事 昭和26年頃 メーデー 大夕張炭鉱労働組合前 昭和26年頃のメーデー 大夕張炭鉱労働組合前だと思われる。 そうだとすると、左奥の建物が前年に新築なったばかりの大夕張炭砿労働組合事務所で、その向かい側の協和会館のあたりから撮影した写真のようである。 『萬國の勞働者團結せよ』 『ストは労働者の権利』 ・・・・労働運動のスローガン、これら… 続きを読む
思い出の街角 春日町屋根並み 昭和30年代、季節は晩秋だろうか。 春日町の住宅の屋根越しに、春日町の浴場の大きな建物が見える。その横に並んで見えるのは春日町詰所の屋根だろうか。 この構図は、おそらく代々木町と春日町をつなぐ坂道の途中から撮影したようだ。 炭砿住宅の煙突から、石炭を燃やす煙が、風に吹かれてたなびいている… 続きを読む