思い出の街角 千年町 バス停1997 夕鉄「千歳町」美鉄「千年町」のバス停が立つ。 大夕張-千年町の間には、山内線「岳富町」「宝町」のバス停があった。 夕張、札幌に向かう時、山内線で停車するはずのその二つのバス停に止まらずバスは走った。 都会で走る『特急』『急行』という言葉の意味を、大夕張で学んだ瞬間だった。 1… 続きを読む
思い出の街角 1997.5.10 大夕張のまち その2 『1997.5.10 大夕張のまち』から、大夕張郵便局と向こうの商店街を拡大した部分 https://ooyubari.com/2022/02/14/19970510machi… 続きを読む
写真 鹿島小学校グラウンド全景 1997 1997年(平成9年)5月18日の鹿島小学校グラウンドと校舎、そして夕張岳。 昭和3年(1928年)10月開校、そして平成10年(1998年)3月に閉校となった。 卒業生9790名、地域の盛衰の歴史とともに時を重ねた。 下は2022年の現地の様子と、10数年ぶりに訪問… 続きを読む
思い出の街角 土手から旧駅舎と夕張岳 1997 1997年5月の大夕張訪問時に、前回、小学校のグラウンドからの夕張岳の景色は撮っていなかったと書いた。 しかしそのあと別のアルバムの中から、同じ日に撮影したこの写真がでてきた。 場所は、バックネットと鹿島小学校校舎のちょうど中間。 イタヤカエデの木、そして大夕張駅の駅舎や消防署が夕張岳を… 続きを読む
思い出の街角 土手から鹿島小学校グラウンド 1997 最初にネタばらし的なことを言うと、ほぼ同じ場所から撮った写真を一枚に合わせた写真。 一枚は旧大夕張駅の建物とイタヤカエデを入れて、そして次にピッチャーマウンドのあったりとバックネットを入れた写真をそれぞれ写した。 だからこうして残され、一枚になった写真といえる。 この場所から右を… 続きを読む
思い出の街角 鹿島小学校グラウンド横の土手 1997 鹿島小学校グラウンドバックネットのあたりから、教会・聖心幼稚園の建物とテニスコートの並び。 大夕張カトリック教会が実施していた日曜学校(学習塾)の帰り、土手の上をゆるやかに下り歩いていくと交差路にでる。 左にいくと神社の山に向かう道、右に行くと鹿島小学校の校門の方に下る。 まっすぐ行くと… 続きを読む
思い出の街角 鹿島小学校 1997 鹿島小学校グラウンド横にあった『土手』のあたりから見た閉校直前の鹿島小学校校舎。 1997年5月18日撮影 昨年大夕張を十数年ぶりに訪れる前に、何度も南部大宮町から先の国道452号をグーグルマップで『走った』 そして何度か『通り過ぎ』、鹿島小学校の『看板』をみつけた。 上の写真と… 続きを読む
思い出の街角 神社下から夕張岳 1997 「ダムに沈む前に写真を撮っておこう」 そう意識してから最初に訪れた時が1997年の5月だった。 鹿島小学校閉校式の一か月前だった。 その時に写した写真の一枚だが、それらの写真が自分にとって、一番印象に残っていた場所だったといえるかもしれない。 心の中にある故郷の一シーンと同じ。 「… 続きを読む
思い出の街角 神社に上る道 あの日、あの頃 何度となく上った道、 そしてその後も 何度も上がることになった道 もちろん上がった分だけ、下ることになるのだが・・・。 上がるときの高揚したわくわく感と期待感も、下るときには駆け足で、心はすでに次の目的に向かっている。 そんなものごとの始まりと終わりという過程を教… 続きを読む
思い出の街角 つわものどもが夢のあと 1997 みんな 上った道、下りた道 住民の立ち退きが完了する直前の山神社階段 1997年5月18日 上のタイトルのような書き方をすると、「いかにも」の表現だが、旧境内は、夏草が茂ってはいても、小さく縮んだかつての町を見渡すことができる崖の端まで、きれいに草刈りがされて道が続いていた。 訪れる… 続きを読む
思い出の街角 大夕張 バス停 1997 1956年に地域にバスが走って以来、地域住民が集団移転する1998年まで利用された旧大夕張駅前のバス停。 美鉄バスと夕鉄バスの二本のバス停が立つ。 かつてバス停のそばには柳の木や背の高い大きな木々があり、そこでバスを待つ人の雨露をしのいだ。 その場所に小さな待合小屋ができた。 大勢の… 続きを読む
鹿島小学校校舎閉校の時 晩秋の鹿島小学校 1990年代 晩秋の青空の広がる鹿島小学校。 1997年(平成9年)6月閉校式の参加者に配られた閉校記念誌「かしま」。 その巻頭を飾っていた鹿島小学校の校舎。 参加した多くの同窓生の胸に刻まれた一枚となったことでしょう。 … 続きを読む
訪問記 旧明石町駅 1997 1997年(平成9年)5月の旧明石町駅。 昭和48年(1973年)に廃止になってから24年、屋根が傾き、窓には木の板が打ち付けられながら、なんとかそこに建っていた。 この時期、故郷の大夕張を訪れた人は、きっとそうであるように、自分も「そこにある」ものたちを夢中で写真に収めたのだった。 正… 続きを読む
鹿島小学校校舎閉校の時 教室の窓から 1997年(平成9年)6月22日の日付。 この日は鹿島小学校の閉校式の日だった。 体育館で行なわれていた懇親会の喧噪から離れて一人で校舎を巡り、3階校舎の教室に行ってみた。 教室の窓から見る東側の山の姿はあの時と同じように見えた。 級友たちと学び遊んだ教室の日々。 教室の後ろで遊ん… 続きを読む
訪問記 神社階段下の桜 1997 平成9年(1997年)5月 大夕張に桜が咲き始めるころ。 階段脇には、ふきのとうと笹が繁る。 階段を上りきったかつての神社境内の入り口に立った。 夕張岳と昔遊んだ階段はまだ残っていた。そばに立つ桜と夕張岳を入れて写真を撮った。 眼下の広い緑の空き地に、虚しく寂しい思いを感じた。 時は… 続きを読む
思い出の街角 千年町商店街 1997 平成9年(1997年)の千年町バス通り。 とはいえ、すでに「中学校行」のバスは走っていない。 場所的には、『昭和49年千年町商店街』と同じあたり。 織田商店、富田商店のあたりから、東小方面をみたところである。 『昭和61年(1986年) 大夕張の面影』では、このあたりの車窓風景がゆっくり流れ… 続きを読む
写真 明石町 バス停 1997 1997年5月18日。 もと大夕張鉄道明石町駅舎の前に立つ夕鉄バスと美鉄バスのバス停。 夕張・札幌方面に向かうバス停留所。 10000万人以上人口を数えた昔と同じように、過疎化が進んだ当時も、変わらず最後まで二つのバス会社が乗り入れていたことに驚く。 向こう側が、大夕張・千年町方面。 旭沢にかかる明… 続きを読む
学び舎の思い出 マラソン大会(常盤町) 鹿島中学の卒業アルバムからの一コマ。 昭和45年(1970年)初秋。 鹿島中学前からの坂道を右手に折れ、暁橋の正面を右へ曲がり鹿島橋の方へと向かいます。ちょうどここは、暁橋の前に出てシューパロ川に沿って走っているところ。 白黒写真に着色した画像 常盤町。鹿島橋に向かって走る 鹿島中学校の通学路でもあ… 続きを読む
写真 1997.5.10 大夕張のまち 平成9年(1997年)5月に大夕張を訪ねた時のかつての駅前。 どうということのない一地方の町の姿のようにみえるかもしれない。 自分が暮らしたあの盛んだった頃のまち・・・という名のフィルターがかかり、その落差にとまどった。 今から25年前のまち。 土曜の日のお昼頃、歩いている人の姿をほとんどみるこ… 続きを読む