「大夕張写真展」・「森林鉄道の記憶」・「1998年の報道の記録」まで、リンク切れ修正しました。 2006年に石炭博物館で行われた「大夕張写真展」では、自分の手持ちの写真も大きく鮮やかに再現されていて、PCでこうしてみても、あらためて祖父や、叔父、叔母の写真、街の人たちの表情、父の職場の方々の姿があり…
『散歩道』のページを更新しました。『散歩道』は、この「ふるさと大夕張」でも「思い出貼」「住民登録」などと並んで、アクセス数で上位に入るページです。今回、長らく「工事中」(今でも通じるのかな?この言葉)になっていた開拓(白金)と南部について今のところ掲載できる見込みがないので、削除しました。もし、期…
2012年にサーバーを移動しました。それまで、三つのサーバーにおいてあったデータを一気にまとめて煩雑さをなくしたつもりでした。しかし、ばらけていたリンクを一つに直す作業を、結局現在やっているところです。だから、新コンテンツはほとんどありません。 今回、facebookに「ふるさと大夕張」のペ…
12月に「一方的に」宣言した通り?毎晩8時にチャットの部屋「喫茶シューパロ」に顔を出すのが密かな楽しみです。訪問者があるか、どなたがみえるのかわかりません。フェイスブックのチャットの機能は、誰とチャットするのか意思が働きますが、こちらはその点、未知のスリルがあります。 今晩、桂さんがみえました。話題…
『大夕張年表』について、記事の若干の追加ををしました。 坑内の事故関係の記事をいくつか加えました。 大夕張は国内でもガス湧出量が多いとされ、ガス突出事故が時々起こっています。 働く大人にとって日常に事故やけがの危険は潜んでいた生活であったことは紛れもない事実で、これも大夕張の、というか、炭坑町の宿命…
『大夕張資料室』から、「八百五十登山ルート」の不要なリンクの削除です。 八百五十(はっぴゃくごじゅう)とは、大夕張神社の後に連なる山の名ですが、山の高さでもあります。正確には、850メートルに少し届かないくらいだったかな。 J.F.Kさんの投稿によると、本名「後藤山」というのだそうです。 (この…
『1999~2007年までの大夕張』 2004年と2005年のページをリンク切れ、その他修正して、更新が完了しました。2007年のファイルについては、現在見ることができません。 それにしても、長谷川さんの撮る大夕張の写真は素敵!です。紅葉の写真を見ると、どうしてこんなに美しく撮影できるのだろうと思い…
『1999年~2007年の大夕張』の2002年、2003年の記事のリンクと、修正をしました。 あらためて25年会の方々の写真を見ながら、当時、私を交流会等に、度々誘ってくださったことを思い出し、ありがたいことだったなあと、感謝の念がわいてきました。 ある時、私の父の同僚でもあり、上司であった方の息子…
『1990年~2007年の大夕張』の2002年の冬の大夕張についてのページのリンク切れや、それに合わせて手を入れました。内川さんの八百五十登山や、美鉄バスツアーいろいろな関わりがありました。 八百五十登山はけっこう愛好家のいる山のようで、ネットで検索してもいくつか記事が出てきます。 内川さんの記事は…
気ままな更新がゆっくり続きます・・・。 今日は、99~07の大夕張の、おもに2000年~2001年にかけての大夕張の様子についての部分の微修正です。あの当時、すでに大きく変わりつつあったんだなと、あらためて思います。それにしても写真に写る自然の姿の美しいこと・・・。 高橋歌子さんの「シューパロ川の川…
『僕と木』という拙文の中の不要なリンクを削除しました。 読み返してみて思うこと。当時大夕張に、大夕張に帰ればけっこう細かい記憶までよみがえらせていたんだなあ、ということです。道ばたの木でさえ、生活の中での道しるべになっていた。行ってこそわかる、遠くで思い出すのとまた違う思いだしかたがあると、感じたも…
初めて大夕張の写真を紹介してくれた長谷川潤一さんの写真です。当時98年末に初めて交流会でお会いして。すぐに送ってくれた1999年冬の写真です。短い一言がとても心に響きます。 この後も継続的に大夕張を訪ねては、当時の大夕張の写真を送り続けてくれています。 雪の重みに耐えかねて倒壊した南部の列車の写真が…
更新がうまく表示されていなかったので修正しました。 左のバナーも変更終了しました。 内容的には変更ありません。 どれもが、当時のみなさんの思いが読み取れてとても貴重な投稿です。 いまさらながらありがとうございます。 ふるさと大夕張 http://www.ooyubari.sakura.ne.jp/ …
『最近の大夕張』の内容は1999年から2007年までの大夕張についてなので、表記のタイトルに変えました。今では、これも全部思い出になってしまいました。 『夢の街』や、他の項目を起こして、そちらに移動した方がよいのかと考えましたが今とりあえずできることで、結局タイトルを変えるだけにしました。私たちが大…