以前紹介した『修了級会(昭和18年)』は、鹿島国民学校高等科13期生のものだったが、こちらは、『鹿島国民学校15期生』のものだ。 昭和19年3月に高等科を卒業した方々。卒業して5年ほど経った昭和23年(1948年)頃の級会(今でいう同窓会)の時に撮影されたようだ。黒板の上に『第15期生 祝級』と掲げ…
昭和25年(1950年)12月25日。 宝町でクリスマスの日に子どもたちが集まった会が開かれた。 集まった子どもたちは宝町に住んでいた子どもたち。 場所はおそらく宝町の集会所だっただろう。 この日は子どもたちを集めて、今でいう『クリスマス会』のようなものが行なわれたのだろう。 敷かれたゴ…
前回の私の投稿に対し、飯田さんの叔父さんと結婚した女性が、独身時代、有名マンガ家のアシスタントをされ、やがて体調を崩したことが、コメント欄にありました。 締め切りがあるので、夜昼関係なく仕事をするので、時間のリズムが狂ってしまうようです。 私の場合は、2年ほどでその仕事をやめてしまっ…
表題にあるとおり、三菱大夕張礦業所事務所と健康保険事務所。 昭和5年頃の絵葉書。 完成して間もない頃の施設の姿。 右側の事務所は、閉山を経て1997年の住民移転まで使用されていた。 宛名下に『本事務所及健康保険事務所|三菱礦業所』の記載がある 昭和30年代の礦業所事務所 https://oo…
前回『撰炭場』をちょうど反対側の山の方からみた構図になる。 『撰炭場』の写真をよく見ると、後ろに写る建物から山に向かって伸びるワイヤーロープと、鉄塔が写っていることがわかる。 その周辺には道が通され、周囲の木は切り払われている。 その高台から撮影されたようだ。 昭和4年に、南大夕張~北部大夕…
前回『住宅地其ノ二(富士見町一帯)』と同じ組になっていた絵葉書。 昭和5年の大夕張炭山選炭場。 完成当初の姿のようだ。 宛名面下には『撰 炭 場|三菱大夕張礦業所』の文字が印刷される …
この絵葉書は実物は、もっと黄ばみ、セピア色をしている。それをモノカラーに修正したもの。 後日、これをもとにカラー化していく。 『住宅地其ノ一(夕張岳山麓ノ見晴シ)』と同じシリーズの中の一枚だと思われる。 なので、昭和5年(1930年)頃、草創期の大夕張の様子だとわかる。 左手前の二階建の建物は、…
前回、『昭和30年代 購買会』の写真の一部を拡大した部分写真。 建物の姿とともに、行き交う人々の姿に当時の生活が蘇る。 季節はいつ頃だろうか。 浴衣を着た子どもの姿。 父親に手を引かれた幼い子ら。 赤ちゃんを背負った若い母親と立ち話に興じる和服姿の女性と背広を着た男性。 穏やかな人…
マンガ雑誌〘 少女 〙は、妹は、もっぱら、隣の板倉さんチの〘 チーちゃん 〙から借りていた。 それに、〘 今村洋子 〙が描いた〘 チャコちゃんの日記 〙があったことは、前回書いたとおりである。 今の少女向けや女性向けマンガは、女性マンガ家が圧倒的に多いが、私が小学生になってから読み始め…
昭和30年代の購買会。 大夕張のデパートといわれた三菱購買会。 2階には家具売り場もあり、お正月や季節の大売り出しの時期には、福引などが行われ、中央の玄関前には当選者が張り出されていたという。 昭和38年頃火災にあったという。 この写真はそれ以前のように思われる。焼失したわけではなく、むしろ…
栃木で生れ東京で薬学を学び、戦後三菱鉱業の大夕張炭砿病院に就職した父は、北海道に単身渡った。 富士見町の啓心寮に入った父は同じ、独身の寮の仲間たちと、時には病院の若い看護婦さん達を誘って、夏は野球、冬はスキーと、大夕張での独身生活を楽しんでいたという。 そんな父の、おそらく八百五十でのスキーでの…
昭和26年頃のメーデー 大夕張炭鉱労働組合前だと思われる。 そうだとすると、左奥の建物が前年に新築なったばかりの大夕張炭砿労働組合事務所で、その向かい側の協和会館のあたりから撮影した写真のようである。 『萬國の勞働者團結せよ』 『ストは労働者の権利』 ・・・・労働運動のスローガン、これら…
昭和30年代、季節は晩秋だろうか。 春日町の住宅の屋根越しに、春日町の浴場の大きな建物が見える。その横に並んで見えるのは春日町詰所の屋根だろうか。 この構図は、おそらく代々木町と春日町をつなぐ坂道の途中から撮影したようだ。 炭砿住宅の煙突から、石炭を燃やす煙が、風に吹かれてたなびいている…
東高3年の冬、クラスで高校生活最後の思い出にと校庭で雪像を造りました。 受験を控えて大丈夫かなぁと思いながら、それでも必死にやってました。 後に大学の同級生にあきれられつつも牧歌的で良いなとうらやましがられました。 今じゃ、足腰痛いと言うだけですね。 (2004年2月12日 記) …
我が家のパソコンの調子が悪くなり 主人が悪戦苦闘の末やっと先日回復しました。 そこで久し振りに掲示板を訪問して 三菱バス停に関する数々の投稿を拝見し 胸が熱くなりました。 ふる里は 幾つになっても忘れ難い所なのですね。 いいえ 年を重ねるほど 思い出されるものなのですね。 10年前に 71…
明石町番外地に住んでいた我が家のとなり、板倉さんチの〘 チーちゃん 〙から、妹が借りた光文社のマンガ雑誌〘 少女 〙に、〘 今村洋子 〙が描いたマンガがあった。 題名は〘 チャコちゃんの日記 〙。 毎回だったかどうかまでは記憶がハッキリしないが、2色刷りで、半ページの大きさで、十数ページ…
最後にやや遠目の視点から写真をとった。 おそらく再び来た時には、この美しい景色を、またここから撮影することだろう。 これからもずっと・・・。 祖父母も父や母も叔父・叔母、その他、大夕張に住んだ親戚友人達が総じて目にしてきた山々。 この景色を受け入れながら、今は水面の下の、原始の森に還…
水没していない大夕張。 手つかずの荒れ地。伸び放題の枝。 かつての風景を想像はすることもかなりの努力が必要だ。 神社下から夕張岳の時でさえ、その時間経過に少なからず戸惑いがあった。その時見えていたあの夕張岳ですらここから探すのは困難だ。 ここはかつてテニスコートあった土手の東北角、鹿…
『秋枯れの街へ その8 宝沢』の築堤部分をズームアップして撮影した写真。 2023年11月21日 2022年10月の宝沢 https://ooyubari.com/2022/10/24/izumikofuso/…
『秋枯れの街へ その10』と同じ場所から。 遠く白金地区と新白銀橋。 こちらの手前には明石町郊外で分岐した道が白銀橋(旧)へ続き開拓と向かっていた。 目の前には白銀橋(旧)が沈んでいる。 2023年11月21日 白銀橋を渡った先からこちら側を撮影した水没前の写真 https://ooyuba…