ポリオ(小児マヒ)の流行 |准

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 1959年に指定伝染病に指定されたポリオ(小児マヒ)は、翌1960年からは、さらに勢いを増し、全国で猛威を振るった。
 北海道では5月に、夕張地区(大夕張)で大流行し、全道に広がって106名の死者を出した。

 自衛隊によるDDTや石灰の散布は行なわれたが、道内45万人の幼児に対しワクチンは3万人分しかなく、患者は強制隔離され、患者の発生した家には「小児マヒ患者の家」の紙が貼られるなどの差別行為があった。

 この間、政府はワクチンの確保を怠り、住民運動により1959年12月にソ連製ワクチンを導入し接種を受けた
青森県八戸市の幼児からは一人の発病者も出なかったことと好対照を見せた。

 (笠原小児科笠原昇一先生談話)

「重症の幼児は、呼吸困難により、見ている前で死んで行くような悲惨な状態であった。」

「この間、札幌医大の医師等が中心になって、重症の患者を自衛隊のヘリコプターで医大に搬送し人工呼吸器に収容したこともあった。」

「翌年に至り、アメリカの生ワクチンが出回り、ポリオの流行は沈静化した。」

 現在は地球上から撲滅する寸前のところまできているようですが、アフガニスタンなど2,3の国でしぶとく残っていて、なかなか完全に撲滅するに至らない。ということです。

 これも戦争が接種の邪魔をしているためだそうで、一部の地域の紛争が、人類全体の幸福のためのもう一つの戦いを難しくしているのです。

 1960年当時の大夕張でのポリオの流行にまつわることを書きたかったのですが、それはまた別の機会に・・

(2014年1月30日 記)


随想

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