訪問記 1997年の街歩き 富士見町6丁目から5丁目方面 富士見町6丁目方面から南側。5丁目方向。 言葉をかえると砿業所方向を背に、鹿島小学校方面をみたところといえるだろうか。 手前の跡がかつての道跡、木立の向こうが住宅地であったのだろう。 ふと5丁目から6丁目にかけての坂道を汗をかきながら自転車で駆け登ってきた自分の姿や、『ろうそくちょーだい』… 続きを読む
訪問記 1997年の街歩き 大夕張炭山駅駅舎 1997年 故郷を訪ねての街歩きは、残っていた大夕張炭山駅の駅舎の場所から始った。 そこは、自分が知る大夕張の街の出発点で、この先の営林署や工場地帯の建ち並ぶ「官行」との境目にあたる場所だった。 周辺の草地には線路が通っていた痕跡などみじんもなく、壁も剥がれ落ちていた。 真新しいペンキで塗ら… 続きを読む
学び舎の思い出 郷土学習資料室展示 報道資料 その2 1997年閉校式が行なわれた鹿島小学校を再訪した。 当時の鹿島小学校郷土学習室の展示資料の中のひとつに各新聞社の閉校式を伝える記事があった。 読売新聞北海道支社版 1997年(平成9年)6月23日 https://ooyubari.com/2020/04/06/sinbunkiji … 続きを読む
思い出の街角 大夕張生協 1997 『CO-OP 大夕張生協』の建物に大きく書かれた文字。 さすがに何度も塗替えられてきただろうけれど、古くなっていたとはいえ、往時と比べても建物自体の雰囲気は変わっていなかった。 昭和28年に店舗6坪で発足した生協が発展をとげ、昭和36年(1961年)10月に敷地面積を314坪に広げたその際… 続きを読む
2丁目3番地 白銀橋が見えた風景 1997 明石町に近づくと、道路脇の木立が途切れて、湖水の上に浮かびあがる白銀橋。 右手に続く湖の先にこの橋が見えると明石町の町は もうすぐだ。 「大夕張に帰る」 そんな思いが、よりいっそう強くなった。 近づくにつれて感じていた、わくわく感というか、ドキドキ… 続きを読む
思い出の街角 三弦橋 パノラマ 1997 大夕張を訪ねる人は、おそらく長い旅路の果てに、南部のトンネルを抜けるとここでほっと一息つきたくなったことだろう。 大夕張ダムができるその昔、深い峡谷が人々を迎えた時も、谷がダムに飲まれて巨大な湖となったあとも、景色は変われど、大夕張への入り口であったことは変わらなかった。 1997年の… 続きを読む
思い出の街角 幼稚園 園庭の名残り 1997 『はらっぱ』の中の遊具。 原野の中の遊具といった風情だが、きちんと手入れがされていて、当時、子どもたちの遊び場として機能していたようだ。 栄町から富士見町方向をみる。 奥の白い建物のみえる場所あたりに富士見町の詰所があった。正面奥に踏切があり、石炭列車が左右に走った。 向こうの山の中腹に浄水場… 続きを読む
写真 1997年の現実 『集団移転に伴う一時保管場所』 解体された資材が積み重なり置かれた場所のそばに、そう書かれた看板があった。 そこには大型の家財道具や生活用品のようなものが無造作に置かれていた印象があった。 一時保管?なんのために・・・置かれていた場所なのかはわからなかった。 ただ、家庭の家財道具… 続きを読む
思い出の街角 歩道橋からのまち 1997 歩道橋からみたかつての大夕張駅前、1997年7月のすがた。 旧鉱業所事務所のイサオ製作所から煙がたなびいている。 住民の数356名、人の暮らしが感じられた最後の大夕張のまち。 これ以降1998年にかけて街から建物があっと言う間に消えてなくなっていった。 1997年7月… 続きを読む
思い出の街角 鹿島小学校3階校舎からの眺め 1997 鹿島小学校6年竹組の教室前の廊下に立ち、窓から休み時間に、グラウンドで遊ぶ大勢の小学生や街をぼんやり眺めていた一人の小学生が、30年後同じ場所に立った。 子どもたちが走る度に砂埃がまいあがる乾いた赤茶けたグラウンドは、緑の絨毯に敷き詰められたグラウンドに変わり、眼下から湧き上がるにぎやかな歓… 続きを読む
思い出の街角 旧フレンド美容院の角 1997 前回、前々回の投稿した写真をつなぎ合わせて一枚の『作った写真』 合成写真。だからパノラマとも違う、遠近感もおかしなことになっているかもしれない。 子どもの頃、富士見町の家に帰る・・・ここは右に行くのが馴染みの道だった。 だからこの写真を見ていると、どうしても右に向かう道が気になってくる。… 続きを読む
思い出の街角 理容パーマ『フレンド』 1997 大夕張に残った建物 小さい頃から通った床屋の建物が目の前に。見覚えのある建物が残されていて懐かしかった・・・。 反面、人家の形跡はあるものの、すでに人が住まなくなってかなり立つらしく、玄関と窓に打ち付けられた木枠もすでに朽ちかけて荒れ果てるその姿にはなんとも言えない気持ちになった。 建物手前の道を右手に行… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その8 1997 栄町商店街を北側から 『大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街』の写真の左側奥に、青い屋根をした建物が見える。 そこから反対側(南側)に向かっての写真。 青い屋根をしたその建物が、かつての理容パーマ『フレンド』の建物で、商店街の北の端にあたり、『まち』の終わりだった。 ここでは、右… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街 おとな達のあいだで、ここ駅前から栄町の商店街が大夕張銀座と呼ばれていたことを知ったのは、佐藤貞雄さんの『大夕張10景(9)駅前銀座』(岳麓の里)を読んでからだった。 自分自身の周囲の子どもたちや大人達の口から大夕張銀座と言葉を聞いたことがなかったような気がする。 商店街の方に行く時には… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅ホームと改札口跡 旧ホーム跡の方に入ってみた。 それまで毎年のように何度か訪れていたが、さすがに他人の家の裏庭に勝手に入るような気持ちがして、入ったことはなく、できなかった。(実際、診療所の施設の一つとして使用されていた) この時、そうさせたのは、失われるものへと哀惜の情だったのだろう。 長大な石… 続きを読む
思い出の街角 グラウンドから駅舎と夕張岳 1997 鹿島小学校グラウンドからは、大夕張駅のホームと、停車中の石炭列車がよく見えた。 前回、『大夕張駅 大夕張に残った建物 1997』の写真にある駅舎から改札を抜けてホームがあったところ。 完全に建物の『裏』として使われている様子。 廃線から20数年、ホーム跡は縁石に名残をとどめ、この… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅 1997 大夕張に残った建物 旧三菱大夕張鉄道の大夕張駅の駅舎。 1997年当時は、この建物の南側に鹿島生活館(地域のコミュニティセンター的な建物だろう)と、大夕張診療所が一つの建物に入り、駅舎の建物自体は、大夕張調剤薬局として使われていた。 写真では切れてしまっているが、右側の入り口に看板がかかっていたような記憶がある。… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その6 1997 以前、『大夕張駅前の移り変わり』と題して投稿した記事で使用した写真の一枚。 そこではモノクロにして使った。 かつての駅前から弥生町・春日町方面にむかう通り。 1997年5月撮影 この視点で撮影したにぎやかな頃の街を写した写真は、数多く残るが、ここではそのうちの一枚、大夕張炭労の解散記念誌… 続きを読む
写真 大夕張のまち その5 中心部 1997 かつての駅前から、バス停から南側。 方角的には『1997.5.10 大夕張のまち その2』の反対側となる。 前回までに掲載した二枚の写真を合成し、パノラマ風にして視野を広げたもの。 ここでは写っていないが、防火水槽の赤い標識の少し奥に消防の櫓と建物がある。 駅前のバス停、信金の建物、歩道… 続きを読む
思い出の街角 大夕張のまち その4 信金跡 1997 『大夕張』バス停周辺。 夕張信用金庫大夕張支店だった建物。 旧支店だった建物には、『庶路建設』の看板が掲げられ、裏に続く住宅には住民が住んでいた。 1997年5月18日撮影… 続きを読む